第33話

 夏の暑い盛りに、祇園御霊会があった。

「いいのだろうか。右大臣。庶民の祭りに私らが出かけると、せっかくのお祭りなのに、皆が楽しめるだろうか」

「いいんじゃないですか?疫病退散のお祭りですし、帝の妹君の斎王代が精進潔斎して無病息災を御祈願するのです。もともと歴代の帝は祭りを援助しており、おでましになられるなら、我々にとっても幸い。この機会に桟敷席などを儲けて、貴賓や庶民が祭りを見やすくしてはいかがでしょう」

「都の治安もどうだ?祭りに乗じて、よからぬ輩も入り込むだろう」

「なら、雑踏も警備しましょう」

 と、花の都の噂も広まり、人も多くなって来た昨今、帝も祭りを見学されることになり、帝が右大臣に相談したことで、右大臣が調子の乗って桟敷席まで儲けることになってしまった。

 御霊会は祇園社(八坂神社)から神輿を担ぐ者が、綺麗に飾った神輿を担ぎ、それを大勢が紐で引っ張り、御旅所へと移動する。

 私も帝の妃として行っても良いことになり、牛車まで用意されたので、とりあえず見にいった。 だって、一年に一度のお祭りだもの。見にいきたいものね。毎年、姉や友達と共に行ってたし。

「まあ、何て綺麗なんでしょ。見て、椎子殿」

 私の牛車に乗り込んで、車の窓から行列を見た久理子は目を見張った。

「久理子殿は見たことないの?」

「はい、京に来てすぐに後宮勤めで、見る機会がなかったのです」

「じゃあ、教えてあげる。輿の上には、鳳凰を載せた牛頭天皇の神輿が載っていてね、その次の神輿は、婆利女の神輿、八王子の神輿。回りには神輿に付き従う者たち、田楽、童、巫女や騎馬、曳き手、舞手、囃子方、鉾を持つ者、神官などが付き従ってるわ」

「賑やかで、楽しいお祭りね」

「まあ、あの右大臣のおじさんや他の高官のおじさんらが、陰謀に加担しているかと思うと何もかも怪しくなって来るけど、今回ばかりは、楽しみましょうかね」

 大勢の人が出ていて、神輿の行列を見物している。

 桟敷席まわりは、出て来た高官や貴族たちの牛車でいっぱいだ。




 近くで、がやがやと往来の騒がしさが聞こえる中、耳障りな声が突き抜けて入って来た。あの男だ。日下部。

「おい、なんとしても、梅壺女御様とお上を、いっしょに見物させるんだぞ」

「と言われましても、帝は桟敷席に入ってうんともすんとも言いませぬ。どのようにするのですか?」

「るさい、ぶうぶう言うな。とにかく、梅壺女御様のために、お隣に座らせるのだ」

(あれ?あの時は左大臣の家臣だったのに、今は梅壺女御?)

 緑の衣袍、鳥烏帽子だ。あれから出世したらしい。あれ、とは、北川殿の計略失敗した後だ。むしろ失敗だったのに。

 左大臣側ではへーこらしてうだつが上がらぬようだった。なのに、あの時より昇進しているとは・・・

(目に見えないところに、敵がいる。誰か知らない人も、敵になる)

 内裏は人が入り乱れ、容赦のない争いがあるところって、雪風人も言っていた。

(内裏は本当に、どこに敵がいるのか分からないのね。伏魔殿。本当にその名が似合うわ)

 常盤御前のいる所と思ってきらきらしたものばかり見てた。

 ちょっと怖いけど。

 でも、やっぱり私には、常盤御前のいるきらきらした場所。


「ちょっと、図書何とか、来なさい」

 その日はもう、楽しく牛車見物が続くと思っていたら、偉そうな女房たちに呼ばれて、桟敷席まで連れていかれた。

 とある重厚な警備がされ、御簾がかかっている席に入ると、綺麗に着飾った梅壺女御が、はーだの、まったくだの、ぶつぶつと剣呑そうにしている。

「梅壺女御様、お呼びと聞きましたが?」

 以前、軒から吊るされそうになってから、梅壺女御は苦手だ。

(この人と、皇后不審死ってどう関わってるんだろ?梅壺のイジメで死んだ、とか噂があるのに。一番、この人こそ、やりそうなんだけど)

「よう来たの、図書史だとか何とか。最近は何やら、書き物をしているとかしてないとか。まあ、何にせよ、元気でぴんぴんしているのう、まったく、健康そうでなにより」

 女御様こそ、お元気そうでぴんぴんしていらっしゃって、健康そうですね。極悪人の犯人ヅラまで全開だ。

「まあ、それほど元気だから、知りたがりの。多少、食べるものが無かったとしても、少々、寵愛がなかったとしても、健康に不安はないじゃろ?ゆえに、今回は私に譲ってくれんかの?」

「何のことでしょうか?」

「毎年、祇園祭を見るが、このたびは帝と共に見る初めての祭りじゃ。共に見るのはわらわ。なのに、桟敷席の横は、そなたの席が用意されておると聞く。そこをわらわに譲ってくれんか?滅多にない機会じゃ。わらわは、帝と共に桟敷席で祭りを見たいのじゃ」

 帝がいるというのは極秘事項で、最初は気配すらなかったんだけど、そのうち、私も桟敷席の真ん中が近衛府の大尉だの、検非違使だの、市の役人だので緊迫し出したので、何となく来ているのだなということは察した。

 プライドの高い梅壺女御が、こうして頼むということは、よっぽど、自我を折って、頼み込んでいるに違いない。帝への強い思いを感じる。

「私が?まさか、とんでもない、何かの手違いでしょう。私など、女御様方に遥かに及ばぬ存在です。帝のおそばに、それも女御様方が楽しみにしている祭りの見物に、女御様方を差し置いて私がおそばに上がるなどあり得ないことです。まったくもってそのような輩は言語道断の輩でございます。ここは梅壺女御様が当然行くものと存じます。でも、私のような身分では到底何も言えませぬ。梅壺女御様、どうか、お助けいただきますか?」

 また帝が何かを企んでいるのか知らないが、私は全部、お断りだ。あんな危ない帝、関わらないに限る。これは渡りに船だ。女御様方に奴を捧げるに限る。

 すると、梅壺女御はにっこりとし、とたんに上機嫌になった。

「まあ、とんでもないことよのう。しかし、下々のお主のような者では、上の内裏の侍従や近習に、ものを言えぬであろう。うかと言おうものなら、お主の咎にされるかもしれぬからのう。よろしい。あとは、わらわがうまく取り計らってやるから、心配はするな。なに、感謝はいらぬ。下の困りごとは、上の者が解決せねばならぬ、仕方がないことじゃ」

「ありがとうございます。お願いします」

「良い良い」

 私が頭を下げて頼むのがよっぽど嬉しかったのか、

 ほほほ、ほほ、良い良いと、頬を緩めて、喜んでいる。。帝とひととき過ごせるのがよっぽど嬉しいのか。どっちもだろう。

(良かった。帝が何気なくその気を起こしただけであっても、梅壺女御様には大事なことなんだからね)

 後宮で絶大な権力を持つ女御でも、我が夫を思う気持ちは一途だ。大勢の妃が要る中で、寵愛争いするのもそうだろう。

 一年に一度の祭りを、帝と共に見たいという、梅壺女御様のけなげな女心には、感心したわ、私。

 なんか、笑うと案外、人懐こくて、普通の人という感じかしら?

 後宮で我儘三昧、私を吊るそうとしたのも、ま、一途と思えば、許せる。あんなのでも、女御様にとっては大事な人なんだから。

 これで焼きもちも緩和出来たかしら?と、私が少々譲ったことで、これから梅壺女御の風当たりも緩和されて行くかな?なんて、思ったときだった。

 どたどたと足音がして、先ぶれの女房が急報を告げた。

「お、お知らせします。帝がこちらへ、桟敷席で共に見る方を呼ぶとのことで、ヤナギの木の枝が刺さったところが、帝の横の観覧席で見る方だそうです」

「な、なんじゃと?」

 とたん、梅壺女御は殺気立った。場の空気がさっと、いやあな空気に変わる。

 な、何それ、ヤナギ?何をもてあそび出したの?何を思いついたの?なんで、せっかくの祭り見物で、どうしてまた、ご乱心なのよ。

 ひええええ、もう人相変わってる。

(裏切った。今多分、私は、梅壺女御様を裏切った)

 大事な思い出を、大好きな人との思い出を作ろうとしたのに、私が邪魔をした。でも、こっちは不可抗力。そこに挟まろうとして挟まったわけでは・・・

 御簾の中からもくもくとどす黒い煙が火山から噴火。

(ひいい、に、人間ですか?陰陽師の祈祷の煙より、黒いよーっ)

「知りたがりの。ぬしは、手違いと言ったであろう?なぜ、おぬしがいるわらわの部屋へ、帝の使者が向かっているのじゃ」

「え?ひ、知りません。私は関係ないです。何も存じません。ええと。えと、こちらは梅壺女御様の部屋です。梅壺女御様のところに来ているのでは?」

「お主のところに行くのでないか?」

「いえ、めめめ、滅相もない、めめめ、めい」

「いや、どこへ行く、待て、知りたがりの。お主のところへ、行くのじゃろう?」

「いえいえ、そのようなこと、あるわけがないです、ないないない。まったく、ない。誤解です」

「誤解かどうか、どういうことか、ここはとことん説明してもらおう」

「違いますって、思い違いです、はひ」

「何が違う?」

「ひっ・・・」

 鬼が出て来たかのように御簾の中から、ぬっと手が出たので、私は早々に女御様方がおわす桟敷の部屋から逃げて、自分の牛車に戻った。

 はあはあ、ぜえぜえ。

「どうしたのです?」

 

 車から観覧する人らの場所では、牛車や網代車などが集まっていた。

 中で待っていた久理子は、慌てて戻って来た私を見てびっくり仰天した。

「や、やばい、ヤナギが来るかもしれない。逃げたほうがいいかしら?」

「ヤナギ?何ですか、それ。逃げるって、どこへ?」

 私は正式な服装で来ていて、一番上には唐衣で、下には襲の色目だので十枚くらい衣を着ていた。髪は後ろに垂れ下ろしだ。長袴はぶかぶかとして、これでは逃げられない。久理子もそれは今日は同じだ。

(でも、これはヤバい状況よ。帝の横で祇園絵を見物などした日には、梅壺女御が怒り狂うわ。逃げなきゃ)

 と思った時だ。牛車の御簾から手が伸びてきて、私の腰元を太い二の腕が掴んで外へ引きずり出した。

(どうしよう?奴に、見つかった?)

 と、後ろから抱き上げる腕の持ち主を見上げたら、そこに爽やかで引き締まった端整な顔。右少史殿だ。

「ど、どうして?」

「ま、君の危険を察知してさ、助けが欲しいのだろ?いらないか」

「いる」

「そんなことだろうと思った」

 道臣はそのまま私を抱えて、横につけた牛車の中に私を引き込んだ。

「桟敷席の帝と、君の牛車を見ていたら、君がヤナギとヒオウギの使者に追い回されてそうだったから、また危険なんだと思って、助けに来たのさ。御者さん、出して」


「椎子殿は体調が悪くなり、先に帰りました」

 見ると、近習と見られる者が私の牛車を訪問していた。

 久理子が平然と応対してくれ、助かった。

(危なかった)

 がたごと。

 道臣が命じると車はすぐに動き出し、見物席から遠のいていった。

「ありがとう」

「君は思ったより、危険に遭う。どっかの危難去ったらと思ったら、次は梅壺女御に狙われる。まあ、内裏は危険だらけだから、僕も分かってる。だから、僕も目が離せない。今さっきは、間一髪セーフだった」

「ほんと危なかった。いつもタイミング良くて、右少史殿はいつも、私のこと見てくれているみたい」

「いつも君のことばかり見て、仕事してないわけでもない。でも、気にしているから、危機は何となくわかるんだ」

 道臣は顔を赤くして、慌ててもごもごと言う。

「そうなの?右少史殿がいつも見てくれていると思うから、安心していられるのよ」

 私は感謝の気持ちを伝えたくて、素直な気持ちを伝えた。

「いつも見ている。君が危ない目に遭わないために」

 部屋で熱心に読む冊子でも見るみたいに見られるから、私は思わず喜んでしまった。

「基本的にはそう。でも、超人でもない限り、僕も抜け落ちがあるかもしれないけど、基本的には助けたい、だから助けに行く」

「ありがとう」

「気にしないで。僕も君がいるから、僕もまた本が読める。君は仲間だ、仲間同士は助け合うものだ」

 そして、狭い車の中で道臣は不敵に笑って私をいたずらっ子のように見つめる。

「右少史殿は時々、この世のものではない者みたい」

「時々言われる」

「宇多殿ね?」

「あたり」

(何だか連れ去られた姫君の物語と同じだ)

 しがらみから外れて、静かなところに、二人きり・・・

「あのー、何かこれ、ちょっと有名シーンと似てますね」

「君が危ないから、連れ去ったんだ」

 私はなんだかおもしろがって言うと、道臣は顔を赤らめて、もごもごして、慌てている。

「連れ去りってのは、だいたい恋する女の人対象でやるものと相場が決まってるでしょ?」

「そ、それは・・・偶然」

 道臣ももごもごしたが、私も物語で何度も見て来たから、赤くなってもじもじしてしまう。

「右少史殿も、女の人をさらうの?」

「椎子殿、いくら質問好きとは言え、そんなことを人に聞いちゃいけません」

 道臣は顔を赤くする。

 真面目な学者先生気質が取り柄と言えば取り柄。固い頭と、漢文で出来上がった大学寮の学生だから、お堅いのだ。

 確かに、行き過ぎたことを聞き過ぎた、男女の礼も弁えぬことだった。こんな失礼なことを言って、機嫌を損ねたかなと思ったけど、見たらすぐ道臣の顔が私の目の前にあった。そのまま、ふいっと私の顔の横を通り、私の耳もとにささやく。

「僕も好きな姫君ならさらいますよ?」 

「わ」 

「なにです?」

「い、いや、あの。確かに私が不謹慎なことを言ったけど、不謹慎なことをしていいとは言ってない」

 私が声に耳を指さしてあぐあぐ悶えていると、道臣はそれを見て、くすくす笑っている。


 


「あの人、私を北川殿と組んで陥れようとした人、梅壺女御の席を入れ替えようと奮闘していたけど、今は右大臣のために働いているの?」

「もうとっくに右大臣側についている。政局が変わって、朝廷は右大臣が統制した。それで、左大臣の一派は、内裏からだいぶ去った」

(へえ、あの陽気なおじさんが)

 ただ、清流帝の皇后の暗殺に関わっているのでないかと思うと、また違った人に見えて来る。

「そう言えば、右大臣側が左大臣側を追い落とす勢いで、追いつめているって久理子殿も言ってたわね」

「そう。長年、左大臣についていた小弁局の者や、中務の者、大蔵省の者までごっそり右大臣側に変わったよ。左大臣の右腕だった梶川殿も、大宰府へ飛ばされた。前々からやっていた左大臣の商館や取引を、右大臣が抜け荷や税逃れで追求して、左大臣側の不備とつついたからね」

「梶川・・・知ってる。温和で良さそうなお爺さん?」

「もうとっくにいなくなった。日下部が梶川さんの後釜について、右大臣に、うまく取り入っている」

「あの日下部が?左大臣の手下じゃなかったの?」

「もうとっくに鞍替えしてる。左大臣に仕えていたのは、手始めだっただろう。めったやたらと人にくっついて、上目の者の言い分を聞いて、誰かの手柄も横取りして、それを喜びそうな連中に差し出して、つく相手を変える。そうして、誰かに取って変わる。右も左もない。そうして、人を追い落として、出世する。そういう連中もいて、日下部は間違いなく、その一人だ」

 内裏は右も左も入り乱れる権力闘争の場・・・池のほとりで。雪風人が言っていたことを思い出す。

「あんな人が、右大臣に登用されるなんて」

「朝廷に入れば、色々な思惑が絡む。それを、右大臣は利用しているんだろ。いろいろ右大臣にも、思惑があるんだろう」

「あの見かけは、酔っ払いみたいな調子だけは良い右大臣が?」

「人は見かけによらないんだ」

 激しい内裏の入れ替わりの話を聞いて、私は改めて内裏が入れ替わりや抗争が激しいところだと思った。

 私は内裏での勢力均衡が、そこまで激しく入れ替わるとは知らなかった。

 なんだか、やはり内裏ってのは、大変なところだ。

「あの男は、最初、北川殿と左大臣波との連絡係をしていた。主君を何度も変えている奴は信用ならない。バックに何がついているか、警戒しておかないと。筆事件は、北川殿の暴走だろうけど、たぶん、今後、また何かあるかもしれない。北川殿とはまだ、あいつはつながっているだろう。だから、あの男には、気をつけて」

「うん」

 私を害そうとした人間なんて、要注意だ。



「せっかくなんで、祭りを見物して行くかい?」 

 そんな内裏で、出世のために画策もせず、裏黒い取引もせず、そういう悪い影響も受けずに生き残っている道臣は稀有な官吏でないかしら?友情も篤いし、親切心もあるし、真面目に勤めている。

(右少史殿は内裏ではなかなかいない人物ね、きっと。私などのために力を貸してくれるし、優しい)

 仲間を大切に思ってくれる。その気持ちも有難い。

 おまけに、都でも賑やかで最も晴れやかな祭りをいっしょに見られるなんて、人生最高かも。

 牛車も落ち着いたら、通りからチントンシャンの祭りの演奏の音が鳴る。

 私は祭りを楽しむその賑やかな人々の声が聞こえ、町の気配が日常から切り離れ、まるで別世界の極楽のような雰囲気に心が惹かれた。

「うん」

 私の手を引いて、牛車から道臣は地面に降ろしてくれる。

 私も京の町で育った身だ。昔からある祭りは見たかった。

 私のそういう心を察してくれる道臣の細かい心遣いが好きだなと思った。

「でも、その着物じゃあ、外に出れないな。ちょっと待ってて」

 道臣は牛車の御者に相談して、御者は走って行って、必死の形相で女物の服を持ってきてくれた。

 私はそれに着替えて、町娘に変身した。

「じゃーん、どう?」

「ええと、今日は僕は祭り見物に着ている貴族の一人で、君はその侍女ってことでいいかい?」

 道臣はなんだか目を細めて眩しそうにして、言っている。

 簡素な直衣を着ているとはいえ、見かけでは道臣が貴族、私は庶民に逆転だ。道臣はそんな私を見て、扇で口元を隠し、なんか品定めする商人みたいに、興味本位だ。

 髪も後ろでひとまとめにして下げ髪みし、衣は袿を来ただけの簡素な町娘だ。誰が見ても、貴族の姫君には見えないだろう。

「じゃあ、今日は若様に祭りに連れて来てもらった、幸運な侍女ということで」

「もしも、本当に僕の侍女なら、幸運をもっと上げるのだが」

 ちらっとこちらを身ながら言う道臣の視線に、どきっとした。

(なんか・・・やっぱ、内裏の男ね、右少史殿は)

 道臣も朝廷の役人らしく、男女の恋愛作法の切り返しが出来る。だから、大人びた振る舞いや発言をする。おそらく、内裏でも、そういうそつのない発言も出来る人なのだろう。なので、私はどっきりする。

(それを時々、私に向けてくるから、私はどう対処したらいいのか、困るんだわ)

 ここは本物の恋愛相手なら、和歌の一つでも詠んで返すのだろうけど、私たちは友達同士。

 常盤御前のファン交流のために、物々交換の仲間になったわけで。

 必要以上の濃厚接触は、友達同士の壁を越えてしまうので、色気を必要以上に振り撒くのは止めて。似合うから止めて。

 ああ、扇があったら、顔を隠したい。でも今は町娘だから、ない。今こそ扇が欲しい。

 私はそばで、若竹の君を見つめていられたら、十分なんだ。私の推しだから。

「では、祭りの見物と行きますか?」

「うん」

「いや、僕は今、あなたの主なのですよ?」

「あ、間違えた。若様、ですね。行きましょう、若様」

「よろしい」

 若竹の君の道臣はなんだか照れてるけど、威張ってる。手下を連れる若様呼ばわりがそれほど嬉しかったのだろうか。

「椎子さん、何か買ってあげましょうか?」

 道臣は露店で売っている扇や花を買おうとする。

「でも、悪いわ」

「今は僕はあなたの主です。それに、いつも面白い本を貸してもらっているお礼ですから」

「えーとじゃあ、私は粽が欲しい」

「もっと高いものでもいいですよ」

「毎年買うから」

「じゃあ」

 道臣はその粽に加え、お守りも私に買ってくれた。

「ありがとう」

「主人として、時に家来をねぎらってあげないといけませんから。ときに椎子さん、そちらではありませんよ?こっちです」

「はい」

 家族や西松としか、祭りを見たことがなかったから、これからりの見物で、道臣と共に町を巡るなんて、とても胸がどきどきした。

 しかし、私はきょろきょろ。

「何、見てるの?」

「だって、また頭をがつんとされたら嫌でしょ」

 例のあれから、私もトラウマにもなっている。

「僕がいるから、大丈夫」

「右少史殿が護衛できる?もし、刺客が襲ってきたら、戦えるの?」

「なめちゃ困るな、これでも、僕は元遣唐使。遣唐使というのは、サバイバル生活なんだ。誰もほとんど行ったことがない未開の地で、原住民とか、海賊とか山賊とかぎったぎったと撃退して、生き抜かねばならない。日ノ本から遠く離れたところで、衛士が大切に守ってくれるわけもないからね、己で打ち倒していくしか、生き残る道はなかった、剣ぐらい振り回すさ。それに、力だってある、この前君を川から引き揚げたろ、覚えてない?」

「ああ、あれは・・・」

 銀色の海。私はあの時の道臣を思い出した。

 あれは・・・まさしくあなたは・・・若竹の君だった。

「じゃあ、もし、私が刺客か誰かに連れ去られたら、助けに来てくれる?」

 物語の若竹の君なら、異国の天女を追いかけるから、私もそういうふうに追いかけられることを少々期待して言っただけど、期待以上の答えが帰って来た。

「むろん、地の果てまで追ってでも、君を見つける」

 私はしばし、ぽかんとなった。あまりに迫力あり過ぎて・・・

(冗談にならないって、右少史殿は唐国へ行ったの理想とか天女とかを追い求めて行ったんだから、それ、本当に聞こえるって・・)

 これが、追いかけられる獲物の気分?

 でも、標準も、私が照準ならいい。他の誰でもなく、私なら・・・遠い異国にも行かない。

 どこまでも来てくれる。そうなると・・・

 それを想像して、私は照れた。それは良い、最高に良い。

「それ、船乗りの言葉?」

「そう、僕はとくに船の旅を経験したから、そう思うのかもしれない」

「私はこれまで何度も助けてもらった。私は船乗りという人には感謝するわ」

「呉越同舟とも言う。目的地に行くまでは、何があってもお互い様だ。な・・・なに?何かおかしいこと言った?」

 真面目過ぎる学者先生の食いつたら離れないと思わせるような発言を聞いて、私はくすっと笑ってしまったのだけど、道臣が困惑するので、余計に笑ってしまった。

 同じ船に乗る船乗りって、いつでもこういう感じかしら?

 でも、こういうのが同じ船に乗っているってことね。

「私達、どこへ向かってるの?」

「さあてね。君が後宮を出るまで、かな」

「出れるかしら?」

「出ないと、君を乗せて、船旅に出れないだろ?」

「そうだ、乗せてくれるって言った。出たら、本物の船に乗せてくれる?」

「それぐらい何てことない。いつでも乗せてあげよう。でも、君が後宮にいる間は、帝の女人だから、それがいつか終わるまで、ね」

 私はその言い方に女官以上の、別の意味合いに気づいて、顔が熱くなって恥ずかしくて、横を向いた。

(そ、そうね、やっぱり、入る前に親からも言われたけど、後宮はそういうところだし)

 でも、そんなのまるで検討違い。姉の代わりってだけで、帝が己の地位を姉に見せつけ、姉を釣れたら良かったの。頼んで駄目なら、泣いて脅して招くという手法に変わっただけだから、帝と私なんか、とんでもない誤解よ。

 それは道臣も分かっている。でも、後宮ってところは、やっぱり帝の後宮だから、今は言えないのだ。

「おいで」

 そう言うと、道臣は私の足元から上に抱き上げた。

「うわっわ、降ろして」

「こうしたら、祭りがよく見えるだろ」

「分かったから、降ろして。子供でないのだから」

「力があるってこと、分かった?」

「分かったから、はやく、こんなの子供以来だわ、降ろして」

「今は僕はご主人様だよ。僕に命令して良いと思う?」

「分かった、降ろしてください、ご主人様」

「よろしい。よく出来た、椎子殿」

「ご主人様、家来に殿はつけませんよ」

「椎子」

「はい、ご主人様」

 言って、私を担いだまま、照れている。何やら、私を椎子と呼んだら、悶絶したみたいだ。妙なご主人様だ。

「さ、行こう」

 道臣は私を降ろして、私は道臣の横に付き従って歩いた。

 道臣と二人で見る祭りは楽しかった。

 賑やかな祇園祭を、二人っきりで思いっきり楽しんだ。



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