02:プロローグ2
それから二日。
自らの執務を終えた宰相は、最後の目録となる妻の名を聞くために再び貴族省の長官を呼びつけた。
決まったら報告をするように言ったのだがなと、溜息混じりにひとりごちる。
ほどなくして貴族省の長官がやってくる。
「では相手の名前を教えてくれるか?」
「まだ決まっておりません」
「なんと!? あれから二日も経っているがまだ決まらんと申すか?」
「年頃の娘を持つ貴族らは、口を揃えて熊にやる為に娘を育てていた訳ではないと言って断ってきました」
「ならば年齢を上げて嫁き遅れている者を宛がえば良かろう」
「それすらも断られています」
「何故だ……、嫁き遅れているのだから、もはや選ぶ余地などなかろう?」
「いいえそれは逆でしょう。贅沢に選り好むからこそ嫁き遅れたと言えましょう」
「しかし彼はもはや伯爵だぞ。それに財もあるのだから、借金のある貴族に声を掛ければ誰かしら手を上げるだろう?」
「元のアデナウアー子爵家の土地であればその可能性もありました。しかしこの度、封地された西部の土地は治安が悪い事が知れています。
実入りが不透明な、このような状態では貴族らも『うん』とは言いますまい」
「では未亡人はどうだ?」
「国王陛下からの褒賞が本当にそれでよろしければ手配しますが?」
子連れの生活に困っている未亡人であれば、確かにいくつかの候補もあった。しかしこれは前代未聞の褒賞品だが、国王陛下じきじきの話である。当然の様に婚姻経験のない令嬢が望ましいと意図的に範囲を狭めていた。
しかし宰相の許可が得られるのならばと調査だけは行っているからその返答は早い。
「いやすまん。今のは忘れてくれ」
そして二人で言い合うこと四時間、ついに日にちが変わってしまった。
「宰相閣下、この時間では打診しようにも先方は寝入っております。一度お開きといたしませんか?」
「そうか……、そうだな。うむぅ」
「最悪は陛下の勅命と言うことで……」
「むぅ最後の手段だがやむ終えないか。解った近日中に決まらねばそうするしかあるまいな。悪いがそちらの候補も絞っておいてくれるか」
「承知しました」
こうして
※
ゲプフェルト王国の辺境にクラハト領と呼ばれる小さな田舎の領地があった。小さい領地だが領民らは裕福でそこで暮らそうと考える人は多い。
領民の裕福さを知る付近の住人は、その領地が国でも相当の力を持つベーリヒ侯爵家の飛び地であるからと考えていた。侯爵家の領地なのだから資金は潤沢、ゆえに彼らが裕福なのは領主の財力の差だと。
冬のクラハト領の中を二頭の馬が歩いていた。南部寄りで比較的暖かいクラハト領だが、馬上の二人が吐く息は白い。
二頭の馬は石畳で補強された道を歩いていく。ほどなくして二頭は一際大きな建物に入っていった。
建物に入ると二人は馬から降りて、馬房へ向かうために手綱を引き始めた。前を歩くのは背の低い少女、後ろを歩くのは少女よりも頭一つ背が高い少年だ。
建物の脇にある馬房、数頭の馬の気配があるが馬房の中に人影はない。
「ベリー姉、あとは俺がやるから」
後ろについていた背の高い方がそう声をかけた。いつもならば『別にいいわよ』と断っただろう。しかし今日の少女は少し逡巡してから、「ありがとう」と返し建物へ入っていった。
雪は無く息が白い程度とは言え、冬の外気と室内の温度は大きく違う。暖房のない玄関先とはいえその暖かさに思わずほっと溜息が漏れた。
「お帰りなさいませお嬢様。先代様が首を長くしてお待ちですよ」
玄関の開く音を聞いて中から出てきたのは、メイド服に身を包んだ若い女性だ。彼女はこの屋敷の侍女だ。侍女なのにメイド服なのは人手が足りないからで、これが彼女の趣味と言うわけではない。
「ええっ? お爺様ったら、もういらしてるの。
はぁ急いで帰ったんだけどなぁ~」
「大きな声を出すと聞こえますよ」
「ふふふっお爺様ったら地獄耳だものね」
「だから聞こえますってば」
若い女性は外套を脱ぐと、「準備は?」と問うた。
「これ以上待たせて先代様のご機嫌がさらに悪くなっても困ります。残念ですが今日はそのままどうぞ」
「やった!」
「まさかそれが狙いでゆっくり戻ったということは無いですね?」
「そんなことないわ、ディートったら邪推しすぎよ」
言い終えるやさっと踵を返して、執務室へ足を進める。今更どこに居ると聞くまでもない。私のお爺様ならばきっとそこにいると確信して自信を持って進んだ。
ドアをノックして執務室に入る。
自分の屋敷の、普段自分が使う部屋に入るのにノックをするというのは、とても奇妙な感じだが、お相手はお爺様だ、こればかりは致し方がない。
ドアを開けると、やはりお爺様が居た。
白髪の気難しそうな初老の男性。しかしその表情は、部屋に入ってきた少女、ベアトリクスを見て一瞬で変わった。眉はハの字で目尻はだらしなく下がりきり、口元には笑みが浮かんでいる。
ベアトリクスは彼がもっとも溺愛する孫なのだ。
「お久しぶりですお爺様。変わらずご健康なようで何よりですわ」
「ベリーもな、して、儂を呼び出すとは何か問題でもあったか?」
「あら久しぶりにお会いしたというのにもう本題ですの」
「ふん。お茶ならお前を待っている間にたらふく貰ったわ」
「失礼しました。領地で馬が生まれると聞いて見に行ってきたのです」
「血を分けたじじぃより馬が大事か、お前の馬好きにも困ったもんだのぉ」
「あらお爺様も大切ですわ」
「馬と同列に並べられて喜ぶじじぃが居ると思うなよ」
「そうなると……、ごめんなさい馬以下と言うしか無くなりますわ」
「こら! そこは馬より上だというとこじゃぞ」
実際に馬より上と言われて嬉しいかどうかはこの際置いておくとして、この他愛もない雑談で、彼女はほんの少しだけピリッとしていた空気が払拭されたのを感じていた。
「本日お爺様をお呼びしたのは、私がお預かりしていた領主の地位をお返しするためですわ」
それを聞いて、孫娘との雑談を楽しむ好々爺の仮面は、一瞬で消え去った。
老人は眼光鋭くベアトリクスを見つめる。
「それを返してお前はどうするつもりだ」
「お嫁に行きます」
「また馬鹿息子が下らん縁組を持ってきた……訳はないな。
お前がそれに易々と従うとは思えん。さておぬしには弟替わりのあれ以外に男の影は無かったと思うが、まさかあれではあるまい?
どういうことか説明を聞こうかの」
「お爺様はフィリベルト様を覚えておいででしょうか?」
「フィリベルト……
確か九年前にクラハト領を護りに来た部隊の隊長じゃな、ん……」
名前から今の家名、シュリンゲンジーフ伯爵の名まで連想したことで、老人は孫娘の言葉の意味を理解した。
「今のボンクラ国王が出した褒賞品に、前代未聞の〝妻〟があると聞いたが、まさかそれのことか?」
「やはりご存知でしたか、流石ですね」
「儂は隠居はしても耄碌はしておらん。だが一つだけ分からんことがある」
「あらお爺様が分からないなんて、なんだか珍しいですわね。ふふふっ一体何が分からないのです」
「お前があのどでかい熊を伴侶に選んだ理由じゃよ」
「そんなことは決まっています。これが私の初恋だからですわ」
きっぱりと言い切るベアトリクス。
「は?」
老人はぽかんと、ハトが豆鉄砲を喰らったかのように口を呆けさせた。
それを見てベアトリクスは、初めて驚かせることに成功したかもと、満足げに口角を上げて微笑んでいた。
※
あの謁見の日から二週間。
遅れに遅れ、ついにシュリンゲンジーフ伯爵への褒賞の準備が整った。
再びの謁見の間。
名を呼ばれ、先日と同じく熊の様な巨漢の男がピチピチの黒い礼服を着て赤い縦断の中央を歩いてきた。
相変わらず似合ってはいない。
しかし前回の新年の会と合わせた式典と違い、本日は彼の為だけの場である。ゆえに謁見の間にはそれほど多くの人数はおらず、どこからも笑い声が漏れることは無かった。
「フィリベルト=シュリンゲンジーフ伯爵、参りました」
「シュリンゲンジーフ伯爵よくぞ参った。
そなたの褒賞がすべて決まったぞ。さあ受け取るがよい」
「はっ有り難く頂戴いたします」
宰相が目録を読み上げていく。
先に貰っていた爵位と新たな封地に加えて、報奨金に家畜の数などが列挙される。
その中には先日、断ったはずの馬も入っていた。
そして最後に、
「確かシュリンゲンジーフ伯爵は独身であったな?」
「はい?」
質問の意味が分からずに顔を上げてしまった。
慌てて平伏し直し、
「失礼しました。女性に縁が無く未だ独身であります」
「うむ。国王陛下からペーリヒ侯爵家のご令嬢ベアトリクスと縁組みの話を頂戴した。
新たな領地を得たのだ、ここらで身を固めるのも良かろう?」
「は……、ハッ!
私の様な者に勿体なき良き縁談でございます」
まさか褒賞の中に縁組みが入っているとは思わず、一瞬呆けた返事を返してしまったが、すぐに我に返り返事を返したのは流石である。
「以上を持って、シュリンゲンジーフ伯爵の褒賞とする!」
二週間いらぬ苦労を強いられていた宰相は満面の笑みを浮かべてそう宣言した。
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