6✩双頭の首輪

「ご主人様。あの、これを」


 ソラはおずおずとポケットから金貨の革袋を差し出したが、ジークは見るそぶりもない。


「それは君の分だよ、ソラ。ジークは屋敷の全員に分配したんだ。君の今までの給金だと思って受け取ればいい」

 ルキウスはウィンクした。

「ジークって、悪ぶってるけどいいヤツだよね。なんとか友達になりたくてまとわりついているとこさ」


 ソラは目頭が熱くなった。偉大な父の功績や人格に隠れ評価されることはなかったが、十歳の少年の内から領地を守り責任だけを受けてきたのだ。領館こそなくなってしまったが、ようやっと帝国の王子に認められる誉れを受けて、故グリンデルフィルド伯も微笑んでいるに違いない。


「坊っちゃまを宜しくお願いします……」


 唐突に感極まったソラにルキウスはちょっと驚き、ジークは気持ち悪そうに眉をひそめた。


「あ、ご主人様。これでお掃除道具を買ってもいいですか。日課だったので落ち着かなくて」

「勝手にしろ」


 ジークはクシャとサンドイッチの包みを潰すと立ち上がる。


「ジーク、レディにする振る舞いじゃないぜ……ほら、ソラもかけて」

「いえ、一緒のお席に着くのはちょっと」


 パチン


 ルキウスが指を鳴らすと赤い液体の入ったフルートグラスが二つ、目の前に現れた。

「ザクロ・ジュースの炭酸割りだ。魔力脈の流れをよくし勉強疲れに染み渡る。――座りたまえ、


 にこやかなのに有無を言わせない圧を感じ、ソラはすごすごと従った。



「君たちを見ているとやきもきする」


 テーブルを挟んでジークとソラと向き合い、ルキウスは指を組む。


「特にジーク……ソラを突き放すそぶりをしながら縛り付けるのはやめたらどうだ」


「お言葉だが殿、俺にはこいつに構う義理はもうない」

「ふむ。それなら」


 ルキウスは立ち上がって屈み、ソラの首に手を伸ばす。

「ふぃっ!?」

 ソラは変な声が出た。長い指が首輪ごしに喉に触れている。

「触るな」

 鋭い声がそれを制した。指を離してルキウスはため息をつく。


「この首輪は外してあげるべきじゃないか。――双頭の鷹、ローディス家……家紋だ」


 黒革で目立たないが押された刻印に目を細める。


「俺じゃない」

 

 ジークは仏頂面のまま、ソラの髪束を掴むと後ろ側を捲りあげた。


「ふぁうっ!?」


 ――さっきからもう……止めてほしい。そんな泣き目のソラに構わず二人はものものしい雰囲気を続行する。


「留め具がない」

「なんだって? じゃあどうやって――まさか、?」

「ソラを見つけた時にはもう付けていたそうだ……赤子の首に」

「――つまりこれは、明らかに魔法具だ」

 緊張を孕む。ソラにも初耳だったが、そういうものだと思っていたので、さほどの不思議は分からなかった。

「するとこの宝石は魔法結晶だな……こういうたぐいは王宮の武具にもある」


「呪いや封印、術式の魔力効果を留めるためにある」 

 

 沈黙が落ちた。


 やがて迷いがちに王子が口を開く。


「賢人に調べてもらおう。明らかにおかしい。生まれたての赤子に“首”なんて、呪術的束縛が強過ぎて“祝福”ですら避ける」


「それを父上が知らなかったと思うか。紋章すら押している」


 王子は口をつぐみ、しかし柳眉の端を僅かに上げる。ジークは冷静な口調のまま続けた。


「外せない、あるいは外さなかった理由があるはずだ」

「それを知らないままでいいのか」

「知ったお前らの下す判断は、ソラを必ず守るのか」

 二人は見合う。静かだが、揺るぎを見せぬジークの金色の瞳に先にルキウスが折れた。


「……一つ聞くが、ジークは知らないんだな」

「父上がソラを娘のように思いやっていたことは知っている」


 ルキウスは軽く手を上げてみせた。

 

「分かったよ……しかしどうしようか。ソラの魔力はそれに阻害されているのかもしれない」

「ない。それが結果だ」


 そう。差し当たっての問題はそれだけだった。蚊帳の外にいた当人は、その明白な答えの部分に改めて落胆した。でも


(たぶんこの首輪を外そうとないものはないと思うんだけど……)


 二人は首輪これのせいでハンディキャップを負っているような口ぶりだが、ソラの体感としてはソラ自身の資質に問題がある気がした。外したくらいで急に頭が良くなるとは思えない――魔法は思っていたよりずっと“勉強”だった。ソラの苦手とする。

 埋まるはずのない紙束に目を向け大きなため息が出る。


「や、ソラ――大丈夫だよ、僕達がついてる」

 

 ルキウスはハッとして、ソラを安心させるよう笑顔を向けた。たぶん宿思い悩んでいるとは思わずに。


「僕?」


 ジークは冷たい視線を投げる。

 

「ソラが退学になって、もし地上に帰すことになったとしたら――厳重な身体検査を受ける。“出る”のはかなり厳しくてね……卒業して『魔法使い』になるまでは魔法具を持ち込めない。例え親の形見でも」


 今度はルキウスの勝ちだった。ジークは琥珀の結晶に物憂げな眼差しを向ける。ソラも申し訳ない気持ちになった。

 伯爵の持ち物はかなり少なく、遺したものといえば大量の書物くらいだった。伯爵の存命中から変わらず今もある『品』といえば、確かにソラの首輪くらいのものだ。


 ソラは一つ謎が解消された。

 余分な食い扶持にしかならないソラに冷たく当たりながらも領館から追い出さなかったのは、きっとこの首輪の為だろう。自分では見れないソラよりも、ずっと目にしてきたはずだ。まだ『子ども』でいられた幸せな頃から。

 ソラにとっても、それは顔も知らない親よりもずっと、『親子』だった三人の絆を示す形見だった。

 それに気がつき、ソラも首元に手を当てる。退学は――できない。たとえ『足手まとい』になっても。


「解けないんです……宿題が」


「解けない?」ジークはソラが差し出した紙束を一瞥する。

「書いてあるだろう」パラパラとそれをめくると、不思議なことに、羊皮紙の上の数列は動き出し押し合いへし合い並び替えあっては最後は一様に ∴ を前につけた数字になった。ソラの前では文字のように動かなかったのに! ひゅう、とルキウスも口笛を吹く。


「君って天才か? まずいな騎士にするには惜しい」

「並べ」


 命じると、三つの三角点《 ∴ 》を回収しもう一度いそいそと動き出す。今度は幾つもの( )で区切られ列になり改行し整列した。まるで玉になった糸も糸であるように、それは同じものなのだろう。


「見やすくした。それで分からないならに聞け」

「これなら大丈夫だよ」ルキウスは請け合う。

「参ったな、首席は無理そうだと王宮に報告しないと。なるほどジークの家庭教師は稀代の英雄か」


 恐らく違うとソラは思った。幼い頃は平等に接する卿のもとで兄弟のように過ごしたが、魔法の魔の字もなかった。グリンデルフィルド卿が亡くなった時、ジークはただ一人涙もこぼさなかったが、葬儀も全て済ますと卿の書斎にこもった。幾日も……食事も取らず。分厚い本に敷き詰められた小さな文字をがむしゃらに追うのを誰も咎められなかった。まるでそこに亡き父の言葉を探すようで。思えばあれが、魔法書だったのだろう。

 そしてとうとう書斎を出て、その瞳の暗さを見た時にソラは悟った。もうソラたちの子ども時代は幕を降ろしたことを。ソラの好きだった星の瞬きは失われてしまったのだ。

 


  ✩    



 魔法史、古代語、《決闘術》。


「うわ、ソラ――まさか、“騎士”志望なのかい?」

 

 用紙に最後に記した文字を覗きこみ、オタクは驚きと、非難めいた声を上げる。


「君はそんなミーハーじゃないと思ったのに。例年決まった騎士家門の子くらいしか選ばない不人気科目だったのに、今年はルキウス王子が選択を明言したからってどうしようかこうしようかとそこらで言っている。それまで女子の目には見えない字で書かれてるんだと思ってたけど」


 ソラもできれば避けたい方の『女の子』だったが、の薄そうな科目は他にこれくらいしかなかったのだ。可能な限り努力と独力でなんとかなりそうなものを選んだ結果だった。


「ルキウス王子も自分の影響力を知っていて明言するあたりどうかと思うな……。学生のうちに親衛隊でも作る気かな。正直学校にそういうのを持ち込まないでほしいけど」


「オタクって、目の前じゃ逃げるようなのにかげでは強気なのね」


「置いて行ったのは悪かったよ……。でも誓ってボクはかげで君の悪口を言ったりはしないから。どんなに“オトコズキ”でも」

「オトコズキ?」

「気にすることない。そういう言葉を発するだけで自己紹介みたいなものさ。まともにするために来たやつだけ相手にすればいい」  

 

 ソラは小さく唇を噛んだ。『ほとんど解答』の用紙を見せたら軽蔑されるのではないか。

 ソラはこの友人が考えるよりずっとずっと『ズル』をしてここにいるのだ。


 

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