8✩樹下の魔法
「はぁ。ご主人様に会いたいなぁ」
ソラは寮の前を自主的に掃き掃除しながら、正直にひとりごちた。
三組合同となるのは『決闘術』のクラスくらいで、ソラも
寮同士には伝統的な対抗心があり、断交的だった。特に星の寮は『孤高』の気質があるといい、訪れようにも誰も相手をしないのが常だった。
入学して以降ずっとてんてこ舞いだったが、ようやく山場を越えつつあり、それに先ほどの話からグリンデルフィルド伯を思い出してどうにもソラは里心に駆られた。
ご主人様について、失礼ながら友人はできそうもないと思っていたが、寮内でも一目置かれソラより余程馴染んでいるようだった。
(そうだ……学期休みはどうするんだろう。それくらいは同郷として聞いても)
学校は間もなく学期間の長期休みに入る。原則的に天空出身者は家に帰り、地上出身者は寮に残るはずだ。ところがソラはルキウスから王宮へ招待を受けていた。恐らくご主人様も同じだろうが、それを承諾するか断るか、両方有り得る。ソラの見るところ、不思議とルキウス王子とは馬が合うようで、でなければ昼食を一緒に取っているのを見かけたりするはずがない。今ではすっかり、大食堂のバラ窓に面したある一卓は二人以外誰も座らなくなっていた。
と、塵をまとめているところ、美少女が歩いてくるのが見えた。長い黒髪に切長の目、女性らしい完璧なプロポーション。
「あ、ヴィシュラ様。おかえりなさいませ」
『様』を付けるのはソラだけではなかった。特に地上出身者は全員が付けている。地上では最も権威ある元王族なのだ。
「あの……お体は大丈夫でしたか」
ソラは心配げに言う。防具がいなしたとはいえ、通常なら肋骨が折れていてもおかしくない。少なくとも彼女が尻餅をつくのは初めて見た。
「ローディスの召使い……」
すっと目を細め、
ビュッ
「ひぃっ!?」
風を切って、脚が飛んできた。回し蹴り。ソラはしゃがんで間一髪避け、おみ足を見上げた。スリットドレスから直角を成す、美脚。ソラを赤い瞳でちろりと見下ろすと、何事も無かったように足を下ろした。
「掃除は皆が寝静まってからにでもなさい。埃が立つでしょう」
「は、はい」
ソラは扉を引いて見送った。面と向かって会話をするのは初めてだったが、眺めていたそれとは随分印象が異なった。万事聡明の上控えめで「お姫様」らしく、ソラは密かに憧れを抱いていたが
「なんか既視感がある……」
✩
「トゥル・オーダル・
ソラは杖を振ってみるが何度唱えようと何事も起こらない。
まずかった。まずマズイのは間違いない。
明日は太陽クラスの基幹授業、の期末試験だ。
魔法力学・浮遊術・野外演習。これら三つを組み合わせた『総合的な試験』だというが、魔法なしで合格できるだろうか、いやできまい。だというのにソラはそこまで悲観的になっていなかった。
一学年前期授業は理論中心で、実技は選択科目が主だった。魔法には系統の得手不得手があるらしく、苦手の克服より得意を伸ばす方針が全体としてあった。その為ソラはなまじ座学でなんとか乗り越え、今日は褒められさえして気持ちが高揚していた。
現実逃避気味だったのだ。
深夜に寮の扉前、もう掃き掃除は終わってしまった。しかし寝てしまったらなんの解決もなく明日を迎えることになる……さりとてどうにもできない。夜空に星を見上げると、あの金色の瞳が答えてくれるような気がするのだ。
「どうしよう、ご主人様……」
首輪の石をさする。その時、ひらりと何かがソラの頭を撫でて地面に落ちた。黒い、いや茶褐色の羽だった。手を伸ばそうとするとそれは自分で起き上がり、羽ペンのように地面に文字を書き綴った。
《
「え」
驚く間もなく羽はひとりでに浮かんで、動き出す。
ソラは慌てて箒をつかみ、追いかけた。
学校の広大な敷地の、丘の上。一本の樹の下。黒い人影に気がついてからは全力で走って羽を追い越した。
その目の前でぴたりと立ち止まって途端胸が苦しくハァハァと息を荒げる。
「遅い」
少し不機嫌そうに、理不尽に言うのがソラのご主人様だった。
「トゥル・オーダル・モルスケルタ・ホーラインケルタ ソラ・スコウパ・リベルタス」
途端。ソラの下の地面が金色に光った。ソラを中心に据えた、これは魔法陣。円形とその中の図形の線が、文字が、金色に輝きその中でソラは温かい光に包まれた。
(教科書で見たよりずっと複雑な式……)
間もなくして何事もなく光は失せる。何も起こらなかった。
「今のは……?」
「そこに座れ」
問いには答えられず、しかしソラは従って箒を立てかけ樹の下にしゃがんだ。
「少し疲れた」
そう言って、ジークは足を組んで寝転がり、ソラの膝を枕代わりにした。
(え、ええ。な、なんでなんで)
ソラは内心ちょっとしたパニックになった。膝の上に預けられた頭の重み。険しいけれどごく綺麗な顔立ち。見上げられて、血が上る。たぶん自分の顔は赤くなっているはずで、暗くて良かったとソラは思った。
(したことあったっけ……ない。なんで急に。こんな普通に)
少し落ち着くと次には余計な疑念が生まれてしまった。星の寮から飛ぶ黄色い声援。『ご主人様』と……寮ではどのように過ごしているのだろう?
(なんかイヤ……)
しょぼんでしまって、でも何も言えずとりあえず空を見上げた。瞬く星。
「
星に話しかけるように、そう呟いていた。
「その時は“英雄”じゃなかったんだって……」
「それはそうだろう」
ふっと笑うような響きが下からした。ずっと近い声に、ソラは胸が詰まった。
「もし……もし、お父様がスバルの思うような人じゃなかったら、」
全部なくなってしまうのだろうか。それに近い、言語化できない不安が渦巻いた。
「何を言っているか分からないが、お前よりは幻想を見ていない」
「え?」
「父上はいい加減だったからな……引き継いだ時の領地管理のざるさにはうんざりした」
ソラは驚いた。唯一絶対的に崇拝しているのが『父上』だけだと思っていたのに。
でも、その声はアウレス教官のように親しみと、変わらぬ敬愛が込められていた。
ソラはおそるおそる膝上に視線を戻してみた。
眉間の皺が薄くなった気がする。への字だった口元も今は僅か逆に上がっている。
(ご主人様、まるくなった……?)
きっとご学友に囲まれて、年頃の若者らしく自分のことだけを考え過ごすことができて……
ソラはジンとした。これで良かったんだ。あの時ご主人様を半ば無理にでも連れ出してくれて――
「ありがとうございます、ルキウス様……」
「なんでそこでルキウスが出てくるんだ」
(名前呼び……! やっぱり仲良くなっているんだ)
少し尖った声にも気にせずソラは喜んだ。それでそのまま思い切って提案してみる。
「あの、もし……明日最後の試験を無事あたしが合格できたら……」
「王宮に、一緒に行けたらいいな、て」
たぶん寮よりは、近くで過ごせるはずだ。
しかしそれには答えず、ジークは体を起こした。
「ソラ。明日の試験、蛇女に負けたらグリンデルフィルドの地を踏めると思うな」
それはもう、“ご主人様”の声だった。なんだか魔法の時間を過ごしていたようだ。離れた背を見つめながら、ソラも立ち上がった。そう答えるしかないのだ。
「はい、ご主人様」
でも
(蛇女……?)
「それってヴィシュラ姫だと思うよ」
翌朝、朝食の席でオタクが教えてくれた。ちょっと周りを見渡してから声をひそめる。
「上級変身術のクラス、ボク取ってるんだけど」
オタクの三つ目の選択クラスだ。彼の家系的に最も得意とするらしく、選抜の合同クラスである“上級”の方に振り分けられたそうだ。
「ヴィシュラ姫が英雄ローディスのことを裏切り者って言って、ジーク卿と喧嘩し出してさ……それで、終いには大蛇と大鷹になってやり合って、二人とも一週間の謹慎をくらったんだ」
どこかにんまりしてオタクはしめた。
「これ言いたかったんだけど……“秘密”だよ」
「だからあの試合はクラスに出ていた人にはちょっと面白かったよね。授業では止められた喧嘩の続きみたいで。ヴィシュラ姫は食い気味で仕掛けてたしジーク卿も容赦が無くてさ」
「そうだったのね……」
ソラはあの試合を肯定的に見ていた。王子への事故的な攻撃の為に槍玉に上がっていたヴィシュラだったが、結果的には非難の矛先はジークに向かったため、王子と同様に「実はいい奴」説を推していたのだ。しかし聞くに私怨だったらしい。
「でもここだけの話………“星の主人”の方を応援しちゃったよ。ただスカした天才だと思ってたんだけど。たまたまそばにいたから聞こえたんだよね。初め取り合わなかったジーク卿が、」
オタクは今度は演出的に声を一段落としてソラに告げた。
「君への侮辱で席を立ったからさ」
(ご主人様……!)
ソラも胸は熱くなったが、同時にオタクが匂わすような特別な意味はないことも理解していた。
ご主人様というのは、自分はさておき人が弱い者イジメをするのは許せない性分なのだ。悪しきを挫く為に立ち上がる――英雄ローディスの崇高な魂を引き継いで。
それでソラは『太陽の姫』に目を付けられた理由を知った。そして
『負けたらグリンデルフィルドの地を踏めると思うな』
とんでもない命令を受けてしまったことに気がつきフォークが手ごとガタガタ震えた。
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