9✩賢者の石
太陽の期末試験は『外郭の森』で行われた。この森は島を縁取るようにぐるりと一周しており、学舎である古城の裏手にも広がっていた。出口のない迷いの森でもあり、普段は立ち入りを禁止されていた。
「この結晶石を取ってくること」
説明はシンプルだった。
賢人ベクトルの掌の上には、小粒の岩石が乗っていた。
結晶石、と言われてよく見れば、ところどころルビーのように紅く透き通っている。
質問する生徒はいなかった。
『考えること。』これまで何十とその一言で返されてきたからだ。
この森のどこに 幾つ 時間制限は どうやって
ただ静かな緊張は走っていた。もしかしたら、『全員合格』分はないのではないか。
賢人たちは生徒ほど合格を重く捉えておらず、容易に落とす傾向があった。
『急がずともよい』なのだ。
ちょっとアカデミックが過ぎるとは度々言われている苦情である。
ソラはちら、と賢人がこちらに視線を寄越したのを感じた。いたたまれない気持ちになったが、賢人は特に何も言わず、ただ一言加える。
「始め」
生徒たちは互いの様子を伺いながらも、パラパラと森へ入っていった。
「ソラ? 聞いていい?」
オタクの問いは分かっていた。なぜ、授業に、試験に、森に、掃除道具を持ってきているのか――
箒を握りしめたままソラは首を振る。『ご主人様に言われたから』という答えがどれだけ間抜けかは分かっている。それでもソラ自身、スンとも言わない杖よりはこの相棒の方が余程役立つ気がしてしまったのだ。少なくとも蜘蛛の巣は払える。
「ラッキーアイテムです……」
「あっそ。まぁ、それだけ目立つ“持ち込み”に何も言われなかったし、お好きにどうぞ、だね」
呆れつつも、オタクは歩調を合わせてくれるようだった。
「森に一人で入るのは危険だし、考えた結果、チームってことでいいよね。少なくとも石を見つけるまでは」
ソラもこくりと頷いた。『宝探し』……もしかしたら魔法を使わなくてもいいかもしれない、と僅かに期待を抱いて。
「ルクス・灯せ」
ぼうっとオタクの杖先が光り足元を照らす。森は薄暗く、気味が悪く、ソラには少し懐かしかった。
「君も? 実はボクもなんだよね……森出身なんだ」
バササと羽音と遠くに悲鳴を聞きつつ、ソラとオタクは奥へ進む。
「でも実際考えはある? あんな小石をこんな森で探せ・て、無茶言うよ」
「鉱石は森のものじゃないから、意図的に置かれていると思うの。魔法を使わないと取れない場所とかに」
「鉱石か……森の外側は山岳地帯の筈だけど、さすがにそれはやりすぎだよね。一年じゃ死人が出るよ。トロールだっているんだから」
「そういえば、街では色々の種族を見たのに学校には人しかいないのね」
「魔法はヒトが作ったものだからね」
「ふうん」
(そういえばルキウス様って『神様』なんだっけ……)
空の上にいるのが神様だと思っていたけど、自分も空の上にいるので考えるとよく分からなくなっていた。空……『浮遊術』……
「あ、上から見てみるのはどうかしら」
「イイ線だけどボクはまだ自分を浮かせたことがない」君はどう? とオタクは皮肉をいう。
「考え方はいろいろ」
ソラは言って、そばの幹に飛びつくと樹皮を蹴り手を伸ばし一つ目の枝の上に踏み立った。
「ワォ」オタクは感心して見上げる。
ソラは次々に枝に手を伸ばして登って行った。ソラだってこれまでなら思いもしなかっただろうが、『なんとか結果を同じにする』癖が次第についていったのだ。ないものはないし、案外手段はあるものだ。
「池が見えるわ……人も」
辿り着くと、広い池の中央に小さな浮島のような足場があり、ポツンと小石があった。
その島から幾らか手前の水面がパシャパシャと波立っている。池の淵にいる生徒達が魔法で引き寄せようとしてしかし届かず、魔法の落ちた波紋だった。確かに呪文作用範囲としては遠く、木上から見えた時より人数が減っているのをみると諦めて他に行った生徒もいるのだろう。
「……泳いで行ってもいいかしら」
「ダメダメダメ!」
オタクがはしっと腰を掴んで止めた。まるで今にも飛び込まんとしたかのように。
「でも、」ルール違反的ではあるが、そもそもソラは正攻法(魔法)が使えないのだ。
「ズルって言ってるんじゃなくて、危険なんだ」
ソラは地上出身だもんね、と言ってオタクは水面を指す。
「こういう沼・池には“沼魚人”がいる。奴らは雑食で、知性はなく、集団で引きずり込んで……食う。地上ならまだしも池に入るなんて自殺行為だよ」
じぃっと見ていると、確かに時折り水面が揺らぎ人影が見えた気がした。
「うーん、じゃあ諦めよっか」
「結構見切りはいいね」
しかしオタクも同意して回れ右する。その時だった。ズゥンと木が倒れ込んできて、盛大な飛沫をあげて池に半ば浸かった。ギャギャ……と人ならざるものの声が響く。
ツカツカとそれに沿って歩いてくるのは、
「ヴィシュラ様!」
「あぶな。演出派手だなァ」
ソラたちがわきにどけると、
「奴隷と獣くさいわね……汚らわしい」
と鼻を歪めて過ぎて行った。
「いっそ清々しいよ」オタクは肩をすくめる。「なるほど木で距離を縮めるのか」
しかしそこを渡るには滑りそうなヒール靴を履いている。皆動向を見守っていた。
バシュッ
ヴィシュラはそのまま瞬間移動し、浮島に立った。
「ヒュウ。姫お得意の転移魔法だ。でも木を倒す必要あった?」
「5、10、20……足場が狭いから、《座標》を確実に測る為だと思う」
ソラは枝の数から距離を目算しつつ言った。
「君って意外と頭脳派だ」
「ズルするにも考えないといけないのよ……」
しかし圧倒的な実力差はいかんともしがたく。無念に箒を握りしめるのだった。
(これで叩かれるくらいで許してもらえないかなぁ)
ギャア
「キャア」
ただならぬ事が起きた。
ヴィシュラが拾いあげた鉱石を太陽にかざし、キラリと光るのを確認したと同時。
地上の三倍もあるカラスが黒羽を大きく広げて下降し、襲いかかってきたのだ。ギャアギャア、バサバサと執拗に攻撃を繰り返す。鋭い鉤爪と嘴。頭上からの至近の攻撃。ヴィシュラが杖を向けて噴出した光は翼にバシリと弾かれた。
「三つ目カラスだ……」
「オタク」
「ダメだ、遠い」
ガシィ、と頭を掴まれ、ヴィシュラは身を捩るがそのまま長い髪を引っ張られ、ズルリと足を滑らす。その足首を。ぬめる黒緑色の手が掴んだ。場が凍る。一瞬の時が止まった直後、ヴィシュラの体に何本もの緑の腕が伸びて掴み水の中に――引き摺り込んだ。
「いやぁああ……
――ポチャン
「オタク!」
ソラは箒を押し付け池に倒れる木の上を走る。木が沈み切る前に、飛び込んだ。
「ソラ!!」
藻の浮く緑がかった水中
禿げた毛のない灰緑の体 黄色に淀んだ眼 下半身は鱗に覆われ両脚がひっついている。
(早……く)
ソラは必死に水を掻いた。無情に遠ざかっていく。
生臭く腐乱した何かが混じる水
視界はたちまち遮られて、揺らぐ藻か人影か判然としなくなる
(お願い、お願い、ダメ)
無力を叫んでごぼりと口から泡沫が出ていく
ゴボゴボと
沈んでいく木の棒が目をよぎった ソラより疾く
掴む。
それは更に速くソラの重みを乗せて沈んで行く。深く深く一直線に……
緑の生物達の塊をまた目に捉える。そこに――突っ込んだ。
ヴォォ ヴォォ 茹で上げたような濁った目がソラを向く。
襲いかかってくるそれらにソラは木の棒を振り上げた。
ソラにはもう分かっていた。これは相棒だ。ソラの――
箒の穂でしたらめったらにハタき、振り払い、気を失った髪の長い少女の傍でグルグルと滅茶苦茶に箒を振り回した。息が。もう頭がかすんできて、ソラは、少女の手首と箒の柄をギュッとただ握った。
(上へ――)
箒はグイグイと水面へ向かって上がっていく。緑の生物達が、引き離されていく。
ザバァ
箒は勢いよく水面を飛び出た。ソラは勢いよく肺に空気を吸い込む。
同時にズシリと腕に重みが降りかかる。勢い余って空中に浮いた箒にぶら下がりながら、ソラはほうほうのていで地面に辿り着いた。地面――素晴らしき地面。
気を失った少女、ヴィシュラを横たわらせたまま、ソラは駆け寄るも口をきけないでいるオタクと目を交わした。あまりに驚いていたが、オタクは頷く。
ソラにはまだやることがあった。
箒の柄に跨り足で挟む。
(浮いて――いや、)
「飛んで!」
箒は飛び上がった。上空へ。ソラは不思議な感覚を覚えていた。
これはやるべきこと――というか、
鳥肌が立つような高揚。分かる。
(できるんだ あたしが)
直角に近くグイグイと上昇する 受ける風 初めて魔法都市に来たときの、初めて知った世界の広さ 開けた視界
――遠くに見つける、黒い鳥。
ソラが両手で柄を掴むと、グインと弓なりに力をためて弾かれたように向かっていく。
自分と同じほどの大きさもある怪鳥をソラは追いかけた。
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