金貨の雨を降らす聖女

ヴィルヘルミナ

金貨の雨を降らす聖女

 王宮の広場の中央で、絞首刑になった婚約者が風に吹かれて揺れていた。

 侯爵家の第二子であった彼の処刑理由は、異世界から召喚した聖女の愛を拒んだ罪。


「彼を降ろすことは出来ないの?」

 青い空の下、黒ずんだ木で出来た処刑台の高い柱に彼は吊るされていた。輝いていた金髪は投げつけられた泥で汚れ、美しい顔は見る影もなく。不自然な程伸びた首には、太い縄が巻き付いている。


 処刑が行われてから二日。両親の命令で監禁されていた私は、彼の最期に立ち会うことは許されなかった。


「このまま朽ちるまで晒すようにと……王の命令です」

 聖女の希望は全て叶えなければならないと示す為。そんなくだらない理由で彼の命は奪われた。

 吊るされた遺体の番人をしていたのは、彼の親友である騎士だった。いつも明るく笑う陽気な人だったのに、憔悴しきった表情で口を引き結ぶ。


「……花を手向けることを許して頂けるかしら」

「どうぞ。ただし、近づかないようにしてください。……そろそろ、落ちてきます」

 何がと聞かずともわかった。首に巻かれた縄のせいで、頭と体が分かれてしまうのだろう。


 彼が好きだった白い花を処刑台の階段へと置き、彼を見上げる。

 変わり果てた姿を見ても、私の愛は揺らぐことはなかった。


      ◆


 黄金宮殿と呼ばれる王宮は、ありとあらゆる場所が黄金で飾られている。異世界から召喚した聖女が、無尽蔵に金や金貨の雨を降らせることで王国は栄えていた。


 王宮内の大回廊を歩いていると、少女の声が聞こえてきた。

「えー、何? お金が欲しいの? あ、そう」

 異世界から来た黒髪の少女は、何でもないことのように笑いながら金貨の雨を降らせ、かき集める人々を見下ろしながら笑っている。


「さ、行きましょ」

 六名の見目麗しい貴公子達を引き連れ、聖女は歩き去っていく。後に残る人々は金貨を袋に詰めることに夢中で、その姿に疑問を抱きもしない。


 この国の国民は全員が貴族。使用人や兵士は外国人で、すべての物を外国から買っている。その代金は聖女が降らせる金や金貨で賄われていた。


 幼馴染は、そんな国の在り方に疑問を持っていた。大人も子供も、国民全員が遊んで暮らす楽園の国。それは果たして楽園といえるのだろうか。


 七歳になった時、幼馴染は外国から来た使用人に作物の作り方を教わった。最初は中庭で小さな菜園を作り、その規模は徐々に大きくなった。


 貴族が労働することは悪と言われるから、これは単なる趣味であり、体を鍛える娯楽なのだと親や周囲に言い訳しながら幼馴染は自らくわを持ち、畑を耕した。貴族が働く姿を最初は訝しんでいた使用人たちも、徐々に協力的になっていった。


 親に決められた婚約者であった私も、親たちの目を盗んでは手伝った。土まみれになって雑草を抜き、種を撒き、水をやる。時には作物に病気が発生して全滅することもある。楽しいだけでなく、苦しいことも一緒に経験し励まし合いながら支え合ってきた。

 

 十三歳になった時、領地の森の中に隠れて作った小麦畑が見事な穂を付けた。

「綺麗! これが黄金の波なのね」

 物語の描写で描かれる実りの光景を、その時私は初めて見た。風が吹くと、金色に輝く小麦が揺れる。王宮の豪華な噴水で見る波よりも、遥かに美しく心に映る。


 自ら育て、収穫した小麦の出来はさほど良い物ではなかったものの、彼と使用人たちと皆で一緒に焼いたパンはとても美味しかった。


「僕は毎日遊び暮らすのは嫌だ。晴れた日は畑を耕し、雨の日は本を読む。そんな生活をしたい」

 彼の夢は私との秘密だった。万が一にも親や他者に知られれば、非難の渦に放り込まれていただろう。


 広大で煌びやかな王宮と王都は雇った兵士たちが厳重に護り、特に何か使命があるでもなく、名ばかりの爵位と社交という名の毎日の夜会や晩餐会。そんな生活が日常の人々にとって、労働は蔑むものであり嫌悪の対象。


 老齢だった聖女が亡くなると、強力な魔力を持つ王は異世界から新たな聖女を召喚した。私と同じ十七歳だというのに、見た目は幼く少女に見える女性。肩で切りそろえた黒髪と不思議な茶色の瞳。クリーム色の肌は、これまで見たこともない色合いだった。


 召喚したばかりの聖女は、与えられた塔に籠って外に出てくることはなかった。ところが一月後の舞踏会では貴公子たちを引き連れて、上質な金貨の雨を降らす奔放で傲慢な聖女へと変貌した。


      ◆


 彼の処刑から半年が過ぎ去った。王宮の庭園で開かれた聖女主催の女性だけのお茶会へと向かうと、不自然な笑顔を貼り付けた令嬢たちが座っていた。今や聖女の取り巻きとなった六名の貴公子たちの元婚約者。他にも、聖女の我儘わがままで婚約者と引き裂かれた令嬢も多数席についている。


 表面上は和やかでありながら緊張感の漂うお茶会の中、唐突に聖女は花茶が入った黄金のカップを放り投げた。赤い花茶は一人の令嬢の美しい水色のドレスに染みを作る。

「あ、ごめーん。手が滑ったー」

「いえ。お気になさらず。着替えてまいります」

 楚々とした仕草で立ち上がった令嬢が静かに退出していく。その表情には怒りよりも理由をつけて逃げられる喜びが滲んでいる。


「何か面白いことないかなー」

 考え付く娯楽はすべてやり尽くしたと聖女は溜息を吐く。貴公子たちを侍らせて、周囲の人々を道具のように使い捨てて。


「聖女様。変装をして、誰かと入れ替わるという遊びはいかがでしょうか」

 これは私が考えた復讐。変装した聖女と入れ替わり、聖女のふりをして、誰かに聖女を殺すようにと命令する。


 正直に言えば、甘すぎる計画だとわかっている。成功してもしなくてもどうでもいい。彼と同じように処刑されれば本望。


「あ、それ、面白そうね。でも、誰と入れ替わろうかしら」

 聖女は小さく手を叩き、目を輝かせた。疑うことのない少女の姿は、哀れでもある。

 

「わたくしではいかがでしょう。以前、流行した際に作ったかつらをいくつか持っております。わたくしと同じ銀色と、聖女様と同じ黒色もございます。もしよろしければ、ドレスも用意致します」

  復讐の為、鬘は外国で作らせた。ドレスも聖女の背丈に合わせたものを作らせた。


「あ、それじゃあ、私の部屋で入れ替わりましょ」

 あっさりと承諾した聖女は、準備は必要ないと笑って私の手を取った。


      ◆


 歴代の聖女の為の部屋は、王宮の端にそびえ立つ高い塔の上にあった。

「あ、階段は上がらなくていいのよ。魔法で昇降する箱があるから」

 塔の中に入ると中央に美しい金色の鳥かごのような箱が設置されている。その中に一緒に入るようにと促された。


「この昇降箱は、私がいた世界のエレベーターを参考にしてるのかなって。過去にも私と同じように異世界から女性を召喚していたんでしょ? きっと、その中の誰かが作ってもらったんじゃないかな」


 過去にも。そう言われてどきりとした。私自身は彼女と前代の聖女しか知らないけれど、きっと他にも召喚された女性はいたのだろう。


 金色の鳥かごは、ゆっくりと上昇して白いタイル張りの部屋へと到着した。

「ここは聖女の謁見の間なんですって。大昔の聖女はこの塔に閉じ込められて、王しか会えなかったそうよ」

 豪華な魔法灯ランプで照らされた部屋には段差があり、その一番上には、王が座る玉座に似た立派な椅子が置かれている。


「この奥と、上が聖女の私室なの」

 笑う聖女が案内してくれたのは、白で統一された家具が置かれた私室。何もかもが白すぎて、寒さすら感じる。


 まるで牢獄。何故かそんな印象を受けた。大きな窓は開け放たれ、青い空が美しい。あちこちに飾られた花は良い芳香を放ち、目を楽しませているというのに。


「この一年、いろいろと試してみたら、私は金貨を降らせること以外の奇跡を起こすこともできるみたいなの。貴女と私の体の交換を試してみていいかしら?」

「はい。どうぞ」

 体の交換。その方法は全く思いつかないものの、聖女と入れ替わることができるならと、私は承諾した。


「それじゃあ、目を閉じて。……息を吸って……吐いて……」

 誘導されるまま、手を握る聖女と共に深呼吸を繰り返す。いつしか、息は全く同じになって、吐く息が私のものなのか、吸う息が聖女のものなのかわからなくなってきた。いつしか心地よい静けさが降りてきて、眠る直前の穏やかな空気に包まれる。


「やっぱり出来た。……ごめんなさい」

 謝罪の言葉で目を開くと、私の目の前に鏡が置かれているように錯覚した。長い銀髪に青い瞳。やせすぎてしまった顔は血の気を失い、落ちくぼんだ目は血走っている。これは彼を失ってからの私の姿。


 自らの手を見ると、クリーム色。磨かれた爪は淡いピンク色に輝き、手入れされた手指は潤っている。どんな奇跡かわからなくても、体が入れ替わったことだけは理解できた。


「その体は、王の魔法が掛かっていて老衰でないと死ねないの。…………ずっとずっと嫌だった。勝手にこんな訳の分からない世界に連れて来られて、死ぬまでお金の為に祈るなんて」

 枯れ木のような私の口から紡がれる言葉は、絶望と激しい怒りを帯びていた。鏡の中の私の言葉にも思えてくる。


「大体、おかしいでしょ? 自分は働かないで、他人からお金を搾取して遊んで暮らすだけ。昔からそういう仕組みだって言われても、私は納得できなかった」


 私も彼が処刑されるまでは、聖女から与えられる金貨を当たり前のように消費していた。彼と共に畑を耕してはいても、心の奥底では彼の夢を実現できるとは思っていなかった。


「この一年、誰かが私を殺してくれるのをずっと待ってた。だから本当に酷いこともした。……でも……貴女の婚約者が殺されるなんて思わなかった。それは私が望んだことではなかったの」


 それは知っていた。彼が何故処刑されたのか、本当は聖女が命じたのではないかと疑った私は、あちこちで聞きまわっていた。それでも、聖女に対する恨みは消えなかった。


「ごめんなさい! 私、元の世界に帰りたいの!」

 その絶叫の直後、私の姿をした聖女は銀色の髪をなびかせて塔の窓から飛び降りた。


      ◆


 聖女の体に入れ替わった私には、金貨の雨を降らせる能力は無かった。王や王妃が金貨を望んでも、私は塔の玉座に座り沈黙したまま首を横に振るだけ。


 ある日、貴公子の一人が塔へとやってきて、剣で私の首を刎ねた。

「もう限界だ! お前のような下賤な女に何故、私が従わなければならないんだ!」

 落ちた頭を踏みつけられて、美しいタイルが敷き詰められた床は硬くて冷たいと頬で知った。痛みよりも頭部に受ける衝撃が深く、意識が途切れ途切れになりながらも、男が落ち着くまで耐えた。


「……な、何だ?」

 うろたえる男の声で目を開くと、自分の頭が体へと引き寄せられていくのを感じた。玉座に座ったままの私の体は血を高く噴き上げながら、激しく痙攣している。床に流れる血にまみれながら、頭は体へと近づき、やがてあるべき場所へと戻った。


「こ、この、化け物っ!」

 恐怖で錯乱する男に何度も斬りつけられる痛みと衝撃はすさまじく、飛び散る血肉が白いタイルを赤く染めて汚していく。それでもばらばらになった体は時間を掛け、ずるずると地面を這って元の形へと戻っていった。


「……これは、この国の王が作り出した聖女という化け物です」

 肉や骨は戻っても血は戻らないらしい。異様な喉の渇きを感じた私は、水を求めて歩き出す。


「化け物め! 私に近づくな!」

「貴方に危害を与えることはありません。わたくしはただ、喉が渇いているだけなのです」

 私の言葉を聞いて顔を青くした男は、聖女の私室の扉を開いて逃げていく。


 水を求めて私室へと入った時、男が塔の窓から飛び降りる姿が見えた。


      ◆


 聖女になった私が金貨の雨を降らせなくなって、たった三ヶ月で国は亡びた。聖女の体がある為に、王は新たな聖女を召喚することができず、聖女を殺そうとしても殺せなかった。


 労働を一切知らず、畑を耕し家畜を育てることも、物を作ることもできなかった国民は、残された金貨が尽きるまで生活を変えることはなかった。そのうち、賃金がもらえなくなった使用人や兵士たちが一斉に蜂起して王宮や王都の屋敷を襲い、殺人と略奪の限りを尽くした。


 何をされても死ねない私は、王国のたった一人の生き残りになった。

 森の奥、かつて婚約者と耕した畑を護り、残された家畜の世話をして暮らす。食べなくても死なない体は便利で、たとえ作物が実らなくても水だけで生きていられる。


 薬草を採り、決まった日に街道を通る行商人と物を交換する。日々の話し相手は動物や植物たちだけでも、一人で生活を整えることが忙しくて寂しさを感じる暇はなかった。


 長い長い歳月が過ぎ、伸びた黒髪には白いものが混じるようになっていた。割れた鏡に映る自分の姿にも慣れてきた頃、森に旅人が訪れた。

 

「ここに、異世界の賢者が住んでいると聞いてやってきました」

 礼儀正しく頭を下げた旅装姿の金髪の青年に、婚約者の面影が一瞬だけ重なった。


 懐かしさと心の痛みを堪えて、私は精一杯の微笑みを返す。

「いいえ。私は賢者ではなく、ただの語り部です。お望みでしたら、私が知る物語を語りましょう」


 滅んでしまった王国と悲しい聖女の話を。そうして、愚かな私の話を。

 誰も同じ間違いを繰り返さないように。

 彼が願い、叶えられなかった夢を誰かの心に残す為に。

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