第3章 夢の中で逢い見ぬ 忘れ草

第34話

「あーさっきから、にまにまとして、ちっともはかどらない」

 夏祭りでは、また右大臣と左大臣側とが対立し、雑踏警備と道路整備とで見栄を競ったようだったが、うまく雑踏警備をして民草をもてなした右大臣側への評判が良かった。もてなしの上手い右大臣と賛美がついたようだ。

 それはそれとして、祭りから戻ってから、しばらく一人で、にまにまとすることが増えたかもしれなかった。

「え?私、そんな顔してる?」

「何やら、暑い日中で、さらに暑い、良いことがあったようで」

「ななななな、なん、そんな、そんなことは」

 えーと、二人で町を歩いて・・・ただ、町をぶらぶらしただけだけど、顔がにやけて来るの。

「後宮に身代りに入ったと言って、しょげるべきところですわ。大納言様も、御義母様も、それはそれはもう、青ざめてゲンナリしておいでになっているのでしょう?」

 久理子は私の部屋つき専門になったことで、誰にも気を使わなくて良いと、せっせと硯の墨の汁を捨てたり、ホコリを雑巾で拭いたりしてくれる。

「ふっふっふ。そりゃあ、私、夢見た宮中へ来たんですから」

 久理子に言われた通り、私は変に笑っていただろう。思い出したら、笑が止まらない。なんだか、そういうことで、くふふ。

「内裏ではまだ、陰謀がうごめいています。椎子殿もまたいつ何時、永城天皇の一派に狙われるかもしれないのですから、そう夢見がちでいられても困りますよ」

「ふふふ、内裏生活が思ったより楽しいって分かったんだ、私」

「それより、師匠探しは進展はあったのですか?」

「まだ、何かと理由つけて、内裏の中を回っているけど、どこにも」

「それでなくても、梅壺女御や弘徽殿女御に睨まれているでしょう。目立ったことは避けたほうが良いのでは?」

「そうは言っても、人探しは探さないことには見つからないものだし。大丈夫、目立たぬようにしているから」

「椎子殿。椎子殿は、大納言の姫君。いずれ、どこかの貴族の婿を取り、京の都に屋敷を与えてもらい、ひとかどの妻となるのがふさわしいお方。宮中がどういう場所がご存じ?」

 改めて聞くと、何かしら?陰謀があるところ、事件があるところ、権力闘争があるところ、寵愛争いしているとか、久理子から聞いたけど、何?

「帝とお后様と人にぎりの貴族だけが入られないと決められた場所で、それ以外は、下々の者として、高貴な方にお仕えする、つまり下僕なのです」

「いいのよ、それで。私、憧れの常盤御前に会えるんだったらどこでも何でもするもの」

「嫁ぐ話だって、すぐあるかもしれません、しかし、右少史殿と何やら懇意なのでしょう?あの、陰謀に巻き込まれて放浪する物語の・・・そんな人が、結婚に割り入ってきたら、椎子殿はどうするのです?」

「そんな邪魔とか、悪いことをする人ではないわよ。弁官局の官吏だし、一応、ちゃんとした貴族の家の息子と思う。いえ、とりあえず、今は、私は他の事は考えてない。師匠がいる後宮に来ているのだもの。まずは師匠を見つけることに集中するわ」

「しかし、常盤御前は有名な方ですわ。会ったところで、何をするのです?」

「サインとか、新作があるかどうか聞くとか、書いているところを見るとか」

 それまで私は胸に秘めていていたことがあった。誰にも言わず、胸に描いていたことだ。ええい、いいや。そう思って言った。

「常盤御前に、私を弟子入りさせてくださいって言うの」

「はーっはっは」

 思いっきり鼻で笑ってくれるじゃないの。また。

「常盤御前は、後宮の天下一品の女房として一度は君臨した女性なのです。椎子様にとっては大事な師匠かもしれませんが、相手にとってはその他大勢の一人でしかないでしょう」

「ち、違うもん。私が熱心に手紙を書くから、常盤御前は私にお返事をくれて、私をファンの中でも一番信頼し、可愛がってくれている」

「ほう、椎子殿は認定ファンと。しかし、常盤御前がいつ認定してくれました?」

「それは、きっと常盤御前もひそかに心の中で思ってくれているの」

「ファンにありがちな、私だけは違う思考ですね」

「ち、ちがーう。私、本当に常盤御前に、一のファン、弟子って思われてるもん、絶対に、大事な、大好きなファンの一人って思われてる」

「それはどのようなところから?」

「手紙を返してくれた」

「そんなの、ファンの一人なら、お礼の返事として返すでしょう」

「ちがう、私だけ、私だけに特別な、お礼の手紙をくれたの、心のこもった返事を」

「それが、私だけは違うファン思考ですね」

「だから、会うの。今から後宮に勤めて、各所の妃の部屋を訪ねて、どこかにいる常盤御前を探して、私だけが一番好きだって、認めてもらうの」

「やれやれ、師匠に逆に嫌われないか、心配ですよ、椎子様。付きまとい(ストーカー)みたいですわね。ファンへの愛の証に己を認めて、愛も見せろと言うのでしょ。おお、さぶ。友人としても身震いしますわ、作家にとって、そういうファンはもっとも寒いですわ。それファンですの?」

 ぐさ。

「それにそのような甘い認識で後宮でいられては」

 久理子は呆れたように言った。

「出る杭は打たれる、気に入らなければ、こき使われる。嘘も上等、常連手段です。相手を謀り、相手の思う壺にさせる。後宮ってまあ、そんなところですから、うかっとしていたら、やられますよ。あなたを敵視する女御連中に一発で・・・ぺっちゃんこです」

 久理子は手の中をこねこねする。

 ぐさっぐさ。

 久理子、あんた、北川殿で苦労したからでしょうけど、老婆心が高すぎ。私の幼い頃からの侍女の西松より、キビシイじゃないの。

 確かにそうだけどさ・・

 でも、私、根っからの物語好き。常盤御前のファンなの。

 この後宮にいるなら、絶対会いたいわよ。

 姉の結婚とか、帝の恋愛とか、うちの家の権勢とか、重要な原因がいっぱいあるけど、私の生きる理由でもあるし、生きる道しるべでもあるもの。

 師匠の持つ影響力が、私に示唆してくれるの。生きる道を、己の確立を。今私があるのは、師匠のおかげだもの。

 その人がこの世にいる。

 いる場所は後宮で、私もいる。

 なら、私の生涯でぜひ一度会わなければのならないわ。

 ううん、この機会に会いたいの。

 大好きな人だもの。・・・会えたら、私、一生、悔いはないわ。

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