第29話

「右大臣殿、こちら訴状が届いておりまする」

「誰でも大きな土地を所有して良いということになったら、私の権勢が不安なようだの、参議」

「いえ、そのような」

「しかし、土地を開墾して、農地の少ない小作農に与えるのは悪いことではない」

「しかし、そのような改革は、王朝開設以来、何百年もしたことはなく」

「したことがないことが悪いことでもない。たとえば、未だに皇太子の座が決まっておらんが、我々の強い結束により、帝をお支えすることが出来ている」

「その皇太子の座もですが、そろそろ決めておかねば、政情不安定になりますゆえ、朝廷内部からも声が上がっていまする」

「ほう、政情不安定とな。そういう不遜な輩が出始めているのか?」

「い、いえ。あくまで一般論で」

「はき違えるな。我々は帝をお支えし、国家の安泰のために尽くす家臣ぞ」

「は、はい」

「土地開墾の改善は、これで進める。他の参議や朝廷にも、その話しを伝えるように」

「は・・・」

(へえ、あのおじさん、右大臣らしいじゃない。右大臣みたい、あ、右大臣か)

「こーら覗き見。取っ捕まるぞ」

 柱の影から、御簾の中に引っ張っていかれた。誰かと思ったら、夕闇の皇子だった。

「あ、あなた・・・?」

「右大臣のおじさんに会おうと思って来たら、ここに椎子ちゃんがいたから、逢引しようと思って。いいもんみっけ」

 私の頭をなでなで。世界一かもしれない色男。整った目鼻立ち。麗しい綺麗な目で色気が立ち昇り、確かに見惚れるぐらい男前だわ。

「そうだ。ちょうど会ったからいうけど・・・・右大臣の屋敷にもぐりこめない?」

「え?なぜに、そんなことを聞くんだ?」

「師匠がいるかもしれないもの。ここにいないなら、もしかしたら、あのおじさんの家に隠れているかもしれない。右大臣の家って広いもの」

「それはいないな」

「えっ?どうして知ってるの?」

「私は右大臣の屋敷を知っているが、そんな女はいない。女房の女は全部、知っている」

 夕闇の君は何か言いにくそうにして、扇で口元を隠している。

(ええ?まさか、右大臣宅の女房、全員、手、出しちゃったわけ?)

 夕闇の王子が動くと後宮の女が全部動くとか、権勢もついていくというけど、さすがに退いた・・・

「つかぬことを聞くけど、左大臣の屋敷にも」

「いない」

「では、先代の」

「いなかったな」

 断言なんて、そっちも?。

(だ、内裏の男って・・・)

 まあ、これで、右大臣宅へ侵入する手間は省けた。なんて思っていいのかしら・・・?

「あなたも・・・常盤御前のことをどこまで知っているの?」

 あとは、この人・・・。 

 最初会った時、若竹物語の話をして、陰謀に巻き込まれたと言ったのに

、本当は、自分が関係者だった。

「あなたは永城天皇と、どういう関係なの?」

 夕闇の王子はすっと暗い影をまとう。やはり、聞いてはまずい闇を開いてしまったようだ。己の父の謀反のことだものね。それも前代未聞、かなり奇抜な帝だったみたいだし。

「私は確かに、先々代の息子。先々代が先の帝を押しのけ、都をわが物にしようとした。その父の息子。私も、後悔している。己が生まれたことを。私も、疑問視している。ここに己がいることを。私は常に、父の存在があるために、口さが無い民の心無い言葉を気にし、さいなまされる。君らは、あれで終わったと思ってはならない。永城天皇は今でも、再び天皇に返り咲きしようとしている。内裏では右大臣、左大臣が覇権争いをしており、わが父からも、清流帝は勢力を削がれている。父が清流帝の皇后の暗殺に関わった容疑があるが、私も証拠がつかめずにいる。だから、私も清流帝にも申し訳なくて・・・、職を辞すことを申し出たのだが、清流帝は兄のように信頼する私がそばにいて、支えてくれるほうが良いと私を留めた。私は恥を忍びながら、好意を向けてくれる帝に甘えている。幼少の頃より、私も弟と思って接していた帝を、決して何からも、傷つけてはならぬと、今後、必ず帝をお守りすると心に誓いながら、それでようやっと生き恥を耐えていられるのだ。そして、父がまた都に来ないことを願っている」

 夕闇の君はやはり、父の起こしたことに悩んでる。

(もし、城戸天皇の一味が、帝の皇后(妻)を殺したとしたら・・・?弟みたいなものだもの。弟の奥さんを、自分の父親が殺したら、そりゃあ、悩むでしょうよ)

 父親のせいで、帝に即位した清流帝のことも。

 そりゃ、迷惑なことよね。女のことは自業自得と言えるけど、朝廷での権力争いにも否応でも関わり、次期皇太子にも押し上げられそうになってもいるし。

 内裏では権力闘争があって、それは驚くような陰謀や嫉妬や妬みが投げつけられるから、夕闇の君だって、内裏を半分連れて歩いていたって、半分は小石を投げつけて来るのが必定。

 それに耐えて、生きている。力と名とがある華々しいこの人も、そうなのだ。

 先代も夕闇の君とは親族にあたり、清流帝もそうで、それが夕闇の綺羅の星と言われるほどの権勢を持ちながら、これほど誠実さを見せられる人の、大きな負担になっているのだ。

 個性的なまでに魅力ある人で、輝く星のようにまばゆいのに、とても悲しいものも表情の中に浮かべているのは、そのせいなのだ。

「私、私に出来ることは・・・?」

 この後宮で奇しくも出会って、旧知の間柄とまで知り合って、優しく思ってくれる相手に私は何かしたいと思った。

「心配するな、お前ごときに心配してもらうほど、私は弱くない」

 夕闇の君は私の頭をくしゃっと撫でて微笑んでくれた。

「私は心配ない。お前は己のことを心配しろ」

「私は師匠探しをしているだけでいいの?あなたのこと・・・」

「私はお前が心配するほど弱くない。お前のような子供に、助けてもらうほど落ちぶれてはおらぬ。お前が私とどうこうなろうと思ったら、それは一線を越える覚悟をするのだな」

「あーまた、女たらし」

 そうだ、忘れてた。この人、女クセは悪いのだ。魔性の魅力があるんだった。近づいたら、いけないんだった。

「でも、ま、この内裏で、権力だの、力だの、金だの、それを奪い合うばかりの輩が多いのに、お前はまったく、何でもないことを気にかけて、毎日を何事もなく乗り越えていけるのだな。ある意味、すごい力だ。私にはそんな力はない。それで、毎日楽しく過ごせているのだろ?幸せな脳で出来てるな。単純で良いというか、お気軽というか」

「あー、私のこと馬鹿にしてる?」

 私が憤慨したのを、夕闇の皇子はぶっと大笑いした。

「この世に、お前のような、何でもない者がいることは、私の救いだ」

 私はまた頭を撫でられ、何か言おうと思ったことを、魅力の笑みで否応なく引っ込めさせられた。

 でも、ま、確かに魅力も実力もある朝廷の人気者に、私がしてやれることなどほとんどないだろうけどさ。

「永城帝の周辺もまだ不穏なものがある。あの帝の動きにも、注意するのだ」

「うん」

「私もあの永城天皇を阻止するなら、何でも力になる」

「うん」

 彼をただの人気者として見ている人には、彼がどんなに気が細やかで、優しいか、それとともにもろさも持っているか。知らないだろう。だから、きっとこのこの人も孤独に耐えている。きらびやかで、誰よりも恵まれた生き方をしていると見えても、本当は支えてくれる人が必要に違いない。その人が現れるまでは、私はいつまでも、この人を支えよう。

 私は彼の隣で、そっとそう思った。

「何かあったら、また、私を頼るように」

「はい」

 最後にそう言って、魅惑の笑みを浮かべて内裏の奥へと戻って行った。

 私には彼の深い光を感じた。同時に、落ちていく夕日を見る思いもした。

 夕闇の君がなぜ闇にきらめく綺羅のような人なのか、改めて分かった気がした。

 輝く夕日だから、あの人は。

 大きな闇を抱えて、それでもなお、立ち続けている人だから・・・

(それにしても・・・)

 女の数・・・

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