第30話

 北川殿のはかりごとの余韻が抜けきらぬ中、私は長池殿から救出願うの文をもらって、牢屋を見舞った。

「おお、椎子殿。私は、ここじゃ。北川殿に無罪を訴えたが、窃盗の容疑が晴れるまでは出すわけには行かぬとか言われて、囚獄司しゅうごくしの人も出してくれんのじゃ。飯も出ん。水もまずい、何とか、早くここから出してくれるよう、お妃様方、とくにあんたには嫌かもしれんが、梅壺女御様に頼んでくれんか?阿久多牟之あくたむしも出る、寝床も悪い、髪も洗えず、頭もかゆくなって来た、はようここから出してくれぬと、死んでしまいそうじゃ。椎子殿?何をキョロキョロしておるのじゃ」 

 牢屋ってのは、内裏の外にあって、西と東とに別れており、囚獄司が管理している。

 私は常盤師匠に関わる何かがないかと思って、周りを探っていた。

「長池殿。おかわいそうに。私のために、こんな目に合って。大丈夫、長池殿、この部下の私がきっとお出ししますからね」

「おお、椎子殿。さすが、我が部下にしようと見込んだだけはある。ようここまで来てくれた。はよう出してくれ。ここは嫌じゃ、まったくいつまでこの中に入っておらねばならんのじゃ、あの北川め、忌ま忌ましい、あいつは帝の妃を狙っておるからな、盾突く者はぜんぶ、戒めに牢屋に入れるのじゃ」

「え、あの人が帝の妃、ですか?」

「まあ、私も望まれたら、別にいいぞい」

 長池殿も出世の鬼で、北川殿も出世の鬼だ。長池殿が言うなら、そうなのだろう。

(あの目・・・あれは嫉妬の目だ)

 久理子はいつも怒られて、泣いて謝っているが、北川殿は聞く耳がない。久理子はいじめられ続けて、相当に参っているのに。

「でも、帝になど大それたことまでは、せめて、夕闇の皇子でいい」

(うおい、帝でないったって、皇太子候補の夕闇の君だったら、また帝の妃に舞い戻っているじゃないですか。長池殿)

 確か、以前久理子からも聞いたことがある。北川殿も妃になろうと狙っていると。

(さすが上昇志向、長池殿よりも野心が強い。妃まで狙うとは)

 久理子は見た目は可愛い。あどけない大人しい少女だ。美貌は北川殿に勝るとも劣らない。それをあの北川殿は、脅威に感じ、それでイジメているのかもしれない。

(あれで妃?あんなのが妃になったら困るわ。梅壺の二人目が誕生するようなものじゃない)

「まったくこの私が罠にかかってしもうて、早く出て、やり返してやらねば。夕闇の皇子に知れたら、印象が悪い」

「ご安心ください。獄の者にはしっかり賄賂まいないを渡しましたから。長池殿が教えてくれた。何事も、付け届け。忘れておりません。長池殿も何かともの入りでしょう。ここに、私めが持っていた些末な玉などですが、賄賂まいないを少し持って来たので、お役立てください」

「おお。これはすまんな、さすが大納言のご息女じゃ。良いものを持っておられる。私めのために、わざわざ己の持ち物を差し出してくれて、なんて申し訳ない。てちょっと、椎子殿。私はいつ出してくれるのじゃ?あ、椎子殿?どこへ行くのじゃ」

 私は長池殿をねぎらって、牢屋の中まで探してみたけど、そこに師匠はいなかったので、早々に牢屋を出た。








(これで、梅壺、弘徽殿、牢屋、それから、内裏のあちこちや各所も探ってみたけど、師匠はいなかった。でも、まだ見てない箇所はまだまだある。きっと、今まで見た場所ではない、どこかにいるわ)

 師匠が皇后の毒殺に関わっているかもしれないこと。

 政治には権力を奪い合う、いろいろな勢力があること。

 それが、今までに分かった。

 長池殿を見舞った後、私は久しぶりに京の町を歩いた。

 運搬船が行き交う堀川の橋の上から、黄昏ていく町の景色を眺めた。

 内裏の東側にあたり、左兵衛町、修理職町、内教坊町など、内裏のさまざまな用途を足す建物があり、いろいろな人が行き交っている。

(私の師匠探しと後宮見物も、ちょっとは実入りはあったかな)

 思えば、最初は何も知らなかった。今は、手に余るほど知ってる。でも、また道途中。

 どんどん師匠に近づいていくように感じる。胸に手を置くと、私の胸がどきどきしている。

 河畔林の緑が爽やかで、さーと夕方の風が吹く。私は風を受けて、目を閉じた。さわやかな風だ。

(師匠は強い人だもの。たぶん、大丈夫。でも、もしも、陰謀に関わって困っているなら?)

 強いから、才能があるからって言っても、人間だもの。困ったり、病気になったり、誰かの助けが必要なこともある。

 私はぐっと胸の前で、拳を握りしめた。

(そうなった時、師匠はこの弟子を思い出して欲しい。いつも心配して、いつもそばに行きたいと思っている人間がここにいると)

 師匠、大丈夫、この私がいますからね。

(師匠がもし、陰謀に関わって、そのために身を隠さねばならなかったのなら、この一番の弟子、椎子が師匠をお助け申します!もし、師匠がどんな人でも、私が・・・私だけは・・・)

 私だけは師匠の想い第一の弟子です。

 その時だ。

 ドン。と何か大きな音がした。私はてっきり大きな地震が起きたのかと思っていた。目の前が暗くなって、ぐらぐらと揺れたからだ。



 これは夢・・・?

 ゆらゆらして、綺麗。

 銀月夜で・・・一面の銀の海で。

 私は広い何もない世界で、誰かを呼んでいる。

 空気はゆらゆらと揺れ、氷に閉ざされたように張りつめていてる。

 夕方のように暗い。

 白い点が雪吹雪みたいに、ふわふわとちらちらと散っている。

 そこへ、上から人が現れる。どぼんという大きな音で、銀色の空から、人が降りて来る。

 衣がひらひらと舞い、髪はゆらゆらと揺れ、まるで天から降りて来た人。

 その人は私の腕をつかむ。

 辺りは白い泡沫が散って、光と泡とが合わさって彼を包み込む。

 これは夢?

 私が望むから、千年の坂も越えて、あの人が来たの・・・?

 彼は光の渦のまま私を抱えて、天へ浮上する。

 上は一面の銀世界。

 彼と私は一面の銀の海に降り立った天人たちみたい。

 まるで、天女と若竹の君との出会いの場面。

 山の頂で、光に包まれて、二人、見つめ合うの。

 あたりはゆらゆらと白い光に包まれて、きらめきで揺れている。

 これは夢?




「大変、こんなにこぶが出来て。切開したほうがいいかしら?」

「頭をむやみに切り開いたりはしない。それに、こぶは冷やすものだ。もっと氷を」

 ぐわーんぐわーんと反響する声が耳障りで、うるさいのを止めてもらいたくて私は目覚めた。起きようとして頭がガンガンして痛くて起き上がれない。

「う、いた・・・ううーん、何、これ」

「あ、起きた。起きましたよ、右少史殿」

「ああ、良かった。椎子殿、気づかれたか」

 久理子と右少史殿の声が、ぐわんぐわんと入り乱れて、私は返事が出来ない。

「私、いったい・・・?」

「橋の上で誰かに殴られ、川に転落したのだ」

「誰か・・・?なぜ私が」

「頭をしたたかに殴られています。それがきっかけで、川へ転落したのでしょう」

「そこまで殴るって・・・」

 いったい、誰が・・・

「おそらく、椎子殿が内裏の事件を調査していると勘違いした犯人が、行動を起こしたのだ」

 道臣は言った。

「椎子殿が川に落ちたって、検非違使の人から連絡があって、大勢で探しに行ったのですよ。帝からの侍従も出たし、右少史殿も、夕闇の君も人を出して、探してくれた。でも、堀川は増水して荒れてて、日没で真っ暗になり、なかなか見つからなかった。引っかかったり、流されたりしたみたい。もう捜索は明日にされそうになって、それを長時間、右少史殿が探してくれて、ようやく見つけて、引き揚げてくれた。夕闇の皇子もさっきまでいたのですよ。捜索を手伝ってくれて、心配でお見舞いに来られて、でも、もう帰りました」

「夕闇の皇子も・・・それは、大ごとだったわね」

 私は痛む頭を押さえながら、起き上がった。

「犯人?なぜ?私、何もしてないのに」

「椎子殿は後宮に来てから大っぴらに師匠の捜査を始めた。おそらく、それが犯人にとって気に障ったのだ。何かしら犯人にとって、気に入らなかったか、ヤバイものを狙われていると思われた」

「それって・・」

「何かな、我々の予感している事件かもしれないし、まったく想像がついてない事件かもしれない。でも、椎子殿が近づいてはマズイと思う輩がいた。それで、連中が、外に出た機会を狙ったのだ。もしかしたら、僕が大和に頼んで、牢屋に入れてもらうことを話した時、どこかで誰かに聞かれてたのかもしれない。僕も自分で誰かに聞かれているのに注意しろと言ったのに、うかつだった」

「どうして・・・私を。私など殺しても、何にもならないのに」

「おそらく、本気で殺す気だったわけではあるまい。殺すなら、もう確実にやっている。これは脅しだ。僕や君ら、もしくは、うかとしたら、また大事な相手が消されるという、清流帝への」

「そんな、私は別に妃でも何でもないし、師匠を探したいだけなのに」

 怖い。初めてそう思った。今まで生きてきて感じたことがない恐怖。

「大丈夫。内裏の外は、危ない。人が大勢いるから、逆に。それは、もう僕らも分からされた。これからは外へ出る時は、何らかの護衛を雇おう。僕も君から目を離さない。僕ももう、二度とこんな目に合わせないように、君を守る」

 道臣は泣く私を抱いて落ち着かせてくれた。

「もう、危ない橋を渡るのは止めて。内裏やほかの場所や公文書なら、僕が調べてみるから。僕なら、どこでも入れる。僕は内裏のもっとも重要な文書を取り扱う代弁局の官吏なんだよ。僕に任せて」

 言われて、私は頷いた。

 優しい、右少史殿。なぜ、そんなに優しいの?

 そんなに優しくされたら、私・・・・

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