伯爵の褒賞品

夏菜しの

01:奮闘

01:プロローグ1

 十月の始め、寒い地方ならば雪がちらつき始める頃のこと、ゲプフェルト王国で六年続いた領地戦争が勝利と言う形で終わった。

 戦の終わりに国民は安堵し、勝利の報告に沸いた。

 戦争終結より三ヶ月後の年明けの頃、ついに最前線より軍勢が戻り、本当の終戦を迎えた。


 ゲプフェルト王国の王城、謁見の間。

 檀上の最奥に国王陛下と王妃が座り、その脇には宰相が控えている。その真正面には毛足の長い赤い絨毯が敷かれており、左右には国の大臣や名のある貴族、そしてそれに連なる錚々たる面々が並んでいた。

 だが本日の主役はこれらの人々ではない。

 謁見の間の扉の前、つまり末端に並ぶ者たちこそが本日の主役である。彼らは昨年の戦いを終えて生き残った者たちで、本日、ゲプフェルト王国国王の名により褒賞が与えられることが約束された者である。


 その中の一人、フィリベルト=アデナウアー子爵。

 名を呼ばれ列から一人の男が外れて、中央の赤い絨毯を歩き始めた。先までの者は軍属を表す儀礼用の軍服を身に着けていたが、この者は参列している貴族らと同じ黒い礼服だった。

 彼は元々体格の良い軍人の中でも、一際大きな巨漢だ。急ごしらえでサイズがあっていないのか、身に纏っている礼服ははち切れんばかり。女性の参列者が思わず漏らした失笑の声は、歩いている最中によからぬ音と共に破れてしまうわであった。

 それに対して男性の参列者は口を引き締めており、一切の笑いを漏らすこともなかった。

 それもそのはず、彼はこの六年間、常に最前線に身を置き、味方はおろか敵からも勇猛果敢と褒め湛えられた歴戦の勇士。その巨大な体に似合った大柄な黒い騎馬に乗り、常に最前線に身を置いて槍を振るう姿は、どれほどの者に勇気を、そして恐怖を与えたことだろうか。

 それ故に彼の戦果は凄まじい。

 今回の戦争で一番の手柄頭であろうと、誰もが想像していた。

 しかしその一方で、英雄であるはずの彼が、支給された儀礼用の軍服ではなく似合わない礼服を着ていることに違和感を覚えていた。



「フィリベルト=アデナウアー子爵、参りました」

 熊の様な男は陛下の前で平伏し、そう名乗った。

 その彼の頭に、国王陛下の脇に控えた宰相より声が掛かる。

「アデナウアー子爵、そなたの働きにより我が国は勝利を収めることが出来た。国王陛下も大変お喜びである。

 ゆえに褒賞を与えることとする」

「有り難き幸せですが、申し訳ございません。

 辞退させて頂きます」

 ザワッと謁見の間が揺れた。


「それはどのような意図があっての話か?」

「私は先の戦いで愛馬を討たれて失っております。

 ゆえに軍を退き退役する所存でございます」

の話はそなたの上官より聞いておる。ゆえに褒賞に新たな軍馬が入っておるが、それでは不満か?」

「勿体ないお話です。

 ですが戦はもう騎士の時代では無くなりました。今後は槍に代わって銃の時代となりましょう。騎士が馬に乗って戦う時代は終わります」

 アデナウアー子爵がそう発言すると、今まで沈黙を守っていた男性陣から喧騒の声が上がり始めた。

 最初は、「騎士を愚弄するな」と言った自らの名誉を護る言葉から始まった。

 しかし次第に、「ついに臆病風に吹かれたか」と言う嘲りの言葉に変わっていく。

 何故ならアデナウアー子爵の愛馬は、その発言の発端となるマスケット銃に撃たれて倒れたのだ。



「静かに」

 謁見の間に小さな声が上がった。

 上がった声音こそは小さかったが、その重みをこの場にいる者が知らぬわけがない。なぜならそれを発したのが、彼らの君主であるゲプフェルト王国の国王陛下だったからだ。

 ゆえに喧騒は波が引く様に一瞬で収まった。


 再び静けさを取り戻した謁見の間で、国王陛下はなんと宰相を通さずに直接、臣下に話しかけた。これは即位して初ではないかと言うほど、記憶が無い出来事である。

「アデナウアー子爵。そなたは退役してなんとする?」

「はっ! 私は戦以外には何も知らぬ人間です。

 これから何が出来るかを探そうと思っております」

「ふむ。宰相、最近蛮族を撃ち平定した西部の土地を持て余していたと、余は記憶しているがどうだったかな?」

「はい。国王陛下の仰る通り、恥ずかしながら新たに領土に加えた西部の国境付近の土地は、まだ治安が安定しているとは申せません」

「よかろう、アデナウアー子爵の褒賞を決める。

 現在のアデナウアー子爵家の土地は国の管理下に置く、代わりに新たに西部の土地を封地することとしよう。

 アデナウアー子爵よ、そなたには五年の間アデナウアー子爵領で得た金を支援金として与える。その間に治安を回復しみごと新たな領地を治めてみせよ」

「国王陛下、恐れながら申し上げます。

 西部の土地は子爵位としては、いささか広すぎますかと……」

「そうであるか。ならばアデナウアー子爵よ、そなたに伯爵位を授ける。

 以後、シュリンゲンジーフ伯爵を名乗るがよい。他の褒賞については後ほど宰相より申し渡す。以上だ」

 オオッと謁見の間が再び揺れた。

 退役が認められたばかりか、新たな領地と爵位まで賜ったのだ。

「畏まりました。

 準備が出来次第、土地を返還。新たな領地へを赴きます」

 この様にして新たにシュリンゲンジーフ伯爵が誕生した。







 戦争の功労者の謁見が終わった。

 終わったのに……

 アデナウアー子爵改めシュリンゲンジーフ伯爵への褒賞について話し合う会議が、もう幾日も連日の様に行われていた。

 実はその他の褒賞について、あの場で国王陛下は明言しなかったが、すでに腹の中では決めていたらしく、謁見が終わるやそれを宰相に伝えて「早急に準備せよ」と言って自室に戻って行った。

 国王陛下のお言葉であるからそれは絶対だ。

 宰相はすぐに準備に取り掛かった。


 お金に家畜、戦争を終わらせたと言っても過言ではない英雄ゆえに、その量は凄まじい。だがこれらは国庫を開ければ対処できる程度・・・・・・・のものでしかなかった。

 たった一つ。とても手配が困難なモノが存在していたことで、こんな時間になってしまったのだ。




 最初の頃、宰相は軽い気持ちであった。

 自らの執務室に貴族省の長官を呼びつけて、

「よいか今から言うことは陛下の勅命である。

 いまだ独身のシュリンゲンジーフ伯爵に適当な伴侶を宛がってくれ」

 これで宰相じぶんの責務は終わった。あとは貴族省長官が彼の年齢あたりから適当に候補を上げてくるはずだ。そして自分はそれを選ぶだけだと高を括っていた。

「はぁ……」

「何か?」

 気の抜けた返事が気に入らなくて宰相は目を細める。

「失礼ながら宰相閣下は、社交界でのシュリンゲンジーフ伯爵の噂を知っておいでですか?」

「いや聞き及んでおらん」

「シュリンゲンジーフ伯爵は今年で二十九歳です。

 一般的な貴族令息の適齢期より五年ほど遅れております」

「それは軍属の者なら普通ではないか?」

「ええおっしゃる通りです。

 しかしシュリンゲンジーフ伯爵は先ほど退役されたとお聞きしています。もはや軍属の者とは呼べますまい。

 それに……」

 と、貴族省の長官は言い難そうに言葉を濁した。

「なんだ、気にせず申してみよ」

「シュリンゲンジーフ伯爵は熊の様な容姿をしておりまして、令嬢らは彼を大層怖がっております。社交界でのあだ名は、〝人食い熊〟です。

 賭けても良いですが、彼の妻になりたいと言う令嬢はどこにもおりますまい」

 聞いたあだ名と彼の容姿を思い浮かべ二つ並べてみれば、「確かにな」と、宰相は納得してしまった。

 彼の容姿はとぼけた人形の〝熊さん〟ではなく、〝灰色熊グリズリー〟である。普通の令嬢であれば悲鳴を上げて逃げだすだろう。

「しかし陛下の勅命だぞ。無理にでも選抜して貰わないと儂も困る」

「分かりました。

 シュリンゲンジーフ伯爵は伯爵位ですから同列の伯爵か子爵が相応しいでしょう。それらの中から年頃の娘を持つ貴族に宰相閣下の名・・・・・・で打診いたします。

 それでよろしいですか?」

「それでよい。決まったら報告を」

 最後に責任を押し付けてくる辺りは気に入らないが、そもそもは陛下の勅命であるから仕方あるまいと、宰相は返した。

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