第3話 小屋に監禁されたくないので、旦那様と話し合いました。
結婚式から十日経ったけど、肝心の旦那様を一度も見ない。同じ離宮の同じ棟で暮らしているみたいだけど、それらしい気配はまったく感じなかった。いくら離宮が広くてもおかしい。
やっぱり、避けられている。
使用人一丸となって会わせないようにしているのかな?
私は豪華な部屋を与えられたまま、毎日美味しい食事と美味しいスイーツを用意され、どこまでも続いているような庭園を散歩したり、図書室で書物を読んだり、エルケにマッサージしてもらっているうちに一日が終わる。
いつ、態度が豹変するか?
小屋に監禁されてもショックを受けないように覚悟していた。
なのに、その素振りが微塵もない。
……や、給仕や庭師までそわそわしている……なんか、私を同情しているみたいな……同情されるような日が近づいているの?
カウントダウン、始まった?
初日に大泣きして以来、エルケは親身になって尽くしてくれる。見頃の薔薇園、私は四阿でおもむろに尋ねた。
「エルケ、アロイジウス殿下は?」
「……お仕事だと思います」
一瞬、エルケが言い淀んだことを見逃さなかった。元王太子はすべての公務を免除されたと聞いたし、人目につくようなことは避けているはずだ。
「アロイジウス殿下はここで暮らしている?」
別邸で生活していると聞いたほうがしっくりする。ただ、アロイジウス殿下の護衛騎士たちは見かけていた。一様に私に対する視線がきついから声もかけられない。正直、宿敵になった気分。
「いらっしゃると思います」
エルケの口調は歯切れが悪いし、視線は宙を彷徨っている。
「……あの……その……アロイジウス殿下は……どんな人?」
こんなことを聞くつもりはなかったのに勝手に舌が動いていた。子供の頃から口下手だ。よく誤解されていた。
「アロイジウス殿下は次期君主に相応しい王子でした。聡明でお優しくて武勇にも優れ、我が国の誉れ」
エルケの表情は明るくなり、興奮気味に第一王子を称えた。心の底から尊敬しているのだろう。今まで私の耳に入った化け物殿下の噂とは真逆。
「……あ、今になって思うけど不思議……どうして、聖女として召還された頃、アロイジウス殿下は来なかったの?」
今さらながらに、召還された頃の聖女騒動を脳裏に浮かべた。誰よりも聖女の奇跡が必要な元王太子の顔に記憶がない。
「…………え? どういうことですか?」
エルケに怪訝な顔で尋ねられ、私は手を振った。
「ほら、私が召還された頃、病人や怪我人が神殿に押し寄せたの。王太子殿下の婚約者となって王宮に移っても大変だった。その中にアロイジウス殿下はいなかったと思う」
「……えぇ?」
エルケの目が丸くなった。
元々、アロイジウス殿下は聖女に興味がなかったのか?
信じていなかったの?
アルベルト殿下が国王陛下のため、聖女召還を言いだし、神殿長や大魔法師に協力させて実現させたと聞いている。
ほぼ寝たきりの国王陛下は衰弱しきって、私にはかける言葉もなかった。それでも、威厳には満ちていた。
『聖女殿、早く父上を治せ』
生意気盛りの王太子殿下も父王に心酔しているから必死だった。
『アルベルト殿下、無理です。私は聖女じゃありません』
『歴代の聖女も元の世界では凡人だったが、召還された後、聖女として目覚めた。父上の前で目覚めろ』
アルベルト殿下の脅迫に等しい命令に従って、国王陛下の手を握り、ひたすら快癒を祈った。心底から祈り続けた。
どんなに時間をかけても無駄。
ポロリ、と私の涙が国王陛下の血管が浮き出た手に滴り落ちた。
『聖女殿、お疲れであろう。お休みなされ』
国王陛下が私を労ってくれるからいたたまれなかった。激昂するアルベルト殿下を諌めてくれたから恐縮した。
今でも生気のない国王陛下の顔や小枝のような腕を覚えている。傍らで私を凝視する宮医の視線の痛さも。
「神殿でも王宮でもアロイジウス殿下の治療は聞かなかった。依頼はなかったと思う」
私が記憶の糸を辿りながら言うと、エルケはどこか遠い目で首を振った。
「聖女様を召還したと聞いて、侍従長が連絡を入れました」
アロイジウス殿下の侍従長といえば、美貌で名高いエーレンベルク伯爵だ。侍女たちがひたすら同情していた貴公子。
「侍従長が?」
「執事長じゃありませんよ。アロイジウス殿下が生まれる前からお仕えしている侍従長が神殿にも王宮にも連絡を入れました」
エルケに真っ赤な顔で力まれ、私は手を小刻みに振った。
「私、聞いていない。会っていない」
「聖女様に断わられたそうです」
「私は知らない」
「神殿に賄賂……莫大な寄付をしたそうです」
私に直接依頼できない人は神殿長に多額の賄賂を渡したと聞いている。聖女ビジネスで神殿の台所は潤ったはず。
「……そんな……」
つまり、賄賂を受け取っていながら、アロイジウス殿下の治療を断わっていた? 聖女が悪女認定されても当然?
「……侍従長、そういうことみたいです。やられちゃいましたね」
エルケはくるりと背を向け、つる薔薇のアーチに視線を流した。スッ、と銀髪の超美形が顔を出す。アロイジウス殿下の侍従長であるエーレンベルク伯爵だ。
「聖女様、失礼しました」
宮廷式の礼儀を払われたけど、私は淑女として対応できなかった。
「……あ、侍従長?」
「メルヒオールとお呼びください」
幼馴染みらしいけど、侍従長はアロイジウス殿下にもファーストネームで呼ばれている。
「私は聖女じゃありません。……その、アロイジウス殿下から連絡があったことさえ知りませんでした」
ごめんなさい、と私は倚子から立ち上がって一礼する。
メルヒオールは驚愕したらしく、長い睫毛に縁取られた紫色の瞳を揺らした。セクシーすぎて危険すぎる。
「神殿でも王宮でもよくあることです」
「そうなんですか?」
「神殿も王宮も聖なる光りを必要としている場です」
神殿も王宮も熾烈な権力闘争で意見が曲げられるドロ沼、ってメルヒオールは言っているんだよね。私は脳内で貴族言葉を訳した。
「……あ、あの……」
「聖女様に依頼の件、アロイジウス殿下はご存じありません。私の独断で申し込みました」
「……アロイジウス殿下は聖女を信じていなかった?」
「三年前の内乱討伐の失敗に責任を感じ、聖女様の奇跡に背を向けていたのです」
メルヒオールは懊悩に満ちた顔で言うと、エルケは悲しそうに俯いた。
「……え? どういうことですか?」
責任を感じているから、助かろうとしない? そういうこと?
「アロイジウス殿下が不自由な身体になった理由をご存知ですか?」
「三年前の内乱討伐だと聞いています」
三年前の内乱討伐で負傷した騎士は多く、聖女の奇跡を求めて列を作った。化け物殿下への呪詛に似た恨み言も聞いたものだ。突然、敵に囲まれたのも、狙い撃ちされたのも、兵糧を絶たれたのも、退路を塞がれたのも、すべて傲慢な殿下の責任。
「アロイジウス殿下は高潔な精神をお持ちの王子です。聖女様から奇跡を与えられようとしても拒むでしょう」
アロイジウス殿下は三年前の責任を取り、ずっと苦しみ続けるってこと?
メルヒオールが語る第一王子と今まで私が聞いた化け物殿下があまりにも違いすぎる。どちらが本当か、判断はできない。ただ、直に話し合いたい。
「それでアロイジウス殿下はどちらに?」
何もせず、流れされていたら投獄された。甘かったと後悔しても遅かった。二度と同じ後悔はしない。先手必勝。
「何かご用でしょうか?」
「……その……」
勢いこんだのはいいけど、何をどう切りだせばいいのかわからない。言葉に詰まって、咲き誇る薔薇に視線を止める。令和の日本より薔薇の種類が多い。薔薇のジャムもこっちのほうが美味しかった。紅茶に入れても、ババロアに添えても、カイザーゼンメルとかのテーブルロールに塗っても美味しい。……うん、現実逃避している場合じゃない。
「ご用がございましたら承ります」
「……小屋です」
地下牢もショックだったけど、神殿の端の小屋も辛かった。小屋に監禁される前、手を打ちたい。
「……はい?」
薔薇を背負った貴公子は優雅に瞬き三回。
「私を小屋に監禁する計画を立てているのでしょうか? 監禁ならば、着の身着のままでもいいから追いだしてください」
要領の得ない言葉を美麗な侍従長は曲解した。
「……離婚したいという意思表示ですか?」
どうして、そうなる?
これ、私の伝え方が悪いんだよね?
「違います。離婚したいのはアロイジウス殿下でしょう?」
「妃殿下は離婚を望まれていないと仰せですか?」
「離婚は望んでいませんが、監禁されるのはいやです。アロイジウス殿下が離婚したいのはわかっています。話し合いができれば」
私が切羽詰まった気持ちが通じたらしく、メルヒオールは艶然と微笑んだ。風に靡く長い銀髪が綺麗すぎる。
「お話し合いの場を設けます」
「ありがとう」
拍子抜けするぐらい、メルヒオールが動いたら早かった。
二杯目の紅茶が冷めない間に、薔薇園の四阿にアロイジウス殿下が現われた。護衛の騎士たちを連れて。
「聖女殿、ご機嫌よう」
私は聖女じゃない。
それは自分が一番よく知っている。
「アロイジウス殿下、私は聖女じゃありません。やめてください」
こればかりは譲れない、と私が勢いこむと、アロイジウス殿下は軽く微笑んだ。
「リナ嬢とお呼びしても?」
「はい」
呼び捨てでいいけど、アロイジウス殿下は線引きしたいのかもしれない。ふたりの間に見えない壁があるのは火を見るより明らか。
「屋敷のことは執事長にすべて任せています。何かあれば申しつけなさい」
執事長にすべて任せているから、わざわざ呼びだすな? ……貴族言葉ではそういう意味だよね? 一瞬、引いたけど、ここで引いたら詰む。
「ありがとうございます」
「ご用があると聞きました」
「はい。同じ屋敷に住んでいたら会えると思ったのに会えなかったので……」
私が本当に聖女だったらよかったのに。
そうしたら、殿下の身体も治せたよね?
拒んでも勝手に治していた。
そんな切なそうな目をしないで。
知らず識らずのうちに、手が殿下の顔のケロイドに触れていた。黄金の仮面を被っても隠せない。
聖女として召還されたんだから、聖女として覚醒させて。
アロイジウス殿下を治せ……治れ、と私は心魂から力んだ。
「……如何した?」
アロイジウス殿下が驚いたらしく、ピクリ、と上半身が揺れた。スッ、と護衛騎士たちが剣に手をかける。特に結婚式でアルベルト殿下にスカウトされたディルクとライナルトの迫力が凄まじい。
「聖女じゃなくて申し訳ないです」
やっぱ私は聖女じゃない。
私の手からなんの力も出ない。
「そなたに非はない」
……え?
今、アロイジウス殿下はなんて言った?
聞き間違いじゃないよね?
初めて。
そんなことを言ってくれたの。
ここの国の人はみんな、偽物だと私を責め立てた。
「……っ……うっ……」
冷静に話し合いたかったのに、こんなところでまた涙腺崩壊?
私、弱くなりすぎでしょう?
泣いても無駄だって、毒親育ちの私は身に染みて知っているのに。
「すまない。気に触ったか?」
アロイジウス殿下は慌てて立ち上がろうとしたけど、私は首を振りながら手を伸ばした。
「……ち、違う……私は偽物だ、って……みんな……罵って……小屋に監禁されて、地下牢にも……寒くて汚くて臭くて……」
「そなたが気に病むことではない」
アロイジウス殿下の穏やかな声が私の心に染み渡る。
「……わ、私だって……来たくなかった……けど……」
才色兼備の姉と差別される日々に終止符を打ち、自立したばかりだった。友人たちとパジャマパーティーで盛り上がって。地獄のクリスマス商戦もお正月商戦も楽しみだったのに。
「詳しいことは知らぬが、聖女として召還されたのであろう?」
「元の世界で私は残念な……平々凡々なパン職人でした。いきなり召還されて、聖女として持ち上げられて……」
パン職人は王国にもいるから通じるはず。
「元の世界に戻りたいか?」
今まで誰も私に聞いてくれなかった質問をアロイジウス殿下の口から。
「戻りたいです」
私が真っ赤な顔で力むと、アロイジウス殿下は哀愁を漲らせた。
「すまない。我にはその手がない」
アロイジウス殿下も魔力を持っているけれど、聖女召還に携わった大魔法師とは種類が違うらしい。確か、攻撃魔法に防御魔法の二種。
「神殿長も召還の反対はできないと断言しました……って、今までこんな役立たずが召還されたことはない、って……私がおかしい、って……私が何かしたんだろう、って……すべて私のせい……」
頭が悪いのも、顔が悪いのも、トロいのも、いじめられるのも、教師に可愛がられないのも、病院で待ち時間が長いのも、スーパーで特売品が買えなかったのも、お父さんの稼ぎが悪いのも、お母さんの体調が悪いのも、貯金ができないのも、家が古いのも、近所が煩いのも、すべて私のせい。毒親に罵られた心魂がここでさらに悲鳴を上げた。
「そなたの過失ではない。召還の手違いであろう」
「……は、初めて……そんなことを言ってもらえたの……」
ギュッ、と私は縋るようにアロイジウス殿下の腕を掴む。
「本来、召還した聖女は国王、もしくは王太子や王子の王族が娶る。このような醜き我の妻となり哀れ」
アロイジウス殿下が卑下した瞬間、私の心が砕け散った。……ん、何か突き刺さった。上手く言えないけど、なんかおかしくなった。
「……あ、哀れじゃないですっ」
自分でもびっくりするぐらい素っ頓狂な声が出た。
「……なんと?」
「……ここに来て初めて優しく……ありがとうございます……」
感謝の気持ちはちゃんと言葉にして伝えること。
これは、初めての友人や先輩職人から切々と教えてもらった基本。
「……そなた……」
アロイジウス殿下の表情は顔半分しかわからないけれど、意表を衝かれたみたい? そんなにびっくりした?
「アロイジウス殿下はいやいや私を押しつけられて……小屋に監禁する計画でも練っていると思っていました」
「そのようなこと夢にも思っていない」
アロイジウス殿下が言い切ると、同意するようにメルヒオールが深く頷いた。護衛騎士たちにしてもそうだ。
「十日、一度も見ていません」
「醜き姿を見なくてもすむように注意していた」
かつて太陽神の再来と謳われたという第一王子は自分の姿を卑下している。それだけ厳しい視線に晒されたのだろう。三年前の内乱制圧失敗の責任も取らされたし、自責の念にも駆られている。
「無用です。……あの、私はブスです。ブスを見るの、いやですか?」
私は自分の顔を人差し指で差しながら尋ねた。美人のお母さんとお姉さんを見た後、鏡に映る自分の姿が直視できなかった。今もやたらキラキラしている美男美女に囲まれているから苦しい。
「そなた、エキゾチックで愛らしい。どこの誰にそのようなことを言われた」
一瞬、何を言われたのかわからず、私は腰を浮かせて聞き返した。
「……え?」
いったい私はどんな顔をしているの?
私を見つめるアロイジウス殿下の目がこれ以上ないというくらい優しい。
「そなたを見ていると、太陽の光りを浴びているような気がする」
アロイジウス殿下の言葉を理解した瞬間、私の脳天から火が噴きだした。……これ、例のあれかな? ……ほら、優しい顔した性悪女のあれと同じ? ……同じに思えないから困る……困るの? どうして、困っているの?
「……本当に? 本音を隠した貴族言葉じゃなくて?」
「いかにも」
「……なら、朝食でも昼食でも夕食でもいいから一緒にご飯を食べませんか?」
本当にそう思っているなら行動で見せてほしい。
初めての友人と一緒に食べたパンは最高に美味しかった。失敗作のパンも形が崩れたタルトやクッキーも。
「そなたが望むなら」
アロイジウス殿下に嘘を言っている気配はない。……わからないけれど、感情が意外に顔に出ている護衛騎士を見る限り、いやがられていない感じ?
「リハビリしていますか?」
いきなりだけど、思いついたまま口に出す。
「リハビリとは?」
「今、杖がないと歩けませんか?」
常にアロイジウス殿下の左手には杖。
「いかにも」
「杖をついてでも歩く練習を続けましょう。諦めずに歩く練習をしていたら、いずれ、杖がなくても歩けるようになります」
私が幼稚園児の頃、交通事故で三途の川を渡りかけたという近所のお兄さんがいた。当初、杖をつきながら気の毒なくらいの姿で歩いていた。けれど、私がクロワッサンをひとりで焼き上げられるようになった頃、杖がなくても歩けるようになっていた。
諦めたら駄目。
パン屋のオーナーも忘年会や新年会のたびに熱弁を振るっていた。
「聖女殿の予言か?」
「私の生まれ育った世界での知識です。……あ、よければ、毎日、一緒に散歩させてくれませんか?」
常連さんや先輩スタッフのお母さんがリハビリしていたから、私には少しだけど知識はある。
「我と一緒でいやではないのか?」
躊躇いがちに聞かれ、私の胸がズキズキする。……これ、心筋梗塞? 二十代でも危ない、って聞いたけどそれ?
「一緒がいいです」
胸を押さえつつ、本心を告げた。
「我をアルベルトと想っているのか?」
心なしか、アロイジウス殿下の周りの空気が重くなった。メルヒオールや護衛の騎士たちの顔つきは険しい。
アロイジウス殿下とアルベルト殿下は異母兄弟だけどまったく違う。
……あ、結婚式でアルベルト殿下が言ったヤツ?
「誤解を解きます。不敬罪と言われるのが怖いので、ここだけの話にしてください……」
私は一呼吸置いてから真剣な顔で力んだ。
「……その、控えめに言っても、私は傲慢で身勝手なアルベルト殿下が嫌いです」
私が明確な声で言った途端、周りの面々は息を呑んだ。エルケは手で口を押さえ、俯いている。どこからともなく聞こえてきたのは鳥のさえずり。
「……聞かなかったことにする」
「はい。アロイジウス殿下はアルベルト殿下と違います……よかった……」
よかった、って心の中で呟いたつもりが口からポロリと漏れていた。
「……そなた……」
アロイジウス殿下はよっぽど驚いたらしく、瞬きを繰り返した。
「……あ、卑しい身分なんで大目に見てください」
「卑しき身分など、二度と口にしてはならぬ」
勇気を出して、話し合ってよかった。
その日以来、私とアロイジウス殿下は一緒に庭園を散歩するようになった。メルヒオールやエルケ、騎士たちは一定の距離を取って護衛。
「アロイジウス殿下、疲れたら言ってください。休みましょう」
「そなたは?」
「私、体力には自信があります。庭が広くて、あちこちムードが違うから見ているだけでも楽しいです」
つい先ほど、風の女神像を過ぎるまでは優美な噴水を中心にした左右対称の庭園だった。今は雑草が伸び放題の場所。
「ここは古代風の庭園だ」
「古代風? ……私には林檎園に見えます」
林檎の木が自然な感じで植えられている。
「禁じられていた林檎を食べた女神と男神が追放され、この地に下りて人の世を作ったとされている」
エデンを追放されたアダムとイブの話が私の脳裏に浮かんだ。
「それ、神話ですか?」
「国づくりにまつわる神話だ」
「禁じられていた林檎を食べて追放された話は私の世界にもありました」
意外な接点を発見するのも楽しい。
朝食はお互いに自分の部屋で食べるけど、昼食や夕食は同じ食卓につく。別にこれといった会話があるわけじゃない。アロイジウス殿下はどちらかといえば無口だ。それでも、私が料理の美味しさ感動したら同意してくれる。たったそれだけでも嬉しい。……うん、これ、ずっと私が望んでいた食事風景だ。
「今日のライチョウも美味しい。私の国なら絶滅危惧種に指定されているから食べられません。赤ワインのソースが絶妙」
「リナ嬢が満足されたら、料理長も喜ぶであろう」
アロイジウス殿下のテーブルマナーは完璧だ。私も見よう見まねで以前よりはマシになったと思う。
「アロイジウス殿下は?」
給仕の視線に気づき、私はアロイジウス殿下に尋ねた。
「我も堪能した」
アロイジウス殿下の答えを聞き、給仕は嬉しそうだ。きっと、厨房に伝えるはず。
「あっさり系のパンに合いますね。サンドイッチにしても美味しいと思います」
「サンドイッチ?」
「私、サンドイッチは得意なんです。作らせてください。庭園でピクニックしませんか?」
「楽しみにしている」
私はアロイジウス殿下との食事で、家族に馬鹿にされながらご飯を飲みこんだ日々が薄れていった。
不条理に満ちていた世界に変化あり。
これもこれでいいかな。
諦めずに話し合ってよかった。
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