第47話

「ねえ、姉上」

「ううん」

「帝のおわす居城にいるのだし、そろそろ」

「ううん」

「帝も本気みたいだし、一度ぐらい対面してみたら?」

「ううん」

 姉は相変わらず、文机で横になっているか、蔀から外をぼんやり眺めているかだ。闊達な姉上だったのに、今は生きた死体だ。

「どうしよう?久理子殿」

「さっそく、梅壺女御らの取り巻きらも勘ぐって来て、何かお前のところに、誰か一人増えているのか?などと聞かれました」

「膳が増えたら、まあ、気づかれても仕方ないわね」

「椎子様が秋で食欲が出ていますと、長池殿には言ってあります」

「ありがとう」

 妃たちの闘争は相変わらずなのに、こんなところに、敵視する姉がいるってことも心配だ。何事も起こらねばいいが・・・そう思っていた時だ。

 ばたばたと足音がして、騒がしい先ぶれの女の声がした。聞くと、帝、帝と言っている。

 とうとう、姉が来ていることがバレたのだ。

 執着帝という異名を取った帝だ。当然と言えば当然。あれほど粘り着く帝が、気づかないほうが、おかしい。

「ここに翠子殿がいるのか」

 がたと戸が開いて、来たのがやはり、清流帝。

(ああ、やっぱり来たか)

 私は観念した。

 この前の池で、私の様子にも気づいたかもしれない。

 振られっぱなしで正常なものを多く失ってしまった帝が、地獄耳、地獄嗅覚、地獄感覚を発達させてないほうがおかしい。嗅ぎつけて来ないほうが、有り得ない事態なのだ。

 いつもより引き締まった表情で現れたのは、やはりクズなりに、真剣に思うからか。

 格好つけている時は、凛々しく聖君に見えるので、姉の心を捕らえるなら、今のままのキメ顔を保持しておいてくれたらいいのだが。

「翠子殿、ようやく私の思いを受け入れてくれるようになったか?」

 姉はすぐ几帳の裏側に引っ込んでしまった。

 帝はあえて、踏み込まず、その前で立ち尽くす。

(こうなれば、仕方ない)

 さあ、初めての御対決。

 ファイっ。

 私はもう成り行きに任せることにした。まあ、そろそろ決着をつけても良い頃合いだろう。

 姉だって、嫁に行く年頃。いつまでも長引かせるわけにはいかない。

「申し訳ありません。お断りに来たのです。どうあっても、私は帝に嫁ぐことなど出来ません。椎子は連れて帰ります、お許しください」

「ずっと、子供の頃から、そなたのことを思い続けて来た。ここであったが、百年目」

(怖い怖い。その表現、帝が使うと怖いって。使い方、間違ってない?仇討ちでもするの?)

 帝、片思いし続けた姉と遭遇したら、やはり、壊れていた。

 もはや壊れているのでしょうけど、それでは損です。

「私には、向きません」

「こちらに来たら、他の妃たちに虐げさせはせぬ。そちの将来のことを考え、大納言の地位も考える。その他のことは何も心配はいらぬ」

「何年思い続けられても、私には届きません」

 帝はしばし絶句して、放心する。

(ふ、振られた)

 ものの見事に、今、帝が振られた

(・・・私の目の前で。ええ、バッサリと。思いっきり)

 これは、えらいことになった。

(姉も振られて、同時二人振られ、そんな珍しい現象、同時に見る羽目になるとは)

 ・・・私、どうしたらいいの?

 なんか起りそう。プライドの高い傲慢な奴なの。

 姉も野生馬みたいな人なの。

 私は立ったまま、身動きもできない。

「私は君のことを思って、夜も眠れない。夢の中で会おうとしても、無理なんだ」

 最後の望みをつなげる、本当に帝の執着の最後の一的まで絞り出したような言葉が、姉に投げかけられる。気迫のこもった、、最後の渾身の一撃という、熱情を感じさせる言葉だった。

「夢と知っていたら、覚めないでしょう」

 姉はただ、涙を浮かべて、それだけを答えた。

「どうして、君は私の気持ちを受け入れてくれないんだ」

 泣く帝。

「申し訳ありません」

「ずっと夢であなたに会えというのか、この私に」

 泣く姉。

 二人して、涙の逢瀬になったとは・・・

 そこまで思い合っていたのかという、複雑な思いだ。

 一方は富士の高嶺まで届く恋、一方は申し訳ないと想いながら過ごした日々で。

(最後には二人して、泣いてしまったか)

 残念な結果だ。

 二人して夢のゴールインとなれば良かった。 

「どうして・・・・夢なのだ、私の想いが、夢など要らぬ」

「ごめんなさい、お許しを」

 泣く姉を見て、帝は毒気を抜かれたようだった。几帳をどけ、姉の頬を拭い、その手からするりと姉が逃れるのを見て、手を止める。

 ああ・・・

 帝、可哀そうだなあ。 

 なんて、ちょっと思ってしまった。

 内裏で何も手に入らない生活、希望はぜんぶ夢で見るしかない人だから。

 姉は知らないけど、私は聞いたから、ちょっと気の毒になってしまった。

「無理強いはせぬ、そなたが嫌がるのを、無理には求めぬ」

「お許しを」

 一応、冷静に保っているけど、傲岸不遜の大胆不敵な、いつもの帝らしくない帝だった。私は超優秀、超美形で、何でも通るだの常日頃口に出しているのに、その毒舌も饒舌でもなく、大人しくなってしまった。ふんぞり返って大きく出るのが帝なのに、こうまで小さく見えるのかと驚くほどだった。

「ごめんなさい。お許しを」

「そなたが望むなら、私はまた、夢の中で、あなたに会おう」

「ごめんなさい」

 引下がった帝を私は感心した。あれだけ自画自賛した人がさっと引下がれるって、なかなか出来ないわよ・・・

「お許しを・・・」

 感情を押し殺して言う帝に、姉は涙を流した。

「ごめん、椎子」

 そして、姉は部屋を出て、逃げて帰った。



 ああ、これで終わったか。と思ったら、なんだか、ぶつぶつ、ぶつぶつ聞こえる。

(ん?なんか、読経でも近くで上げている?)

 と思ったら、すぐそばにいた。それが隣の怜悧な風貌をした美しい男性だったから、ぎょっとした。

「まだ・・・まだ・・・・まだなんだね」

 ぶつぶつと帝が言っていることが聞こえる。

(えっ・・・?帝?)

「桜の君、君がまだそういう気なら、こちらも、寵愛を得るという白銀の宝を君に与えましかば、君は・・・」

(な・・・なに?どうなってしまったの?)

 帝は、どうなってしまったか。

 帝には混乱、失望、怒りが見てとれた。

 それがだんだんと変化して、代わりに増えたのは、何かが出て来る、生えるように、何か?それは黒いとぐろだ。

 あちこちからどんどん増えて、出て行くとぐろ。じわじわと増殖するとぐろだ。

 やがて、ぼうっと噴き出した。

 帝の全身から黒い妖気が立ち昇るみたいになる。

 ごうごうと燃え上がる、まるで火。私は見たことないけど、地獄の火かと思った。

「フフフ・・・・まだ、私の思いが足りないんだね、翠子。夢などにさせないであげるよ。もっともっと、分からせてあげるよ、私の思いを」

(ひえ、あろうことか、執着帝は振られてもさらに執着を高めた。忘れてた。この人、粘着帝だった。振られたら、逆に燃料投下するのよーっ。ど、どえらい燃料投下、やっちまったわー私)

 とうとう、おかしくなった。

(あわあわ・・・綺麗に振られて見事に終わったと思ったら、ここで、さらに、姉に情念を燃やすの?)

 この妻帯者がいっぱいのせっそうのない帝は、最高潮に危険領域に到達した・・・。

 美しく若い姉を見て、心がいっぱいになっているのが分かった。私はその帝が異様な目をして、姉の姿を見送っているのに気づいた。 

 どうしよう、姉上。執着帝が、さらなる狂気を高めてるみたいなんだけど・・・

 振られて、燃え上がる恋って、聞こえは良いけど・・・いや、聞こえは良いか?良くない。

「おのれ・・・翠子。是が非でも、わが手にしてやろうほどに」

 我を忘れ、欲望に燃え上がる姿は、黒い炎に包まれ、近づくことも出来ない。ちょっと、なにこれ?わっわっわっ。ぎらっと光るのは赤い目?これ、何これ?

 もう、地獄の大魔王みたいになっちゃったよーっ!



 ちょっと、あれ、やばいわよ。

 武士が敵を倒し、さらに成長グレードアップするように、振られるたびに増長レベルアップするっていうやつ?いっそうレベルが上がって行くっての?いったい、どういう存在?あの執着帝は。最後には何になるのよ?怖いよ。

 どう対処しよう?  

(危険よ、あれでは初恋の人清原中将も、地獄の果てまで追っていって捕獲するかもしれない)

 そう考えながら部屋に戻ってみると、なぜかその時、私の部屋の前庭には、白いきらきらした粒をつけた松の木みたいな木があった。

「これが、宝来の白銀?」

「まあ、椎子様、これは・・・宝来の白銀ですわ」

 久理子も気づいて、大声出した。久理子はあろうことか、袿の袖をかけて木を抱き込んで、辺りをキョロキョロし、私の手を引っ張って、猛ダッシュで部屋に戻った。

「見つかっては、梅壺の方や他の女房方、いえ、内裏の権力者たちがこぞって狙って来ますわ。特に右大臣と梅壺の方は、聞くだにひどい噂ばかり。何をされるか分かりませんわ」

 ぜえはあと呼吸荒く、顔を赤くさせ、汗も流しながら言う久理子の形相はもう、丑三つ時に呪いをかけていた人が見たなと振り返った形相。怖いわ、怖いって。

「億万長者、朝廷の王者、内裏の、いえ、日ノ本一の権力者ですわ、私達」

 久理子は万歳し、感極まって涙まで流している。

「思えば、北川殿に目の敵にされ、給金までカットされ、食べたいものも食べられず、苦労したおかげです、大金持ちです。これで」

「ちょ、ちょっと久理子殿、これ、本当に宝来の白銀?そんなわけないよ」

「え・・・・?」

「こんなところに、あるわけないでしょ」

「でも、これは相当に高価なものですわ。私も内裏で、高級家具や宝飾品などを見ているから分かります。光の輝きが違う。これは上等な本物の宝石ですよ?」




第3章終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る