第27話

「あの人は、栄華を求めているの?」

 道臣が雪風人を見た時に言ったことを思い出し、私は言った。

「ああ、僕の勘だけど、あの子は野心がある。まだ若いから出世レースには乗らないけど、中務卿なかつかさきょうに取り入ったりして、衛門府に入ったりした。衛門府の少尉は、若手の出世レースの出発点だ。帝からも気に入られ、雪風人の称号ももらった。今後、夕闇の皇子などの若手公卿について、出世する者たちの中にいるのは間違いないと、多くの人が見ている、黙ってるけど、野心家だよ」

(ふうん、そうなのか。雪風人はそうなのか)

 あの人は近づいてはいけない人かしら?

 私は雪風人の人となりとその野心について、何とも言えない感じを持った。

「そうだ、これ」

 道臣は懐から何かを取り出した。と思ったら、手の平に小さい船を載せている。

「君が船に乗りたいって言ってたから。せめて、小船でも」

「これが遣唐使の船?」

「まあ、僕の手作りだけど」

「ありがとう」

 若竹の君からの手づくりってのが嬉しい。

 若竹の君御自ら、船のプレゼントってのがもう、夢のまた夢。これは本物の現実よね。今までの何より、嬉しいプレゼント。これは一生の宝物にする。

「小さい頃、遊ばなかったかい?」

「池に浮かべた船があったけど、でも、それよりもしっかりとして大きい船なのね」

「何十人と乗る船だからね」

「ありがとう、この前、船に乗りたいって言ってたの、夢が叶った」

「これで?一度、また、本物の船に乗せてあげよう、小船なら船の渡しに頼んだから、乗せてくれる」

「ほんと、やった」

 くすっと道臣は笑う。

「また、こういう船で、唐国へ行くの?」

 ふと、道臣のしていることが気になって、私は聞いた。

「まあ、希望したら乗せてくれるだろうけど、過酷な旅だ。心身ともに削るから、そう何度も出られる人はいない。だいたい、上陸して官職についたら、その後は内裏勤めになる。それに、僕もしばらくは、唐国へ行くのはいいかな、て」

「いいの?右少史殿は唐国へ行きたいのでは?」

「いや、こっちにいるほうが、良いことが多そうだって気づいたから」

 道臣は笑いながら私と目が合い、なんか照れている。

 良かった。ずっと日ノ本にいるなら、旅に出て、長いこと会えなくなる心配はない。私は胸を撫で下ろした。

「あの人は栄華を求めているって言ってたけど、では、あなたは?いいの?」

「僕は何も見返りを求めない。出世にも興味がない。でも、君みたいな女の子がもっと野心を持てというなら、持ってもいい」

 私に向かって、野心を気にしている道臣を見て、なんか、私の視線って大事なの?て妙なところに気づいた。

(なんだか、背中で熱く語ってる。男って野心を持つか持たないかって、体面に関わるのかしら?野心ぐらいのことで、こちらはどう思うこともないけど、そこ、持ってないといけないようなものなの?)

「じゃあ・・・私を親切に助けてくれるのは、単なる親切心?」

「えっ?」

「ううん、ちょっと聞きたかっただけ」

(馬鹿ね)

 学者先生だから友情に篤い人に決まってるじゃないの。私にしてくれてることを見たら、道臣は良い人なのは分かってる。それを今更、聞くなんて。

 知りたがりのこの口がいけないわね。聞いた私が、低俗だった。

「ええと、僕だってそりゃ出世して、文章博士になれたらとは思ってるよ、そりゃ、それは一般論であるけど、大学寮を出たらそこが頂点なわけで、船から降りたら、そこは目指さないといけない」

「へえ、いいじゃない、博士」

「でも一般論以外にもそりゃ、僕だって何かやらねばというか、男として大志を持つべきと思う。人生生きてきて、野望も目標も持たず、漂うように生きるだけでは、確かに人間としてえらく志が低い悪い。それゆえ、人間として、僕としても、僕は・・・」

 道臣も何だか口ごもっている。今度の背中は、自信が無さそう。

 なんか、ごにょごにょして、うつむいて、何か言ってるけど、すごく小さい声だから、うまく聞き取れない。

「いや、あの・・・えと、す・・・」

「え?」

「いや、これからのことは、成して言うべきで、口に出すものじゃない」

 私も聞こうとしたけど、口に出せなかった。

 何者でもいい。たとえ若竹の君でなくても。

 何者であったって・・・構わない。この人なら。

 だから、私は疑う気はない。ただ、正体は知りたいだけ。

 知りたがりって、煙たがれるのよね。姉上からも言われたけど、人に聞きすぎるなって。

 だから、人生で会えて、一番大事な人を、私はせわしく、知りたがりたくない。

 知りたがりが知りたがらないなんて、私も不思議だわ。

 知るということは、難しい時もある。

 けど、はや、先ほど言いかけた、す?を考えてしまう、私。悪い癖だわ。す・・・?というものが欲しいのだろうか?

 す?・・・すだれ?・・そう言えば、最初出て来た時も、すだれって言ってたわ・・・

 嘘でしょ。すだれのわけないでしょ。



 たまゆらの君。

 帝にしばらく寵愛を受けて、今は照陽舎しょうようしゃの一角で地味に暮らす妃の一人だ。

 この人のそばには、いつもはきはきとものを言う女房がついていて、なんとこの女房、小説家。

 琵琶の名手で、琵琶の物悲しい曲をよく聞かせてくれた。

「椎子殿は、大納言の姫君だとか。貴族の家に生まれながら、大勢の女房達に囲まれて出仕するなぞ、さぞつらかろう」

「常盤御前が好きなのですって?私と共に、物語でも書いてみない?いいでしょ、ね、縫殿ぬいどの

「これ、椎の君が困っておろうに、小玉木こたまき

 たまゆらの君は、元采女で、縫司ぬいのつかさで働いていた女性で、妃というのも与えられておらず、単なる夫人とか、照陽殿の縫殿とか言われる。

(違うなあ、絶対違う。この人じゃない。たぶん、たまゆらの君のこの女房が、誤情報の出所だ。売れてない作家だけど)

 何の身分もない庶民の出自ゆえに、私などでもおろおろとする対応を見ると、どうも後宮で野心持って生き抜こうとしている人じゃない。

 あの執着狂の帝は、正室、側室と御家柄の良い高貴な方々の妃を多数持ち、それ以外にも身分の低い妻を多数持つのは、来て早々、長池殿から聞いたことだ。

 仕事柄とはいえ、が、やはり、男の浮気というのに、本性は隠されていると思ってしまうのは、私だけだろうか。

「たまゆらの君は、宝来の白銀のことは知っていますか?」

「なっ」

 試しに、カマをかけてみただけなのだけれど、たまゆらの君は慌てて、円座の上から転がり出て倒れそうになった。

「椎子殿。この禁中では宝来の白銀のことは、口に出してはいけません」

「どうしてですか?帝が寵愛を与える妃に、渡す宝なのですよね?たまゆらの君も得たいと思わないのですか?」

「とんでもない。それは後宮内のよくある誤解です。昔の政変で争われた財宝ですわ。反逆の証でもある宝なので、滅多やたらと言ってはいけません、政権側は証拠として取り押さえたいのですが、未だ発見できてないというものです」

 さすが、縫殿は元縫司の縫い手だけあって、情報通だ。

 思考力も洞察力も人より優れているものがある。穏やかで知能優秀。その点は、久理子にも同じものを感じる。後宮には、静かだが、頭の良い優秀な女性がたくさんいるのだ。

「では、常盤御前はそれに関わってないと思いますか?」

「これはあまり知られてないのですが、私が縫殿でこっそりと、同僚から聞いたことです。どうやら、先代の御代で、何やら、藤原一族の取り違え事件があったそうです。出仕した者が、その者ではない者だったとか。その者だったけれど、その場にいたのが違っただとか」

「それは、誰かが入り込んでいた、ということですか?」

「はい、奇妙なことですけど、それで内裏の中が大騒ぎになって、それは皇后様の死に関わるとか」

「そんなことが・・・」

「私もまた聞きなのですが、表立っては病死として発表されたようです。ですが、それでその当時の高官らが相当な数、追放、大宰府に左遷されてしまったのは確かです」

(間違いなさそう、皇后の不審死、毒殺)

 私はたまゆらの方の落ち着いた口調を、固唾を飲んで聞いていた。

(師匠は清流帝の皇后の教育係だった。己がいる前で起きた、こんな大きな事件、人にやらさず、自分で調べようとしてないとおかしい。まずてきぱきと、現場の現状を書きつけすることから始めてそう)

「でも、詳しいことは知りません。あくまで噂ですから・・・陰謀や政変など、ここでは珍しいことではありませんから。しかし、地方での反乱、皇太子の謀反、横領など、今まで、数々ありましたが、後宮の女房がそのような政治に関わっているとはとても思えません。後宮は、政治には関わらない、口出しが出来ない立場ですから」

「ええ」

「帝が引退すると、後宮も一新、勢力も大きく変わります。その時に、勢力側だった者の中には、新勢力に抗いきれず、内裏や後宮を後にする者が多いです。常盤御前も先代の御代に勤められて御代替わりがあり、もう、ここにいないかもしれませんね」

「そうとも考えられるかもしれませんね」

「もし、引退もせず、何かしら陰謀に関わっていたとしたら、あなたも関わらないほうが良いですよ。昔から、陰謀で多くの人が死にましたから、あなたも無事でいたければ、何事も関わらず、重要なことは口に出さず、知らぬふりをすることです」

 優しくて、大らか。ちょっとお人好し。手下に作家の女房がいることもとても好感が持てた。

(以前、弘徽殿のところで、寵愛の証となるその宝を縫殿も狙っていると言ってた。確かに、あの男を大事に思う心は感じられる。でも、己の旦那だもの、思って当然だわ。それはこの優しい方なら、当然の想いだわ。それは疑ってかかるものじゃない)

 この人は陰謀に関わりがない。私はそう判定した。

(こういう人について、好きな小説読んで、後宮でのんびり過ごせたら、天国よね、ここ。おつきの女房が、私にはうらやましい)

 私も本当なら、尊敬する妃に仕えて、帝の襲来に怯えることなく、好きな小説めくって過ごす平和な日々を送る未来はあったかもしれないのに・・・

(こりゃ、入り方を間違えたわね。せめて、頼りになる仕え先、妃でもいたらば・・・それは姉?いや、それは私の安泰のために、姉上を入内させる?私の幸せと引き換えに、姉を不幸にさせるなんて、私もクズの仲間だわ)

 そのような欲望を持ったとは、人のことは言えないわ、私も。反省。

「しかし、椎子殿は怖い物知らずですね。このような場に趣味だけで来られて」

「いえ、そういうところがいいじゃないですか、今時、打算ばっかりでなくて、面白い方、ね、縫殿」

 穏やかな主人と気前の良い女房とがいる場で、私はしばし、私の味わえない、理想の後宮生活を少し味わった。

 昔の藤壺女御様に仕えていたけれど、美貌で帝に気に入られたらしい。

 照陽殿の一角で帝の忘れ去られた妃の一人。

 ここは良い人らばかりだ。

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