第40話

「帝、何を考えているんですか、レンコンの椎子ですよ。せわしない、そんなのは嫌だって言ってたでないですか」

 私は帝のいる部屋の横の隅っこで身を潜め、誰にも見つからない場から帝にこっそりと話かけた。

 一応、敷島爺やに頼んで、そばに寄せてもらった。

「なんでだよ、私だっていつまでも、夢の中で逢い見ぬばっかりじゃいやだ。私だって男だ」

 帝も私が来ることを聞いているから、聖君面は止めて、邪悪ヅラのだらだらした、締まりのない言い方だ。もはや、こういう慣れた仲なのか、もう悲しいけど、残念ながら。

 これでは本当に、帝に尽くす女官だ。この従属感、手下感。帝を第一の主君としても崇め奉って、おまけに姉にフォローまで、あの爺やと似たことまでやった。なのに、最後まで負担を求められているなんて。

「私も最近、世継ぎだの、皇太子を制定しろだのと言われて、周囲からプレッシャーを与えられている。それを作れというのは、男の私一人では無理。そういう望みを叶えてくれる女性を得たいと思うのは、何が悪いのか。この私は何を求めても、とやこう言われぬ者だ。それは帝でなくても、男の願いだ。それを正直に表明したところで、人は誰も責められぬ。男どもは、だいたい、夢の中で会うだけ求めるのは、無理なのだ。ふふふ」

 ぞく。

 夢の中でってのは、いろいろあるけど、想像するに

 夢の内に遭い見む事を 頼みつつ暮らせる 宵は寝む方もなし

 っていう和歌だろう。

 夢で会おうとしても、俺の思いが邪魔になって無理という、いかにも帝の言いそうな和歌だ。

(つまりは、夢で逢うなどかったるいこと言ってないで、現実に会おう。でないと、俺の高まる思いは夢を突き抜けちゃうからね?と言ってるのね)

 和歌を不気味に解釈した、清流帝にある意味、ぴったりの和歌だ。

「夢の中というのはな」

「あ、はい。俺にふさわしい和歌だ、ぴったりだ、俺の今のことを表現してやろう、ふふふ、聖君、栄君、知能超絶、眉目秀麗、叶えられないものは世界にどこにもない、なのに、叶えられない思いを抱き、不可能に対面し、未知の世界を打破しようとしている、俺はスーパーマックス、英知、不可能を成し遂げる男、まさに俺にふさわしい、とか言う気なのでしょう?」

「ふっふ、よく分かって来たでないか。後宮に来て、お前も学習したな?」

 認めないでもらいたい。

 姉への思いが夢なら早く冷めて、と願った。

「帝は夢の中でなど言わなくても、何でも手に入れられる方。そのように自分を夢の中で考えずとも、現実でいくらでも欲しいものを手に入れることが出来ましょう。たった一人に固執しなくてもいいのでないですか?」

「そのように、皆、私のことを思うかもしれんが、私もそう、自由の身ではないのだ」

 意外としんみりと言う。私も驚いた。

 すると、帝は幼少の頃のことを話し出した。

 思い出し、懐かしみ、自分がいかに恵まれ、不自由だったかを、ぽつぽつと思い出を語るようにゆっくりと。

「幼き頃より、後宮で育ち、外の世界に出れるのは、ほんのわずかな時だけ。同い年の貴族の息子たちの家に遊びに行くのも一苦労。風光明媚な景色を馬で駆りたいが、危険だので行けない。皇太子になってからは、特に外出も欲しいものも手に入らないようになった。外で見た、楽し気な町の人々の様子が、私には夢のようだ。ちまたの日用道具など。私が望むものはあるが、それを持ってくるのは私の家臣らは下手で、毎度、豪華絢爛。それも綺麗な飾り付けのされた、まるで検討違いのもの。それが家臣らが私に献上するものゆえ、礼を尽くしたので文句も言えぬ。しかし、私は単に、野山の草原の花々を見たかったり、ちまたで遊んでいる楽しい遊戯がしたいだけなのだ。しかし、私では、それすら、簡単に手に入らぬ。幼き頃より、私はずっと、虚しい思いを抱えて生きて来た。ずっと、夢の中にいるようだ」

 そういうもの?帝なのに、不思議ね。何でも手に入ると思っていたのに。

「夢の中で、恋焦がれて、でも、欲しい人は手に入らない。お前には分かるか、この私の気持ちが」

 私だって、遠くにあって手に入らないものには焦がれている。欲しいものが手に入らないことも知っている。

 でも、私は帝の気持ちは分からない。

 生まれた時から天孫の子孫。内裏でも政治の中心。多くの人に崇められていて、右大臣と左大臣らの勢力が支え、日ノ本を統べている。そんな帝の焦燥感などは到底、大きすぎて推察することも出来ない。

 だから、たぶん、私などでは想像も出来なくて、きっと、私とは比べものにならないほどの経験をして来たのだろう。

 それは大変だったろうとは思う。

「帝になっても、そういうものなのだ。だから、世の中の全てが私の憧れの的。私は夢の中でずっと、欲しいものを見るだけなのだ。だから、私の心はいつまでも、虚無なのだ。夢は嫌いだ」

 そう言って、帝は本当に夢の中を見ているような遠い目をして、空を仰いだ。

 その目は真剣で、嘘も偽りもなく、無邪気なものだった。小さな少年のようにも見えた。そこに深い悲しみも見えた。

 なんだか、思っていたより、帝は考えたり、繊細な悩みを持っている。

「お前が夢でなくさせてくれるなら、試合には出ないが、姉との仲もお前は取り持つこともしないのだろう?私の皇后になれば、何不自由ない暮らしをさせてやれるが、お前はどうだ?権力も手に入る、お前の家も繁栄する。日ノ本で手に入る財宝も、珍しいものでも、食べ物でも何でも手に入るぞ」

 どうって・・・こんなときばっかりに、魅力的な笑みを振り撒くのは止めて。もう、騙されて、邪悪なの知ってるから、笑みも爽やかに見えないわ。

 何かまた、軽く下心を出して、私まで手に入れようとする気だけど、私、そんな気ぜんぜんないから。



「では、私も参加するとしよう」

 絶望の淵に立たされた私の気分が底まで落ちているのに関わらず、帝は飄々と試合会場へ向かっていってしまった。

 いやいや、参加、止めて。私は柱の陰から首を振る。

 いったい勝ったらどっちに言う気つもりなの?

 帝まで参加するとなって、周囲がざわっとなった。

「またですか?先ほどの予選で、もう終わりにすると」

 すかさず御簾の中から鋭い声がかかった。

 梅壺女御だ。

「そんなことは言っておらぬ。私も予選を勝ち抜いたからには、決勝戦に出る。これは戦い。皆、真剣勝負でやるのだ、遠慮するな、本気でかかって来い。本気でない者には罰を与える」

「帝がもしも勝利した場合は、どうするのです?帝が選ぶ女子は、いったい誰にする気なのです?」

「私にもその権利がある、ということだ」 

 梅壺女御は、帝の返答を聞いて、御簾の中で、むきーっと怒ったのは、もう、誰の目にも明らかだった。

 私は隠れていたけど、私への敵意が向けられたのが分かった。

「し、椎子はん、梅壺女御が来て欲しいそうどすえ」

「は・・・はい」

 嫌とお断りしようものなら、さらに怒りに火を注ぐことになる。ここは行くしかない。

「知りたがりの。いったいどういうことえ?帝が勝ったら、好きな女子を得るなどと言っておるぞえ?」 

 また見たこともないほど、梅壺女御は凶悪な殺気を漂わせていた。 いや、問題は放置したほうが良かったかもしれない。

 私、いつもこの状態でしか知らないんだけど、どうして毎回、こうも殺気を向けられるんだろ。

「わ、私に聞かれても」

「まさか、姉の翠子殿を・・・いや、それとも、お主を?まさか、お主が焚きつけたのかえ、帝を?」

「そんな、そんなことはありません。あっ、急に腹がいたたた。急ぎますので」

 私は転がり出るように、梅壺女御がいる室から飛び出た。

 あとでまた戻って来なさい。という梅壺女御の声が聞こえたが、返事もしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る