第41話
「椎子殿」
前庭に転がり出て、梅の木の裏で隠れて庭の様子を見ていたら、背後から道臣が来た。黄色の上衣に緑の指貫と、今日は色鮮やかだ。
急に理想が現れるから、胸がどっきりとする。
「僕も参加するよ。椎子殿は僕が勝ったほうがいいだろう?」
「有難い申し出だけど、あなたも役人だわ。些細なことが、左遷などにつながる。遊びの蹴鞠の会であっても、上の人を打ち負かさないほうがいいわ」
「じゃあ、誰か勝って、君のことを求めてもいいの?」
道臣は本当に私が困ったり、弱っている時、手を差し伸べてくれる優しい人だ。
有難い。けど、大勢役人たちが見ている前で争ったりしたら、上位の立場の側に反抗的な人間に見られてしまう。道臣に迷惑をかけられない。
「もしも、帝が勝ったら、何を言い出すか分からないよ。君の姉のことや、もしかしたら、君の妃昇格を言い出すかもしれない」
「いえ、そんなこと、あるわけないわ・・・」
否定したけど、力のない声だった。
道臣も前からそれは言おうとしていただろう。
前に言いかけたのも、そうだったろう。私だけは読書に来ただけって言い張ってたけど、道臣だけはそれを心配してくれていた。
あの帝のこと。姉を求めて、妹を得るなど恥知らずなことはしないと思っていたのだ。けど・・・。
道臣はあの時、そう言おうとしてくれていたのだろう。
「だから、僕が参加して、何とか帝が勝利しないようにするよ」
「どうしてそこまでしてくれるの?あなたは官吏なのよ、自分の立場や出世のことを第一に考えていいのよ」
私は道臣に申し訳なくて聞いた。
「それはもちろん、君は、僕の友人だからだ。失ってはならない僕の大切な・・・・僕の大切な友人だからだ」
ああ、また友人思いの道臣の言動が出た。私が一人で、後宮で帝と戦っているのに同情してくれてる。
身を呈して、私をかばおうとしてくれる。その優しさに心がいっぱいになる。
でも、官吏の道臣は繊細な立場で、上と対立したら、この先、出世も出来ず、迷惑もかける。帝と面と向かって対立し、私を争ったなどと大勢に知れたら、内裏でどういう扱いを受けるか。私は気持ちが乱高下だ。
ああ、はがゆい。この身では何も出来ないように、後宮の女って出来てるのだわ。だから、陰謀に走るのだわ。でも、今頃から陰謀を立てたって、間に合わない。
「椎子殿はもちろん、僕のことを応援してくれるだろう?まさか、帝を応援しやしないよね?」
「それは、もちろん。帝に好きな女子を得るなどされては、困る」
「もし・・・もしも他の誰かが勝って、君を望んだとしても、断ってくれるかい?」
や、やだなあ。他の誰に言われたって、私、断るけど・・・若竹の君以外は。
ふと、私はきょとんとした。他の誰かが、私のことを?自分で言うのも何だけど、私、そこまで心配ないわよ。
「安心して、私、そこまで人気無いと思う。勝ったって、他の誰かが言い出すなんて有り得ないわ」
「そんなの分からないじゃないか」
ええと・・私って、そこまで道臣には、危機感を持つ存在に映っているってわけね?だとしたら、私って道臣の中では、私はすごく魅力的に映るのね。そんなことで喜んだら、父や久理子殿から上には上がいるって、喜ぶのは早い、調子の乗るなと言われるから、ぬか喜び出来ないけど、でも、好みは人それぞれだし、道臣の中で評価が高いってのなら、私は本望だ。
「僕は学問分野で生きて来たから、スポーツはそれほど得意ではないんだ。もしも、駄目だった時でもそう思っていたら、安心して出来るから、君のお墨付きが欲しい」
「でも・・・その」
帝せいで騒動になっているけど、私は道臣がどういうつもりで、日々私の事を守る気になっているか、それを思わぬ形で知ることが出来て、私は、その私を思う深さに心打たれた。とともに、とても私も焦って、不安だったけど、安心だったし、感激と感動で、胸がじーんとまたいっぱいになった。
道臣こそ、試合に出る前で緊迫した時。帝相手に一か八かの勝負の時だ。私が一人で喜んでいるなんて、ぶしつけよね。戦いを前にして、真剣に無事を確認しようとしているのに。
「うん。いいわ。誰が言い出すとしても、私もそんな気ない。誰に言われても、右少史殿でなければ、断る。だから、安心して、戦ってきて」
「良かった」
道臣はほっと胸を撫で下ろす。
「絶対、君のために勝ってくる」
「うん」
これは、すごく大事に思ってくれるよね。私のこと・・・
ただの友人ってだけなら、こんなことしない。とても大事な大切な友人なら、やるだろう。
父や義母、姉上だって、己のことや朝廷や、他のことで頭がいっぱいだろうし、だから、私、誰かに、今までそんなに思われたことがない。
それは友情とか、生徒とか、本当に真面目学者の先生心なのだろうか?道臣にとって私は・・・
お互い思い合える。それはとても貴重で、何ものにも代えがたい。一方が倒れかけている時は助けられる。私もいつか、道臣を助ける。そういう違いに気づかい合う関係は素晴らしいわ。
きっと私、誰かにそこまで思われたことがない。
家族以上に私を知り、信頼感を築ける。そんな人は私にとっても、大事だ。
もしかして、道臣は私の事、好き?それもものごく、好きな部類かもしれないなあ、なんて思ったりした。
「行って来る」
そう言うと、道臣は本気になったみたいだ。
普段は真面目な道臣の目がきらっと野性的な輝きを放った。それが意外と刺すほどの意欲があって、獰猛な野生の獣みたいで、私はむしろ、心配になってしまったほどだ。
でも、私は道臣に安心して任せていられた。内心照れる。蹴鞠の前だから、扇で顔を隠していたけど。
「えーと、あの、私も残ったんだ。こう見えて、蹴鞠は上手いんだ」
おずおずと、道臣の背後から、道臣の友達の宇多大和も出てくる。
「私も残ったんだし、とりあえず、右少史の助っ人に回るよ」
「そんなことはしなくていい」
「けど、相手は上手い奴らばかりだぜ」
「帝も真剣勝負だと言ってるんだ。だから、変な気を回すな。これは誰の手も借りず、実力で勝ち取らなければならないことだ。誰かに助っ人されて、帝に勝っても仕方ない」
「そういうなら、そうしよう」
友達同士、遠慮のし合いも含めて、何やら揉めていたけど、二人して試合会場に入っていった。
で、蹴鞠では道臣と帝を含め、最終的に残った八人になったのだけど・・
なんだか、帝と道臣は試合場で見合っている。夕闇の君も特別参加し、帝には誰も言えない直接の軽口を言い合っている。
夕闇の皇子が参加してからは、がぜん、場の空気が熱くなり、女性からの歓迎の声が天に轟くほど上がり、蹴り合いが始まった。
「がんばれー、忍坂殿」
私は道臣を影から一生懸命応援した。
「帝に何するのよ、このー外道が。帝勝って。私を選んで」
梅壺女御も女御らしからぬ応援を送ってる。
弘徽殿女御もいるが、こういう大勢がいる場では梅壺女御の遠慮もあって逆に静かだ。
一方、夕闇の皇子への声援はきゃあきゃあとか、頑張れとか、素敵とか、到底耳に出来ないことも含めて、いろいろ、あちこちから上がる。
なにやら異常な空気だ。もしも、誰が勝っても自分に指名が来るかもしれない女子たちは固唾を飲んで見守っていた。
帝は運動不足バレバレの細身ながら、けっこう粘って、道臣と激しい蹴り合いになった。
「アリ」
道臣は落ちそうな毬を地面を滑って蹴る。帝も聴衆の中に飛び込んででも、蹴り返す。
「ヤア」
夕闇の皇子も鮮やかに毬を蹴り上げる。
「オウ」
勝ち残った者たちはさすが蹴鞠が上手な者たちで、毬は落ちかけてはまた戻っての繰り返しだ。
最後の五人になった。
私は木陰から、必死で道臣の応援をしていた。頑張れと心の中で声援を送り、どうか、勝ってと願った。
いつもは読書している姿しか見ないから、道臣が走り回り、必死で毬を打ち上げる姿は新鮮だった。遣唐使はサバイバルって言ってたけど、あれは嘘ではないと分かった。
野生の鹿のような俊敏さで足を蹴り上げる。外れた毬も素早く追いかける。ぐらついた姿勢でも、軽やかに毬を打ち返す。
確かに、強靭な肉体が無ければ出来ないことだ。
(わあ、なんか、忍坂殿、すごい)
私はいつしか応援も忘れて、道臣の姿に見惚れていた。
最後は、皆、肩で息をしていた。蹴鞠って、わりと肉体を使う。残った者たちは、戦いを生き抜いた壮絶な迫力があった。
「ああー」
最後の勝利者が決まった時には会場から嘆声が漏れた。
「み、帝、大丈夫ですか?」
帝は威張り散らしていたけど、周りに手下たちがいた時は、軽い返しをもらい何とかこなしていただけで、最終決戦の強者たちの中では、二回ぐらいでコケて、一番、早く試合終了。
疲れて倒れて、侍従に介抱された。
「私は帝だぞ、お前たち、いったいどういうことだ」
真剣勝負でやると自分で言っておきながら、選手たちを指さして怒鳴る。負けてるのに、怒鳴り散らすって、恥ずかしくないのかしら。
帝は夕闇の皇子に介抱されても、まだ、ぶつくさ文句を言っていた。
執着帝と女の騒動に絶えない従兄弟同士って、こう見ると似ているかも。
「横恋慕ばかりして。二人に振られ続けたら、帝としての面子が立ちませんよ。大丈夫ですか」
「女遊びばかりしているお前に言われたくない」
帝が歩くのもヨタヨタして、階を一段上がるごとにぶっ倒れ、女御様たちは大慌てだ。しっかりしろと、夕闇の王子に助け起こされていた。私なんか、妃方の足元にも及ばないし、邪魔者。もう夕闇の方に任せよう。
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