第39話

 紫宸殿の前の庭では、アリ、ヤアー、トウの声が聞こえて、丸い毬が空中に浮かぶのが見える。蹴鞠のための色鮮やかな衣装が入れ替わり立ち代わりするし、その衣装が光に反射してきらきらときらめき、とても綺麗だ。さすが、優雅。貴族たちの遊戯だ。

「いったい何があったのです?」

「ああ、椎子はんか、いや、あの帝が急に、蹴鞠の勝者に好きなものを与えると言い出しましたんや」

 私は扇で口元を隠しながら、渡殿の近くに見物客となって来ていた古い女官のおばさんに聞いた。

「好きな女子でも何でも望みのものを与えるなんて、言い出したから、男性らは色めきだって、相争ってますんや。いつもは穏やかな蹴鞠の会なのに」

「好きな女子?蹴鞠の会はいつもそのような褒章を?」

「いや、いつもはお菓子とか衣とかですえ」

 確かに・・・見ると、色とりどりの衣を着た男性諸君が、蹴鞠の毬を必死で落とさないようにして蹴っている。

(一番、どす黒い怨念の空気を発しているのは、帝の横に座す妃たち。のなかの、梅壺女御)

 この広い日ノ本で、なぜ、ここで面付き合わせて、因縁を言い合わねばならないのか。



「君が原因。君のせいで、大変なことになってるんだよ」

 ふと見ると、美形で大人の妖艶な風をまとった男性が背後に来ていた。

「夕闇の君。どうして、私が原因なの?」

 会うのは久しぶり。常に目が醒めるほどの怜悧な美貌、心がざわめくほどの色香、一目だけで女を虜にするような魔的な魅力を備えた内裏の人気トップ。

 夕闇の君は先に蹴鞠で、ひと汗かいたのか、顔が上気している。

 いつもは高官の黒の衣装だが、今日は濃い青の上衣に、緑の指貫の蹴鞠装束で、汗をかき、暑そうにしながら、手拭いを首にかけて汗を吹いている。

「いつもは蹴鞠の地味な遊戯会なのに、帝が急に好きな女性を与えるなんて言って、自分で好きな女性を手に入れる気なんだよ。つまり、君」

「私?姉じゃなくて?」

「そりゃ、本気度は違うけど、君さえ手に入れたら、大納言の家から入内させられるだろ。右大臣の勢力を押さえるのに、君で押さえられるのだったら、君を皇后につけてもいいわけだ」

「まさか」

「君も皇后の候補者だ、気づかなかったか」

 私は絶句したけど、それは、私も最近、ちょっと気づいて来たことだった。

 勢力均衡のために、皇后の座に、大納言の娘を入れたいなら、姉でなくても、私でもいいわけで・・・

「それにやつ、横恋慕するタイプだから。君の事は、この前から右少史殿と良い仲なのに気づいて、急に君に興味を持ち始めたのだろう」

 確かにあの人は、もっと本格的に病的なのだ。姉も手に入らないから、よけいに執着しているのだ。

 仲の良い恋人同士を横から見て、邪魔するタイプ。そういう手に入らない相手に想いを募らせてしまうのだ。

(私が皇后?)

 まさかそんなはずはないけど、それも面倒なことに、妙な思い込みでも何でも、あの帝がやるって言い出したら、実現してしまうのよ、絶対的な権力を持つのだけは持っているから。

「そんなはず、・・・私と右少史殿は単なる友達なのよ」

「姉にも相手されない、妹にも相手されない。なら、分かるだろ?」

「そんな」

「あいつの心の中はあいつしか分からないけどさ、急に君に興味を持ちだしたのは、確かだ。ま、昔からあいつの興味は、特殊だよ。特に君の姉上なんか、子供の頃から言っている。私も内裏で勤めて長い。奴が何を考えているかは、よく分かる」

「自分で言って、自分で手に入れるなんて、やり方汚いわよ」

「そういう奴だ」

 さらりと言われて、私はまた失望を禁じ得なかった。

 嘘でしょう。

 あいつの横恋慕で、身代わりに後宮に入らされて、エサにされ、あいつの恋文まで代書したのよ・・・何度も、何通出したか。

 さらに、皇后の座?姉が手に入らないからと言って、妹の私をさらに身代わりにするつもり?

 その上、世継ぎまでセットなんでしょ、その皇后の座ってのは。

 どこまで代替えにする気よ。

 それに、そこは多くの勢力から狙われる危険な座よ。皇后は暗殺された。毒殺。いまだ犯人も分かってない。

(いったい・・・どこまで続いているのよ。私の身代わりデス・ロードは)

 私は、内裏見物だの、書物を読むだので浮かれていたけど、姉という壁が取っ払われれば、次の狙い目になるのは、私だったって・・・のは知らなかったわけじゃない。

 少々、そういう危惧はあるかな?なんて思ってたけど、それは姉を思う帝の執着があったから、安心してたわけで・・・分かっていたけど、悔しい。

 帝の思惑通りに、ことは進んでいるのかもしれない。

 これは、私にはいったん入ったら出られない迷宮なの?

 ひどい。本当なら、あまりにクズ過ぎる。・・さすがクズと、己で言うだけある。


 清涼殿の前庭では、蹴鞠を蹴る色とりどりの衣袍を着た貴族たちが、丸い毬を空高く蹴り上げている。

 落したら外れるのルール。

 毬を渡されて蹴り返せなかった男、足に当たっても、上手に相手に毬を渡せなかった男は外れている。

 蹴鞠は大勢で囲んで、毬を蹴る回数を競うもの。多く蹴ったほうが勝ち。だいたいそんなルールだ。だが、明確な規則も決め事もない。

 私はこっそりと、遠くから帝のいる御座所を覗いてみた。

「まあ、主上、本当にやるおつもりですか?主上が前に蹴鞠をしたとき、毬が痛いだの、足が痛いだの言われて、丁寧に教えてくだすった師匠とも喧嘩し、もろもろ揉めたあげく、すぐに止めはったじゃないですか」

「何、今日は見てなさい、万野、私があの若武者に勝ってみせるから、ふふふ」

 と例によって、執着心の帝は、不気味な笑みを浮かべている。

(ひょわああああ、ぶきみ)

 私は渡殿の柱に倒れそうになった。

 聖君なのだ。これでも。

 ちゃんと内裏のことも考えて。

 己の勢力のために、ちゃんと考えて。

 あいつなりに、いろいろ考えてやっているのよ、たぶん。

 でも、不気味。

 ねちっとして、腹黒さや邪悪さが漂っている。

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