04:伯爵家のお城

 城の正面に馬車が近づくと、跳ね橋がガララッガララッと音を立ててゆっくりと降りてきた。跳ね橋がすっかり降りた所で馬車は再びゆっくりと進みだし、シュリンゲンジーフ伯爵城に入って行った。



 いまは誰も見ていないなとキョロキョロと視線を彷徨わせてから、やっと着いたーとぐぃぃ~と伸びをする。

 ポキポキと首と背骨が鳴って気持ちが良い。

「奥様、はしたないです」

「まぁ良いじゃないの、二人しか居ないんだしさ」

「気を許して頂けるのは有り難いですが、慣れるまではお控えください」

「うん。いいえ……、もちろん解ってるわ」

 他の使用人らと同様に二人とも一線を引いて接することで、贔屓はしていないと見せなければならない。

 私の失態で二人に迷惑を掛ける訳にはいかないものね。



 馬車が完全に停止すると、外から馬車のドアが開けられた。

 ドアを開けたのは執事服を着た中年の男性。

ベアトリクス様・・・・・・・でいらっしゃいますか。

 わたしはこの城の執事を務めておりますロッホスと申します。

 以後お見知りおきください」

「ご苦労です。

 若輩ゆえに至らぬこともあるかと思います。

 気付いた点があれば遠慮なく教えて下さるかしら」

「ありがとうございます。なんと勿体ないお言葉でございましょうか。

 わたしども使用人一同、ベアトリクス様・・・・・・・を歓迎いたします」

 そう言うとロッホスは胸に手を当てて一礼した。


 ベアトリクス様・・・・・・・か、なぜ呼び名が奥様ではないのだろうか。

 まだ式を挙げていないから?

 確かに式は行っていない。それどころか結婚が決まってから私はまだ一度も、シュリンゲンジーフ伯爵だんなさまにお会いしていない。

 しかし法的に言えば、国王陛下の褒賞品として私が指名された時点ですでに籍入れは終了している。

 だからここでは、奥様・・が正しいはずだが……

 いいや。慣れていないのはお互い様だ、変な勘繰りをして最初から悪い関係に陥る必要なんてどこにもないじゃない。

 そう思って私はその考えを頭から追いやった。



 私は護衛してくれた騎士らに、エーディトを通じてお礼を伝えて城の中へ入った。

 玄関ホールに使用人が整列しており、口を揃えて、

「お帰りなさいませベアトリクス様・・・・・・・」と挨拶をする。

 ここでも名前呼び……

 本来であれば真っ先に正すべきことだが、執事の件も然り。今回のことは異例中の異例、それこそ前代未聞の話だから婚姻済みの事実をまだ知らない可能性もある。

 今日は初日、穏便に穏便によ。

 私が言うよりは角が立たないだろうし、後で旦那様からお伝えして頂きましょう。

 問題はその旦那様の姿がないことだが、領地の様子を見る限りきっとお忙しいのだろうと自分を納得させる。


 ホールの先頭に立っていた少しばかり恰幅がよい年配の侍女が、執事のロッホスの隣にやってきた。

「ベアトリクス様、こちらが侍女長のコリンナでございます。

 何かお困りの際は彼女に仰ってください」

「コリンナです。よろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしくね。

 ところで侍女長は誰が決めたのかしら?」

「もちろん旦那様がお決めになられました。

 もしやコリンナにご不満がおありですか?」

 ここでは誰が雇用を決めているのかを確認しただけなのに、まさかそのような捉え方をされるとは思わなかった。

「いいえ。まさかそんなことは無いわ。

 よい侍女長の様で安心した所よ」

 ロッホスが「それは良かったです」と笑みを浮かべ、こちらも笑みを浮かべて笑い合う。しかし内心でこれは一体どういう儀式かしらねと呆れていた。



 玄関を抜けてから、フィリベルト様に紹介するため執務室に向かうかと思いきや、突然城の中の案内が始まった。

 この執事は何を考えているのだろうかと、もう何度目になるか分からないがまたも私の頭を悩ませる。しかし彼は自分でそれに気付く素振りはなく、淡々と城の中の案内が続いた。

 どうでもいい部屋を五部屋ほど見せられた所で、私はついに痺れを切らして口を開いた。

「ロッホス、悪いのだけど部屋の案内は後にして頂戴な」

「はあ……」

 合点のいっていない釈然としない声が返ってくる。

 あまり良い執事ではないのだろう。彼には一から十まで説明しないとダメなのだなと内心で溜息を吐いた。

 しかし表では、顔にことさら笑みを浮かべて、

「建物の紹介よりも、まずは旦那様にご挨拶をしたいわ」

「ああ! これは失礼しました。

 申し訳ございません。旦那様のご予定をお伝えし忘れておりました。

 本日は領地の視察により朝から外出されておられます。お戻りはきっと夕刻ごろとなるでしょう」

 クラハト領からここまで、天候や道の具合などではっきりした日程は伝えることは出来ず、二週間ほど・・掛かるとだけ伝わっている。だからフィリベルト様がいつも通りに視察に出掛けられていたとしても仕方がない。

 だけど不在それを真っ先に伝えないというのはどういうことか?

 苛立ちを覚えたが、ここはまだ我慢できた。

 だがこの後の、

「そう言えば旦那様から言伝を預かっておりました。

 ベアトリクス様・・・・・・・は長旅でお疲れでしょうから、部屋でごゆるりとお休みくださいとのことです」

 これを聞いて私の頭に一気に血が上った。


「ロッホス、旦那様が不在であることは真っ先に伝えるべき事柄です。

 あまつさえ旦那様からの言伝を、私に伝え忘れるなんてありえません!」

「ええ、ベアトリクス様・・・・・・・の仰る通りです。

 ただわたしども・・は、ベアトリクス様・・・・・・・を初めてお迎えするのに緊張しておりまして、すっかり失念しておりました。

 申し訳ございませんでした」

 ども!? お前がでしょ!!

「分かりました。今後はこのようなことが無いように頼みます。

 あと! そのベアトリクス様と言うのは止めて頂戴な。私は既に旦那様と婚姻を結んでおります。今後は私の事は奥様と呼ぶようになさい」

「はい、畏まりました。奥様……」

 押し殺したような不満気な返事が返ってきて、私は仕舞ったなと後悔した。

 本当は旦那様からそれとなく伝えて貰うはずだったのに、言い訳する態度が情けなくて思わず感情に任せて言ってしまった。

 あぁもう! 波風を立てないようにと思ってたのに失敗したわ。




 その後、言伝にあった『ごゆるりと休め』と言うことを理由に、部屋の案内は一方的に中止されて私は初めての自室に入った。


 あの執事は一体なんなんだ!?


「奥様、お顔が険しいですわ」

「そりゃそうでしょ!」

「まだ一日目でございますよ。そんなに気を張っていては疲れてしまいます」

「ふぅ……。そうだったわね。ありがとうディート」

「では旦那様がお帰りになる前に綺麗に仕上げておきましょうか」

「ふふふ、お手柔らかにね」

 と、言うのはコルセットの話。

 旅路で着ていたコルセット無しの身軽なドレスも悪くないが、すっかり埃っぽいから着替えない訳には行かない。

 私に笑顔が戻ったからか、エーディトの表情も柔らかい。

 化粧台の前に座らされ、エーディトは部屋に備え付けられたクローゼットの扉を開き入っていった。


 再び戻ってきたエーディト。

 しかしその手には何も持っておらず手ぶらだ。

「あらどうかした?」

お嬢様・・・、着られるドレスがありません」

「えっどういう事?」

「ドレスはまだ箱に仕舞われたままで、クローゼットの中に積まれておりました」


 荷物になるからと先にこちらに送っておいたドレスは、箱に入れられたまま出されることなく未だクローゼットに積まれている。

 これの意味する所は、

「すっかり折り目が付いてしまって、しばらく着れないかと……」

「なんで箱から出してすぐに吊るして置かないのよ!!」

 そんなことは常識だと憤り立ち上がった。

「落ち着いてください」

 私が椅子から立ち上がり、ドアの方に体を向けたところでエーディトが静止の声を上げた。

「これが落ち着ける? 今日の晩餐はいったいどうしたらいいのよ!」

 今日はフィリベルト様だんなさまと会う大切な日だ。しわの入ったドレスなんてみっともなくて着れたものじゃない。

 せめて一言文句を言ってやらないと気が済まないわ!


「奥様、申し訳ございません。

 シュリンゲンジーフ伯爵閣下は独身でした。その従者が女性のドレスの扱いを存じていない可能性を失念しており指示を怠りました」

「そんなのディートの所為じゃないわ」

 完全に執事、もしくは侍女長の責任だ。

「いいえわたしの責任です」

 初日から波風を立てるなとでも言わんばかりに、エーディトは頑として自分の責任だと言い張った。

 確かに今日は初日、いろいろな意味で大切な日だ。

「分かりました、この件は不問とします」

「奥様のご慈悲に感謝いたします」


 ディートの計らいで矛先を収めてはみたが、当面の問題は何も解決していない。

「ねぇ、お姉ちゃん・・・・・。今晩どうしよう……」

 やばい。自分でも思った以上にトーンの低い声が出たわ。

 ちょっと泣きそうかも……

「ディートです、奥様」

「良いじゃない今は二人きりだわ」

「やれやれ初日からこれでは先が思いやられますね。

 まずはしわが少ないドレスを確認します。それにしわがあっても目立たずなんとか見えるドレスが数点あったはずです。

 ですから奥様は安心してお待ちください」

「ありがとうお姉ちゃん」

「だからディートですよ奥様。

 でもまぁ、今だけお姉ちゃんと呼んでもいいわ。だから、後はお姉ちゃんに任せて、ベリーはそこで座ってなさいな」

「うん、ありがとう」

 一歳しか違わないのに、エーディトは昔から私が取り乱すとすぐにお姉ちゃんぶって助けてくれた。

 きっと今回も大丈夫と、私は安心してお姉ちゃんに任せた。

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