第26話

「いいなあ、常盤御前かあ。君が好きな人は、女流作家なんて素敵だね。僕の探すのは、とても到底、手の届かないものだから」

 夜の演出と、謎めく雰囲気に最初は陰険な人の一人かと思ったけど、ぜんぜん気さくで話しやすい。常盤御前に興味を持っているってところも好感だ。

「あなたは、雪風人は、何を探しているの?」

「僕?僕は・・・・」

 ざあっと風が吹いて、闇の木の葉が飛んで、雪風人の涼しい目元が一瞬ぎらりとひらめいた。

「僕は、この世に類まれな秘宝、かな」

 一瞬で雪風人の表情が変わって、何者なのか、分からなくなった。

「それは・・・宝来の白銀のこと?」

「それは権力争いの道具だ。もっと、もっと貴重な、手に入らない、重要なものだよ。まあ、例えて言うならそれぐらい稀有で、得がたいものというほうが良いかな。それが得られたら、田舎生まれの僕の一生もあがなえるぐらいのもの。君なら分かってくれる気がする。すごく欲しいのがあるのに、手に入らない気持ちを」

「うん、分かる、分かるわ、雪風人さん」

 私は雪風人が遠くへ消えかけていくように見えて、慌てて言った。

「そういうものだよ。内裏は得難いものがあるようで、手に入らない所だ」

 私は先ほど見た、気さくな雪風人に戻って欲しくて話かけたけど、どんどん雪風人は遠い人になっていくみたい。暗い壁を巡らせて、冷たい風が吹いているように思えて、私は必死に追いかけた。

「私、私で出来ることがあるなら、手を貸すわ」

 だって雪風人は子供っぽい子だもの。そんな夢見たら、手の届かないものなのにすぐ失敗してしまうわ。

 くすっと雪風人は笑う。

「内裏で、あまり僕は人に興味がないのだけど、でも、君はまた会いたいな。常盤御前、もしも見つけたら、僕にも教えてくれよな」

 朗らかな少年で、明るい笑顔を振りまいていた雪風人は、いつの間にか私の心に入り込んでいたのに、気づけば、最初出会った時のように、桜吹雪を散らせた雪風人の姿に戻っていた。

 それは私に害をなした雪風人で、冷たい風を感じるごとに、私は寒々しいものを感じた。

「うん」

「君も気をつけてね」

 雪風人は私に微笑むけど、びりっとするものを発する。冷たい壁の中でも、優しさが感じられるけど、私は心臓がどくんとする。

「君のいる後宮、つまり、妃嬪らは、多かれ少なかれ、内裏での権力と関係があるところだ。だから、気をつけて。右大臣派は権力一党、左大臣派は学閥派を集めて、対立し、今か今かと敵が転ぶ時を待っている。内裏は右も左も入り乱れる容赦なき世界。君はそれに巻き込まれないようにね」

「うん、分かった。雪風人も気をつけて」

 最後は笑って、雪風人はまた笑顔を見せてくれた。

 またね、そう言って、雪風人は去って行った。

(欲しい物。雪風人にも欲しい物、いったい何だろう)

 いったいどんな物が彼にとって、手の届かない存在なのだろう。

 誰でも欲しいものはある。きらびやかなもの、尊敬するもの。とても欲しいもの。

 誰もが皆、そこまで追いかけていこうとするけど、遠くて、手が届かない・・・

 内裏は権力闘争。雪風人の欲しいものも、それなの・・・?

 何を探しているのか分からないけど、雪風人は遠いところにあるものが欲しいと言ったのだろうと思う。そういう気持ちは分かる気がする。

 私もそう。常盤御前。若竹の君・・・全部が手が届かない。だから、追いかけている。だから、雪風人の言う気持ちは分かる。



「帝のおわす宮中は、華やかな栄華を得られる場。夢見る者、栄華を求める者が大勢いる」

 背後から、若竹の君が出てきて・・・もとい、右少史の道臣が出てきて、私は飛び上がるほど驚いた。

(遠いところって思ってたところで、近くにいた)

 いや、距離的にだけどさ。

「う、右少史殿?いつからそこに」

「先ほどから。ようやく入って来れたので、本を返しに来たよ」

 道臣は前回、私から借りた本を持っている。

「いるならいるって言ってよ、驚くわ」

「話中だったんで、右衛門の少尉しょうじょう殿がいたし、邪魔したら駄目かなと。それに僕が後宮の中にふらっと出て来たら、おかしいだろう」

「それなら、あの人もそうじゃない?」

「少尉殿は衛門府だから、警護で出入りすることは出来る」

 そうか。あちらは仕事。ここにいても、おかしくない。道臣とは密会になる。男と逢引したと言われる。

 逢引、密会、の言葉に顔を赤くして、私は言った。

「そう言えば、助かったわ。ありがとう」

 例の、筆事件の件は、若竹の君が情報を入手し、久理子を呼び出し伝えてくれたことだ。

「ちょうど、内裏で主計頭かずえのかみ史生ししょうが話しているのを聞いたんだ。主計頭は弘徽殿女御の後ろ盾を得ているから、何かやるなと」

「よく教えてくれたわ。あれがなかったら、危なかった」

「一介の事務職員の僕が、耳目を張り巡らせているとは、誰も思いもしないだろうね。でも、内裏にも君の手下はいるのだよ。それもまるで想像も出来ないような男、僕」

 道臣はいたずら少年のような微笑む。

「敵も、誰が関わっているかなんて、判明しないだろう。僕が君と仲が良いことなんて、久理子さんや大和を除いて、誰も知らない。だから、大丈夫。どこから情報が漏れたかなんて分からないよ。また、君の手下になって聞いていてやるよ。君も後宮や内裏では、壁に耳ありと思って気をつけないと。内裏などでは、特にね」

 私は周りをきょろきょろ。

「何してるの?」

「いえ、帝の密偵がいるのでないかと」

「いてもおかしくないが、この周りは、誰も見なかった」

 なんかいるかもしれないね。あやつのすることだから。

「それにしても、ありがとう。何とお礼を言っていいのか分からない」

「筆と聞いて、やることは分かった。女御様など、王族の方の持ち物は、特別なしつらえをして作られ、下々の者には手に入らないものだからね」

「今回はあなたが気づいてくれて助かった。でも、次は太刀打ちできるかどうか・・・」

「僕も君の立場が難しいのを知ってる。大丈夫、僕も内裏に毎日勤めに来るし、いつでも見てる。何かあったら、次からも助ける」

「でも、何度もそう助かるかしら」

「何とか、なる、はず。宇多大和も一応、助けてくれる」

「いいの?私のためにそんなことをして。出世に響くかも」

「内裏で陰謀を聞いているだけさ。僕など何にも思われてない、家柄も良くないし、皆からも出世コースはないと思われてる人間だ。残念だけど」

「でも、後宮は嫉妬深いわ、内裏も右大臣も左大臣も分かれて争っているし、あなたも目をつけられたら」

「内裏では、誰もが右大臣か左大臣か、で争っているけど、中にはどちらつかずの人もいる」

「でも、そんなに、赤の他人のあなたに迷惑をかけられない」

「だって、君は姉の身代わりに後宮に入らされて、一人きりであのクズ帝と戦ってるんだろ?僕が助けないと、せめて、僕ぐらいは、可哀そうじゃないか」

「わーん、嬉しい、右少史殿、後宮に来て心細いけど、あなたがいてくれるから、安心できる。ありがとう、何て言ったら、お礼をどうしたらいいのか・・・」

 私は思わず、泣いた。

「な、泣くなよ」

 思いっきり顔を歪めて泣いたから、道臣は戸惑っている。でも、私の涙を拭いてくれる。

「君がいないと、せっかく会えた読書仲間が減るじゃないか。本の借り貸しも出来なくなるだろ」

 本を持って必死で言い募る。あのページの重要箇所が第二版にはないだの、この文字で本物と分かっただの、汗をかきながらえーととか、指を眉間に当てて何枚目から何枚目が必要でとか。

 そんなに必死で言い訳をするところを見ると、何か私に会いにくるのがそんなに人に言えないことなのかなと、私も恥ずかしくなってしまう。 だから、それだけ必死に言い訳しないで、右少史殿。

「だから、僕が君を助けるのは当然」

 そう言って笑う笑顔を見て、私の胸はどっきりした。 

 優しく微笑み、池の向こうへ向ける横顔は、やって来た道を清々しく振り返る、まさに旅人。 

 本当に必要な時に現れて、若竹の君みたいな場面を見せてくれる。

 池は水面が反射して、一面の銀の海で、天から降りて来た人みたいな・・・天人?

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