第4話 側妃になりたくなかったので、初夜をオーダーしました。

 朝、エルケに起こされて、私の部屋で朝食を食べる。焼きたてのブリオッシュと黒スグリの紅茶の軽い朝食だけど満足。

 身なりを整えてから、アロイジウス殿下と一緒にリハビリを兼ねて庭園を散歩。

「リナ嬢、大丈夫ですか?」

 アロイジウス殿下のリハビリなのに、私の淑女歩き教室になっているような気がしないでもない。

「私は大丈夫です。ただ、ドレスの裾を踏んだだけ」

「支えきれずに面目ない」

「殿下は悪くありません。私のドレスの裾が長すぎる……ま、私がそそっかしいんです」

 そのまま一緒に昼食。

 これ、毎日のルーティーン。

 午後、一緒に図書室にこもって本を読んで、お茶をして、夕食を食べた。……で、別々の部屋で寝た。

 翌日、午前中のルーティーン後、昼から仕立屋が呼ばれ、私のドレスが新調される。デザイン画や見本を目の当たりにして腰が抜けそう。

「……わ、私にこんなドレス、もったいないです」

「我がそなたに贈りたい」

「豚に真珠、っていう諺が私の国にはありました」

「そのような諺は忘れなさい」

 私は恐縮したけど、アロイジウス殿下の好意を断わることができなかった。何より、エルケの圧も半端なかった。

「エキゾチックな若奥様に似合います。アロイジウス殿下もそう思いますよね?」

「よく似合う」

 穏やかでゆったりとした時間が過ぎていく。

 一言で言うなら幸せ。

 ……うん、こんなに安心してのんびりできるの初めてじゃね?

 冷たいとばかり思っていた侍従長や護衛騎士たちの態度も軟化した? なんか、私がアロイジウス殿下を嫌っていると思っていたみたい?

 このまま、こんな時間が流れたらいいな。

 アロイジウス殿下のリハビリにつきあって、いつか杖がなくても歩けるようになったら、遠出もしたい。

 アロイジウス殿下が懐かしそうに教えてくれた秘境にも連れて行ってほしいな。

 夢を見ていたら急直下。

 なんの前触れもなく、神殿長とアルベルト殿下の侍従長たちが離宮に尋ねてきた。予想だにしていなかった離婚話を持って。

「……神殿長、今、なんて言いました?」

 一瞬、私は聞き間違いだと思った。

「アロイジウス殿下と離婚の話です。我が国では離婚は認められていませんが、白い結婚ならば離婚は可能です」

 神殿長が冷厳な顔で言った後、アルベルト殿下の侍従長や書記長が賛同するように相槌を打った。目の前に差しだされたのは離婚に関する契約書。

「どうして、離婚?」

「アロイジウス殿下は離婚をお望みです」

 断頭台で首を斬り落とされた。……そんな感じ。……や、待て。伊達に令和でいじられていたわけじゃない。誰が私の悪口を言っていたとか、誰が私をいやがっているとか、迂闊に信じたら詰む。

 どうして、神殿長はアロイジウス殿下の同席を断わった? 

 アロイジウス殿下が本当に離婚を望んでいるなら、メルヒオールや騎士が私に直接言うよね?

「私は離婚したくありません」

 とりあえず、自分の意思表示。

「またまた身の程知らず」

 ふぅ~っ、と神殿長は呆れたように肩を竦めた。

「離婚したら、私を自由にしてくれますか?」

 私の質問に答えたのは神殿長ではなく、アルベルト殿下の眉目秀麗な侍従長だった。

「アロイジウス殿下と離婚された後、リナ嬢はアルベルト殿下の側妃になります。王宮に戻ることができますよ」

 ……側妃? アルベルト殿下はまだ正妃も迎えていないのに側妃? ……え? アルベルト殿下って私の知っているアルベルト殿下? 私の知らないアルベルト殿下がいたの?

 想像を絶する話に私の脳内はショート寸前。

「……な、なんで、アルベルト殿下の側妃? 側妃にする気もない、ってほざいたのは誰?」

 私の容姿を一番ディスったのはほかでもないアルベルト殿下……や、お母さんやお父さんもひどかった……ん、お姉ちゃんも何気にひどかったけど、ここでは召還主であるアルベルト殿下。

「リナ嬢、不敬罪に当たる」

「アロイジウス殿下と話し合います」

 さしあたって、アロイジウス殿下に確かめてから。

「アロイジウス殿下のお心を煩わせてはなりませぬ。療養中の殿下に毎日纏わりつき、迷惑をかけているという苦情が届いています」

 アルベルト殿下の侍従長も書記長も、私を糾弾するように見つめた。断罪イベントの時の視線より苛烈だ。

「苦情が届いているのですか?」

 ……まさか?

 ……まさか、あの優しいアロイジウス殿下が?

 いつも私を気遣ってくれていたのはすべて嘘?

 殿下が優しい顔で私を騙すヤツ?

 仕立ててくれるドレスや帽子は手切れ金とか?

「いくら偽物聖女とはいえ、あまりにもはしたない」

「……その、はしたない女を次期国王が側妃にしようとしているのですか?」

 アルベルト殿下の正妃を巡る戦いは熾烈を極めている。美人令嬢の側妃候補も山のようにいたはず。

「側妃として迎え入れ、淑女教育を受けさせる予定です。これもすべてリナ嬢のため、よくお考えください」

 リナ嬢のため。里奈のため。……これ、マインドコントロールの常套句。

「今日は帰ってください。私は第一王子の妻です。そう簡単に離婚して、出ていくことはできません」

 妃殿下ですよ、とエルケはことあるごとに言っていた。今の時点で王妃様に次ぐ身分の高い女性だ、と。

「リナ嬢のため、今日、一緒にお戻りになられたほうがよろしい。リナ嬢を救いたいのです。理解してください」

 ここで連行されたら詰む。

 私の本能がそう告げていた。

「エルケ、神殿長をお見送りして」

 エルケ、後は任せた。

 以心伝心、エルケは楚々とした見目から想像できない腕力を発揮し、神殿長や書記長たちを追い返してくれた。

 ほっと胸を撫で下ろす。……や、ほっとしている場合じゃない。アルベルト殿下の側妃なんて串刺し刑と同意語。

 どうせ、王宮の端の小屋にでも監禁されるだけ。

 せっかく掴んだ平穏な日々、絶対に逃さない。




 招かざる客を叩きだした後、私は慌てて回廊でアロイジウス殿下を捕まえた。

「……アロイジウス殿下、お願いします。私と結婚してくださいっ」

 むんずっ、と私はアロイジウス殿下の繊細な刺繍が施された長衣を掴んだ。一定の距離を取って控えていた護衛の騎士たちが身構える。

 けど、私は構っていられない。

「リナ嬢、結婚したと思っていたが?」

 聡明な王子に真顔で返され、私の舌がさらに絡まった。

「……そ、そ、それ、それの、そうじゃなくて……そうなんだけど、そうじゃない。本当に結婚してください」

 なんと言っても、アルベルト殿下の側妃になりたくない。アロイジウス殿下と離婚しなければ、側妃入りは免れる。離婚できないようにするためにはひとつしかない。

「式に不服があったのか?」

「結婚式はカオスすぎて不満だらけだけど、そうじゃないです。本当の夫婦になりましょう」

 基本、この国では離婚はできない。けれど、白い結婚の場合、離婚が成立する。白い結婚を終わらせればいい。

「我とそなたは神に認められた夫婦」

「……な、なんて言えば……あ、新婚夫婦がすることをしてください」

「新婚旅行か?」

「……っ、子作りしましょう」

 今、私、なんて言った?

 言った私もびっくりしたけど、聞いた殿下もびっくりしたみたい。

 一瞬、ふたりの間に微妙な沈黙が流れた。

 うっ、と低く唸った護衛騎士と咎める護衛騎士たち。

「……子はいらぬ」

 アロイジウス殿下は耳を澄まさないと聞こえないような声でポツリ。

「どうして?」

 私のすべてを否定されたような感じがした。やっぱり、アロイジウス殿下は私と離婚したがっている。私が邪魔なんだ。

「我の血を継ぐ子は哀れ。子は持たぬ」

 ポツリポツリと零された言葉を理解して、私の頭に血が上った。

「そんなの、殿下が思いこんでいるだけ」

「白い結婚ならば離婚できる。そなた、次は幸せになりたまえ」

 宥めるように言われ、怒りと悲しみが渦になって私に襲いかかる。泣き喚きたい気持ちをぐっと堪えた。

「私と離婚したい、って本心だったんですか?」

「そなたのため、どうしたらいいのか迷っている」

「私が纏わりつくの、苦情を入れるほど迷惑だったんですか?」

 つい先ほど、神殿長やアルベルト殿下の侍従長から言われた言葉が棘のように突き刺さっている。

「なんのことを申しておる?」

 惚けているの?

 それは演技?

「私が邪魔だから離婚して、アルベルト殿下の側妃にするんですか?」

 私が確かめるように聞くと、アロイジウス殿下の杖を持つ手が震えた。身体のバランスを崩すけど、すんでのところで踏み留まる。

「そなたがアルベルトの側妃?」

「アロイジウス殿下が私と離婚したがっていると聞きました」

 こんな時、責めるように言っちゃ駄目だとわかっている。アルベルト殿下に気に入られた男爵令嬢みたいに甘い声で媚びたほうがいい……わかっているのにできない。どこまで私は不器用なんだろう。

「身に覚えがない」

 アロイジウス殿下は確認するように、背後に控えていた侍従長のメルヒオールや護衛の騎士に視線を流した。それぞれ、いっせいに首を左右に振る。

「……惚けないで」

「神に誓って」

「……え?」

 冷静に見れば、アロイジウス殿下たちが嘘をついているようには見えない。

「そなたのため、いつでも身を引く覚悟はしていたが、アルベルトの側妃でそなたが幸せになれるとは思わぬ」

 アロイジウス殿下がなんとも形容し難い悲哀を漲らせる。ようやく、私は真相が見えた。神殿長は神に仕える聖職者じゃない。

「……あ、じゃあ、神殿長の真っ赤な嘘?」

「私はそなたが離婚したがっていると聞いた」

「違いますっ」

 私が激昂して頰を引き攣らせると、メルヒオールが怒気を帯びた目で口を挟んだ。

「アロイジウス殿下と若奥様を引き離したくなったのでしょう」

「どうして?」

「アルベルト殿下は昔からそういう異母弟君でございました。おふたりが仲睦まじく食事をして、散歩をしていることがお気に召さないご様子」

 いったいどこから離宮の様子が漏れたのか、とメルヒオールは秀麗な美貌を不気味なぐらい輝かせる。

「クソ野郎」

 私が仁王立ちで罵ると、メルヒオールや護衛の騎士たちは何も聞こえなかったようなふりをして去って行った。

 あっという間に、私とアロイジウス殿下のふたりきり。

「アロイジウス殿下、本当に私の幸せを考えてくれていますか?」

 幸せってどんなものか、実はよくわからない。けれど、アロイジウス殿下と一緒に食事するのも散歩するのも楽しい。天気の話をするのも本を読んだ感想を言い合うのも楽しい。日々、楽しいことばかり増えていく。

「いかにも」

 いつもとなんら変わらない優しい声が心魂に刺さる。

「………なら、私と結婚してください。殿下と離れたくないから、さっさと初夜をしてくださいっ」

 断崖絶壁に追い詰められた私の辞書に羞恥心という文字はない。

「……そなた」

 アロイジウス殿下の表情は変わらないけど、耳が真っ赤に染まっている。……これ、べつにいやがられていないよね?

「私、ずっと殿下のそばにいたい」

もうどこにも行きたくない。

 やっと掴んだ平穏な日々を逃したくない。

「年端もゆかぬ身で……」

 アロイジウス殿下の言葉を遮るように、私は目を吊り上げて言い切った。

「殿下、いくつに見えるのか知りませんが、私は殿下より年上です。この世界でなら行き遅れ」

 ……うわ、アロイジウス殿下もそんな顔をするんだ。

 東洋人特有の平べったい顔が若く見えるの、異世界でも有効だったんだね。

 けど、ブチ撒けてよかった。

 その夜、初めてアロイジウス殿下が私のベッドルームを訪ねてくれた。私以上に殿下が緊張している。……や、私が緊張しすぎておかしい。

 それでも、ふたりで白い結婚を染め上げた。

 何色に染まったのか、わからないけど、私は後悔していない。アロイジウス殿下にも後悔してほしくない。心の底からそう願った。

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