7✩太陽の姫

「神、デウス。人、ヴィア。船、ナビス。大地、テラ」

「世界は一本の樹から生まれ、九の枝を大地に差し幹をくり抜いて船を作った……」

「ヴィタ、生。モルス、死。パレ、過去。フゥトゥルー、未来。命じるものの原初の名を知れ」

「呪文の強度は自身の事象の解像度による。花を赤くするとき変えるのは花弁の色素か光の屈折か唱える文言は己の意思の依代に過ぎぬ」



 太陽寮にはお化けがいた。朝一番早く夜一番遅く通り過ぎても、ダイニングテーブルの片隅には本を広げてブツブツ言い続ける女の子の幽霊、、がいる。皆はじめは気味悪がったがそのうちに日常風景となり、学期末となると気まぐれにカカオミルクやザクロアメのお供えをするものもいた。


「せいがでるね、。月や星に比べて太陽は熱血型が多い気風らしいけど、いい名物になってるじゃないか」


 目の前でオタクがドーナツを貪りながら見物している。


「ボサボサ頭に目の隈、授業時間以外は勉強勉強。おめでとう、“ガリベンチャン”はボクは悪口じゃないと思っているよ……」


 幽鬼のごときソラだったが、目は爛々らんらんとしていた。

 屋敷の床も一人で掃き出せばキリがなかった。日の出とともに始めて皆寝静まるまでしても、翌朝には時間が巻き戻ったように汚れや塵がどこかしらありまた繰り返した。ソラにはそれしかできなかった。皆親切にはしてくれるけど仕事を教えたり任せることはなかった。皆手一杯で、館の主がいなくなってからソラは『お嬢さん』なのか『居候』なのかも誰も判然としなかったのだ。

 一人一人と辞めていく中、しかし『メイドのソラ』にしてもらい『ご主人様』と呼ぶようになってからは、使用人たちの輪に次第に入り、ソラは屋敷の一員になっていったのだ。


 ページは捲るほどに進んで戻らない。ずっとずっと捲っていけば、いつかのあの小さな背中に追いつけるような気がした。



「ソラ、今日は決闘術クラスの『期末試験』じゃないか」


 その言葉に、ようやく気がついたようにソラは顔を上げる。オタクがニヤッと笑った。


「がんばれ、ソラ。太陽のホシ――って変かな」



  ✩  



 決闘術。


 それはソラの望むところで、唯一魔法を使わなくいい実技科目だった。

 剣を持つ。 

 石板の敷き詰められた正方形の盤上で行う一対一の対人戦。

 無論模擬剣で魔法防具をつけてだが、とにかく勝てば勝ち。

 

 教官は、白い顎髭の退役軍人、アウレス。授業を受け持つ中で唯一『賢人』の称号を持たなかった。


「なるほど野蛮、その通り。なるほど平和、その通り。正論を翳すつもりは毛頭ない。剣がけいらの必要とならんことを願う。だが残酷の淵に立つ時、剣は真の友と知るだろう」


 傷跡の残る渋い顔、しゃがれた声でそう言うのだった。授業の初期こそ礼儀や作法、基礎体力づくりに剣術などを教えたものの、それはほぼさわり、、、だけで、実戦重視が教育方針だった。もとよりこのクラスを選ぶ者たちがその素養と経験がある者が集まっていることも大きい。


 つまりただのメイドのソラが太刀打ちできるものでもないのだが――


「ディ・モールトベネ! 勝者、ソラ!」


 カァンと剣を弾き上げてソラはふうと汗をぬぐう。見物に来ている観衆がパラパラと拍手をした。

 どうして中々、ソラは好成績を上げていた。

 基礎練習の時から兆候はあったが、どうやらソラは持久力や足腰の筋力で言えばかなり鍛えられている方のようだった。グリンデルフィルドは広大だ。朝から晩まで働きづくし森や山にも分け入っていたソラは、先ず教官が大部分の生徒を挫かせた耐久走や筋力トレーニングにもへこたれなかった。そうして技術で言えば、


「さすがです! ご主人様」


 『一位』から直々に、三日と置かず、巻藁まきわら代わりにいじめられる日々を送って育ったのだ。抜き身から一閃して剣を戻す、剣舞のように滑らかな一連の所作に惜しみない賞賛をソラは送った。これには観衆の一角からも反復するよう熱い声援がわく。


「「さすがです! 」」


 揶揄されているわけではない。いや、初めはそうだったかもしれないが、何事にも卓越した能力を示すジークに星の寮では一部の熱い支持者ができていた。取り巻きともいうのかもしれないが、当のジークは一瞥もくれない。そんな横柄な態度も『敬称』をハマらせた。


 トーナメント戦形式での演習、屋外、そして一学年の《各寮首席》と目されるが揃いぶめば、自然、寮対抗の熱気を孕んだ観衆ギャラリーが生まれていた。


「次の試合の勝者が、“星の主人”との決闘ですわね」


 艶やかな黒髪に緋色の瞳をした女生徒が、ルキウスにうやうやしくお辞儀する。


「不肖ながら胸を借りるつもりで挑みますわ、殿下」

「そう言って僕を油断させるつもりだろう、ヴィヴィ。甘いぞ君の実力は折り紙つきだ」


 ルキウスは笑っておどけた。

 月・星・太陽の各寮に『今年は異例』と賢者たちをこぞって唸らせる三人がいた。各寮の生徒達は持ち上げて称する。

 

“月の王子”、ルキウス

“星の主人”、ジーク

 そして

“太陽の姫”、ヴィヴィ・ヴィー・ヴィシュラ。


 ヴィシュラ家は東方大地に基盤を持つ元王族で、帝国には最後に加盟した。その「姫」がナヴィスデアの学校に入学したことを政治的な目で見る者もおり、王子の婚約者の有力候補とも言われていた。十五歳とは思えぬ艶やかな美少女で、独自に発展した東方魔術の継承者であることもその説を押し上げる要因だった。


 その王子と姫が剣を持って対峙する。準決勝にはなったが、見る者によっては一番の目玉の一戦だった。ワアアアと観衆が沸き立つ。


「始め」


 変わらぬ落ち着いた一声で火蓋は切って落とされる。 

 

「トゥル・オーダル・グラキエス 氷よ纏え」


 詠唱によってパキキとルキウスの剣は冷気に覆われる。

 それがコツンと床を叩くと石版に氷が張り、伝搬するようにヴィシュラに向かっていく。たちまち足場の四方を氷で固められ、立ち往生するうちにルキウスは「魔法」で決着するものと思われた。が


「トゥル・オーダル・フランマ 燃えよ」


 氷の上を炎が滑り燃え溶かす。二人とも当然の小競り合いのように動じなかった。剣より遠く弓より近い開始の距離は、それが「魔法使い」の間合いだからだ。当然魔法が正攻法になる。


 そして、動く。


 ヴィシュラは走り、その前衛となるよう幾つもの火の玉が先行した。

 それが鋭い小刀に変わりルキウスに向かって行く。彼女自身の姿は消えルキウスは一瞬目を細めて振り返る、と同時に背後に現れた剣を受けた。パキキキ 正面からの小刀は氷の盾で阻む。ルキウスの剣と交えた剣は凍りつき、ヴィシュラは手を離した。カツン……と剣が床に落ちる。歓声が上がった。ルキウスは剣を収め、床に落ちた剣を拾って差し出す。


「良い戦いをありがとう」

「光栄ですわ」微笑んで受け取った時、


 トス 


 解かれた氷壁を抜けて小刀が背に刺さった。ルキウスの魔法防具が青く光る。小刀は失せヒラリと白い紙が落ちた。


「そこまで。勝者、ヴィヴィ・ヴィー・ヴィシュラ」

 

 審判アウレスの声に、非難の罵声ブーイングが飛ぶ。動揺して抗議した。


「いいえ、先生。明らかにわたくしの負けです。この術は半自動で標的に向かうのですぐに解除できず、わたくしの至らぬ制御力がゆえです。既に勝負は決した後にこのような騎士道精神に反する行い、認められません」


「この試合において、認めるか認めないかは私が決めることだ。二人とも、礼」


「でも――」

「僕の負けだよ、ヴィヴィ。紙を媒介に効果を持続させるなんて素晴らしい術だ」

「申し訳ございません、殿下……恐れ入ります」


 ヴィシュラは深々と頭を下げ、ルキウスも礼をして試合は終了した。

 ざわざわとどよめきは続いたまま、試合は決勝に入る。勝ち上がるほど連戦になるが、これも体力・魔力配分を含めた決闘演習とアウレスはした。


「ローディス対ヴィシュラ、礼」


 ヴィシュラが剣を抜きざま振る。まだ一歩も動かない離れた間合いで、ジークは虚空を剣でいなしそのは床にそれた。バシュッ ヴィシュラの姿がまた消える。が、バチッと弾く音がして、ジークの至近に現れたと同時に剣で払われヴィシュラは膝をつく。ジークの脚が引かれた。皆目を見開くかつむるかした後、バキッと嫌な音がした。ヴィシュラの体は、場外に落ちた。シンと場が静まる。


「さすがご主人様、えげつない……」

 

 ソラはもう一つの準決勝で一撃のもと負けた鳩尾を押さえて呟く。

 魔法防具が全ての衝撃を受けて判定の光に変えるので実際に怪我となることはないが、そうでなかったとしても容赦しないのではないかとどうもソラは思った。場外で防具は赤く光る。


「勝者、ローディス」


 こうして、ものの五秒で最後の決着は付いた。

 拍子抜けの間の後、歓声は上がることなくヒソヒソと異様なざわめきが伝搬する。


《あれが“英雄の子”?》

《騎士道どころか》

《野蛮》

《流石に女の子が可哀想》

《所詮は“咎の血”か……》


 ソラと同様、心棒者ですら黄色い声を上げるのは憚られた。なよやかな美少女が場外まで蹴り飛ばされうずくまっているのを目の前に。


 突如、頬にヒヤリと冷たいものが当たる。雪片だった。ひらひらと、闘技場と観衆の上に落ちてくる。夏の雪。それだけで幻想的で、更に七色に色づいて舞う。


「健闘した相手と自分、無事にこのスパルタ・クラスを乗り切った僕らに願わくば拍手を!」


 雪に目を奪われていた全員が、ルキウス王子の声にハッとして手を叩き出した。

 大きな歓声に包まれて、こうして『決闘術』の前期クラスは終了した。



  ✩



「実に良いベネ


 アウレス教官はいかめしい顔で講評を述べ授業を終えた後、上位三人を呼び出した。


「特にルキウス殿下、ローディス、ヴィシュラ。諸君の魔法決闘術は上級生にも引けを取らん」

 

 ソラは教官への質問でクラスに残っていたため、それを耳にしていた。


「その意思があれば、六等星試験に推薦しようと思うがどうかね」


 六等星試験。合格すれば『騎士』の称号を得る。

 通常は三年生以上が受験資格を得て、卒業までに合格すれば身分によらず王宮勤めも可能なエリートコースが約束される。実際にその道に進まずとも『力を有する』名誉的な資格も兼ね、閲覧可能な書物や立ち入り場所の規制を通す身分証にもなった。


「勉学を究めるにも役立つだろう。かの英雄、、、、も通った道だ」


 アウレスが意味ありげに視線を送り、ジークは軽く頷く。

「勿論僕も」ルキウスも首肯した。「面白そうだしね」


「わたくしはその資格足るか、考えさせてくださいませ」


 ヴィシュラだけは迷うそぶりだった。

「宜しい。危険も伴うので各々で判断するがよい」


 アウレスは頷き、三人は解散した。


 ソラはその後で見計らって、アウレスにおずおずと近づいた。


「先生、その……あたしも、合格でしょうか」

「試験か? 無論。最後まで離脱しなかった、その全員が合格だ」


 ソラはほうっと安堵のため息を吐いた。そんなソラを見てわずかに教官の鋭い目が緩む。


「ソラ・グリンデルフィルド、よくやった。実際のところけいが最後まで立っているとは思わなんだ……まさか一切の魔法を使わずこのクラスを終えるとは」

「生身で熊に向かうが如き勇猛さと敏捷性は、驚嘆に値する」


「や、そんな」ソラは照れた。どのクラスでも褒められることは滅多にない。 

「それに魔法を使ってないならご主人様……ローディス様だって」


「まさか」カラカラとアウレスは笑った。

「あの者こそ最も魔法に愛された使い手じゃろうて」


「え?」ソラは試合を思い返すが分からない。一つの詠唱も超常現象も無かった。


「数秒先を視ておった。剣は強化弱化の気に満ちて、どんな大男の一振りでも弾いただろう」   


「“星”の能力は、騎士としても大局を予言し戦術に重宝されるが、まさか戦闘即時に用いるとは……。真似してできるものでもない。身体化するまでの練度は、もはや固有能力と言えるじゃろう」


(よく分からないけどさすがご主人様……!)


「いやはやローディスのせがれとは思えん。トンビが鷹を生んだな」

「え」

「む。」


 ぼやいたアウレスは口をつぐんだ。


「ご主人様のお父様のことですか?」

「むぅ……」

 きらきらした空色の瞳からそらせず、あきらめて孫に見せるような少し和らいだ表情になった。


「同期じゃった。同じ地上出身組でな。今でこそ英雄と言われているが、学生の時代は……まぁ『落ちこぼれローディス』があだ名じゃったよ」

 ソラは驚いて目を丸くする。しかしアウレスの言葉はそれでも親しみと敬愛が滲んでいた。

「魔法使いのくせに人の寿命で死におって……グゥ」

 と晴れた空を見上げてソラには背を向ける。


「もう行け。今の話、せがれには聞かせるでないぞ」 


 ソラは神妙に頷き、そっと立ち去った。


   

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