第46話

「いい加減、椎子に悪いわ。ここはもういいから、家に帰りましょう」

 ふと戸口に人影が立ったと思ったら、見たことがある姿だった。

「椎子が後宮に勤めて、ずっといると、あの清流帝に狙われるかもしれない。そう思うと、私は夜も寝られなかった。もう我慢の限界」

「姉上?久しぶり・・・綺麗な藍色の唐衣を来て、正装して来ているから、突然で分からなかった」

 もう驚いて、何を言っているか分からないままだ。

「後宮で騒動起こしたとか、イジメられたとか、話を聞くたびに心配で、もう駄目。あなたを迎えに来たわ。帝には、私がきっちり断っておく。お家に帰りましょう、椎子」

 私は立ち上がって、姉に駆け寄った。

「でも、そんなことをしたら・・・」

「私だって気になってしょうがないの。家にいたって、普通の生活が遅れないわ。私が死んだら、父だって嫌でしょ」

「何を言ってるのよ。死ぬなんて」

「考えたってどうなるの?私はもう、出家するの。そうしたら、誰にも迷惑がかからない」

「出家なんて、そんなことをしたら、余計に帝を怒らせてしまうわよ」

「そんなの、私には関係ない」

 忘れていた。気性の激しい姉が、家でじっと音沙汰を待つなんて出来やしないのだ。

 竹を割ったようにきっぱりした性格。頼りないところはあるけど、正道に外れたことは嫌い。妹の私に荷を背負わせて、己だけ悠々自適などするはずがなかったのだ。

「どうしたの、姉上」

 姉の様子がおかしいので、見てみると、震える手には文が握られている。ぐらっと揺れて、床に座り込んだから、私は助け起こす時に、その手紙を取った。

「これは・・・?」

 その文を見ると、忘れて人生歩めだの、現実を見て長生きをだの、綺麗な文字で書いてある、これは、別れの文だ。

「あの人、こんな別れの文を寄こしたの。私と駆け落ちするって言ったのに、なんで・・・」

 姉が呆然自失なのは、清原中将から、あの後、別れの文をもらったからか。

 中将殿は内裏から去ったのだ。

 そして、姉が駆け込むことになった。

 私はやむなく、中将殿との話したことを告げた。

「あの人、全部、自分で責任ひっかぶって、去ったのよ、姉上が帝に入内するために、決別を決めたのだわ。それもこれも、姉上のためよ。いつでも、姉上のために全てを失う気でいたのよ。ぜんぶ、覚悟の上で、去って行った。あの人はもう、ここにはいない。姉上に、幸せになって欲しいと言っていた。あの人がそうやって守ってくれたのを、姉上はどうするの?全部を失う気なの?」

 私の中でも逡巡する。それなら、これで良かったのか、それとも大波乱が起こるべきなのか。父上の言うように、もう終わりになるまで・・・げ。うげ。そこまではまあ、聖君なんでしないと思うけど、まあ、あの執着度合とキレ具合からすると、何が起こっても不思議ではないからさ。

 お勧めはしない。奥さんの数が多すぎるし、怖い奥さんも多すぎる。

 けど、姉も一度、よく考えて欲しい。一度向き合って、考える時だ。

「そんなはずは・・・あの人は、そんなはずはない」



 もう、姉の初恋の清原中将との見込みは、絶望じゃないかしら?

 この後、姉が中将殿を無理やり連れ去るなんて、逆バージョンで奪いに行ったところで、あの相手なら、断るでしょう。

 野生馬の姉だもの、それぐらいやる気になったら、やるのよ。気だけは強いからね。

「ねえ、姉上」

「ううん」

「そこにいたら、寒いわよ」

「ううん」

 部屋に戻って来て、姉は私の文机で寝たきり、そこから動かなくなった。何を話かけても、ううんとしか言わない。と思ったら、急に寝返りを打ったりする。



忘れ草 枯れもやすると つれもなき 人の心に 霜は置かなむ


 もそもそと動き出したと思ったら、その和歌を姉は紙に書いていた。


 もし、ただやむにやられず、あなたが忘れてしまっているだけなら、目の覚めるような冷たい霜が降りて枯れたら、あなたは思い出しますか。

 本当はどこかで、忘れたはずの想いを、思い出すのでないでしょうか。 

あなたは・・・


 という解釈で良いだろうか。うう、切ない。

(もう、何日にもなる。ここに一人、人間が増えているのを、後宮の女人らに気づかれないかしら、いえ、それより帝に・・・)

 まったく。

(あまりに多くを求められても困る?)

 中将殿の態度があまりに腹立たしく、私は部屋に戻って、着物を脱ぎ捨て、あさましくその恰好で、部屋の本の片づけをし出した。それぐらいせねば、気が収まらなかった。

 私は小袖姿のあさましい姿のままだったけど、文机に向かって、筆を執って、西松に手紙を書いた。

(西松。今後、とりあえず、頻繁にうちの動向を教えて。ああ、姉上は私のところにいるから。それから、清原中将殿にも同封する文(手紙)を渡して)



 私は鬱屈した思いを払拭したくて、部屋を出て、外を散策した。

 姉が来ていることに気づかれたら、と思うと、私は冷や冷やしてならない。良い契機になるかも。けど、気づかれたくない。あの帝には・・・バレたら、ヤバイ。きっとヤバイわよね、きっと、いろいろなことがヤバイわよ。でも、今、姉上は重症(失恋)を負って、動かせそうにないわ・・・

「はっはっは、まあ、主上はん、そのようにまたおっしゃって」

「なに、私は力持ちだって証明しているんだ、万野。この前もそうだったろう?」

 ちょうど、清流帝が大きな池のほとりで、珍しくくつろいでいるのに出っぱなで出くわした。私はずるっとこけそうになったわ。なんでよりによって、内裏の奥にばかりいる帝が、こんなところにいるの。滅多に出くわすことないのに。

 清流帝は岸に寝そべり、池に石を投げたり、草を投げたり。

(気づいてたら、今の状態ではないよね)

 私は蟻の子を散らすようにさっと逃げた。のつもりだったのだけど、急に全力疾走したもんで、それと、焦っていて、もともと、ふらついていたので、思いっきりずるっとこけてしまった。

「誰だ?出て来い」

 とたんに、衛士に見つかってしまった。



「なんだ、蹴鞠の会、本気と思ったか。ははは。あれは単に、お前に手伝って欲しくてやっただけ。お前には興味がない。本当にお前を欲しいなど、誰が言うものか。そう言えば、お前も慌て、早く姉上をつなぎ止めなければと思うだろ。何だ、レンコンの椎子のくせに、いやに自信家でないか」

「嘘、あれ、本気だったでしょう?」

 いつぞやの繰り返しになるが、私はまた確信している。そういうところが、帝の悪いところだ。

「何を勘違いしている。私が超絶優秀で、超魅力的で色香を振り撒くのは分かってるだろ。言わずとも、このあふれ出るみなぎるオーラ、漂う、豊潤な威光。悲しいかな。それが、女たちを狂わすのだ。今更、その程度、慣れろ」

「いや、あれはまた本気だった。あわよくば、私のこと」

「はっはは、相変わらず、引っかかったな」

 私をおかしそうに笑っているけど、今はそういう状況ではない。それ以外にも勘違いなどしてないとか、いろいろ言い返すべき所はあるけど、今回はまあいい。それどころじゃない。

 池のほとりに膝を抱えて座り、私はぞわぞわする体を押さえる。

 帝のほうも、どうしているか、様子を見にいかねばと思っていたけど、思いっきり帝の懐に飛び込んでしまった。

(ずるっとずっこけた。それはもう、いろいろ重なって、私はこけたのだわ)

 もつれた恋の因果、いや、最初からもつれてないけどさ、ひこずりまくって、からみついて、食いついて離れないから、私もずるコケて、揉めてるんだけどさ。

 そのとどのつまりの、本人が身近に来ている。それに、中将がそばにいたことに気づいたら、どうなるだろう?粛清?

 なのに、帝はノー天気に、先日の蹴鞠の言い訳。いや、あと一歩で勝てただの、モテる私は女は腐るほどいるとか、そんなのはどうでもいい。

 私が黙っているので、勝手に私がすねていると解釈して、帝が勝手にしゃべってるのだ。本当に気づいてない。

 チュウ。ジョウ。姉、翠子、私も父ではないが、終わり、消される、神頼みだの、ぶつぶつ。自然とこうなってしまうのだ。

 憎たらしいほどの傲岸不遜な相手は、私の悩みも知らず、余裕しゃくしゃくとした表情。黙っていたら、聖君にも見える。少々、ほっとした。端整な美しさも備えているから、口をつぐめば、聖君面が出来る点もあるってのが、この帝の恵まれたところよね。でも、執着帝。間違った扱いしたら、命に係わるわ。

 もはや、運命はこの人の手腕にかかってる。私をエサにする気なのに、ますます情けないわ。

「お前とは一度、話合わねばならないと思っていた。今まで冗談ばかりで遊んでいたが、そろそろ、お前とは打ち解け合いたい。私とお前は、宮中では信頼できる仲間だろ?」

 口を開けば腹黒さが黒い霧のように立ち込める。到底、信用出来ない人でもある。けど・・・人間観察の不足感はある。まだ見てない面はあるかもしれない。師匠なら、もっとよく見ろと言うだろう。師匠の書く人物は、細かく考えられている。

(確かに、今まで何もまともに話し合ってこなかった。最初から印象悪かったし、陰謀もあって疑心暗鬼になっているし、帝という人の人となりが分からない。本気で語ることもしなければ、分かり合えないだろう)

「なら、教えてくれますか、常盤御前、師匠の本当のことを」

「お前に師匠のことを、確かに黙っていたが、誰も彼も疑ってかからねばなならぬ身で、本当のことなど言えなかった、だが、私の知る限り、お前に言ったことには嘘はない、私もまだ、多くのことを知らないのだ」

 そう言って、帝はあの皇后毒殺事件の経過を話してくれた。

 私も池のほとりに座って、じっくりと耳を傾けた。

「というと、皇后の元で、小説を書いていた師匠は、その時、助けを呼んだけど、緊急だったから、宿直の医者しかいないで、そのニセ医者が来た。皇后は出された薬を飲んだら急死。死に様から毒物にあたったと分かって、医者を緊急手配した。けど、その名前の医者はどこにもいなかった。内裏からも見事に消えた、と」

 清流帝は私に師匠の行方不明の事件の顛末を本当に語った。

 どうやら、打ち解けたいと言ったのは、嘘ではない。

「黙っていたのは、お前を見定めようとしたためでもあったが、どこの勢力に利用されるか分からなかったからだ。何の思惑にも染まらないことが私の配下には必要だ。お前が利用されて、私の周りをうろついていたのでは、この私が危ないのでな。お前は見事、何者にも組せず、お前の流儀で押し切った。まあまあ、元から、使えるとは見込んでいた。せわしない、節操がない、聞くだに高級官吏から嫌われそうなタイプ。だから、お前を信頼した。私も本当にお前に師匠を見つけて欲しかった。それは純粋にただ大切に思うものであると思ったからだ」

 まあ、帝は邪悪で腹黒い人物だけど、帝のやり方が全部が全部、帝が悪いわけではないとは思う。父も聖君と言っていたから、政治のことは真面目にやっているのだろう。政治の軋轢などで、仕方ないことはあるだろう。大勢が集う朝廷だから。

「確かにお前が妃になってくれたらと、私の政治的思惑はある。男だから、多少、女はいくらいても良い。だが、せわしない女は好かん」

 また女はいくらのあたりが最低だが、もう、私も怒りは感じなかった。

「つつじケ丘館の続きが知りたいって言ったのは」

「そんなの知りたいに決まってるだろ」

 やはり、万年片思いの男の話の続きを知りたいというのは、本当か。帝の権力を使って、両想いにする気ね。

 人の純粋にただ大切に思うものも、大事に思ってくれる人でもある。

 驚くべきことだわ。そんな明るい心があって、同じ物語好きなら、嫌うどころか、尊敬を持つ。

「父にもらったものは返さないと言ったのだとか」

「ああ、あれは単に言っただけさ。まだ、目的が果たされてないのに、帰られてはこちらも困る。お前も困るだろう?だが、ことが成就した暁には、用のないお前など、いらん。女官はだいたい、奉公期間が決まっている。皆と同じく、奉公期間が終われば、去ればいい。いや、目的が果たされたら、お前も気が済んだら、さっさと去って構わん」

 帝は、私の目的まで考えてくれてるってわけ?上等。

 帝は本心で語ると言ったのは、嘘ではない。帝の思想や思惑に触れて、私は執着帝への見方を変えつつある。もう、すっかり、家臣めいて、今更、また帝への家臣めいて、さらに忠義心が芽生えるだけだ。暗君なら、ますます離れただろう。でも、理解出来るから、家臣めいていくのだ、私も。一歩一歩。

 あの手紙を書いた時も思ったけど、嫌だなあとは思う反面、この人を知るにつけ、逆に清々しいものもあるのよね。わりと大腿不敵。思いっきり大胆に振舞える人は、けっこう、なかなかいないのよ。それが、誰よりも破天荒で凄まじいので、ちょっと怖いけど、知るごとに憎めない奴になっていく。まあ、私は姉とは違って、心の広い人間なのよ。

 あとは信用度。後宮にいる間は、この人は政治的や権力、立場的に揺れ動くから、それに巻き込まれると痛い目に遭う、私の立場的にそれが分かっているから、そこは仲良く出来ないのよね。

「お前が後宮で苦労するのは目に見えていたが、それでも、興味本位で来る子だから、師匠探しや興味の追及などで、どこまでも追いかけられると踏んだ。だから、お前を自由にした。何もかも勝手に探ってくれると思って。そのせいで、後宮も内裏も出入りし放題。それはかなりの特権だったろう」

「まあ、その通りで、おかげで後宮を探し回る機会が得られました」

「知りたがりの、そういうわけで、お前などタイプではないから、安心して早く、姉上とのことを進めるのだ。お前にしか出来ないことだ、わざわざお前を入れたのはそのためだ。私のために働いて欲しい」

「そういうことを、妹に訴えれても困ります」

「どうしてだ?私のためになぜ、姉の気持ちを手に入れてくれない?」

「いくら妹でも、帝を思う気持ちなんてどうにも出来ません」

「だとしたら、お前を妃にでも上げようかな」

「あー、またそれ、人を脅す。それを姉らは勘違いして、大騒ぎして、うちは大変なことになっているんですからね」

「ふん、勘違いするな、政治的なものがなければ、お前のことなど、何とも思ってない。本心ではお前を妃にと思ったり、誰かから奪ってまで欲しいなんて、望んだりはしない。私の愛しているのは翠子なのだ」

 う・・・あんま覗きたくない、我がまま帝の執着心。

 これだけ奥さんいて、そう言われてもねえ。まあ、私の思うことだから、姉が決めることだけど。

 しかし、姉の言葉が出るたびに、ぎくりとするわ。これで気づかれなきゃいいけど。

「姉は駄目でも、お前まで私を拒否する必要はないだろう。ここは味方になってくれ。ここまで話したんだ、もう私のことを受け入れてくれていいだろう?」

 帝は真面目だ。今は・・・

 そうしたら私も、この人が到底、悪い人には思えないようになって来た。今まで帝を粗略に扱い、無下に拒否して来たことを、反省もした。

(今まで良くしてくれた。待遇面では、一番、この人が良くしてくれたかも。私に宝物はたくさんくれたし、私の最も望むような後宮生活をさせてくれた。絵巻物も作れた。この人が最初から手を貸してくれたからだ)

 私のことは姉が駄目なら、次の手の一枚の札としても、姉のことは本気だろう。これは何度も実際聞いて、私もそう思うに至った。

 蹴鞠の会でも言っていたけど、手に入れたいものが全部手に入らず、憧れであることを聞いたら、私は悩む。何をこの人のせいにしていいのか。何を求めていいのか。どうしたらいいのか。

 帝のために悩むことなど、必要ないと思っていたのに。

 大事なものを渡す。そんな相手であっても良いのでないか?

 その考えに、私は本当に悩んだ。



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