第25話

「椎子様は高貴な姫君ですので、今まで、そのような気遣いは無かったのでしょうけれど、ここは内裏。北川殿もそうですが、何かまた、どこかの関係者に睨まれる事件も起きるかもしれませんから、気をつけてくださいね」

「うん、そうね」

 それは、今ようやく分かって来た。

「夕闇の君も、そういうことにもなるかもしれません。ですので、椎子殿もあの方には気をつけるのですよ」

「分かった」

 久理子はうーんと首を傾け、何やら空を見据えて考えている。

「それに、男関係では、若竹の君も注意したほうが良さそうですね」

 疑問に思った私に、久理子は言う。

「だって、若竹の君も逆臣の一族ですね」

「あれは架空の物語よ?」

「椎子様。師匠は陰謀を元に物語を作っている。そう椎子様が言ったのですよ」

「うん、まあ、そうだけど」

「椎子様は隠れた事情の裏側を知りたがるお人でしょう?なのに、若竹の君は素通りするのですか?知りたがりの勘はどこへ行ったの?若竹の君が異国へ渡ったのは反逆者の一族だったからです。まだ、疑ったことはありませんの?」

「え・・・」

「なぜ、疑いませんの?」

 私のことを思ってくれる久理子だから、若竹の君のことも心配してくれているのだろうけど・・・。

「後宮は、内裏もそうですが、薄氷を踏んで生きるようなもの。帝の想い人の妹である椎子殿の立ち位置は、帝の妃につながる。それは後宮の中では微妙なものですわ。今言いました通り、帝の周りも危険です。ですので、椎子殿が大馬鹿で、周りも嫉妬しない石ころみたいなものでしたら相手にされないでしょうが、椎子様はいろいろ注意してくださいね」

「何言いたいの、本当は私馬鹿って?いや、それとも馬鹿のふりしようかしら?」

「いいえ、そんなことは」

「まあ、それは、気をつける」

 いっそ、馬鹿のふりをしようかしら?でも、私、もともと、せわしない、嗅ぎまわる、知りたがりだから、嫌われてるみたいだし、もうこれ以上、ふりをする必要もないかも。

 まあ、これがふりと思われるのは、悲しいわね。自力でこれ、ですから。

 ま、ほんと、政治の世界は薄氷を踏むぐらいと言う。

 内裏は政治の世界だもの。それもそうだわ。己の浅慮や思惑で通るところでないのは分かってる。

 そこは、うかっとする気でもないの。そこは見物しにも来ているのだし。うかとして、内裏の事情を見落とすのも惜しいし。

「でも、怖れてばかりいても探せないし、気をつけて過ごすことにする。じっとしてても、探せないもの」

「はい、でも、当然、気をつけてくださいね。椎子様にはここにいてもらわねば、私、安らかにまがりも食べられませんもの」

 久理子の心配は嬉しい。

 私もそこは考えたわよ。でも、道臣は物々交換目当ての文字オタクだし、気の良い仲間思いの学者先生ってだけなの。

 もし何か目的があるとしても、私のところに、物々交換しに来て、物語を読んでほくそ笑んで笑って帰っていくだけなのに、何があるってのよ?



(ああ、後宮がいかに、非日常的で物騒なところか、分からされたな)

 淑景舎付近の前庭の池須の前でため息。

(ここは右大臣、左大臣、手下たち、それから良からぬ勢力までが暗躍するところ。入り乱れて、何が起こるか分からないところ)

 皇后の毒殺疑惑まで出て来た。

 毒殺。それは、師匠の本で読んだし、その後自分でも薬草の本を調べたから、毒殺をする毒には心当たりがある。

 トリカブト、ヒガンバナ、バイケイソウ、ハシリドコロ、ドクセリ、朝顔、フクジュソウ、スズラン。

 毒になる植物はある程度決まっている。

(清流帝の主だった家臣たちは、前からほぼ変わっていない。とりあえず、今の朝廷の勢力は全部怪しいと思ったほうがいいわね。つまり今の朝廷の人物の周りを嗅ぎ回ると、そこに師匠がいるかもしれない。何なら、師匠が私のもとへごろっと出て来るかも?どこに毒があるか、この内裏中の庭を掘り返してでも、探してみようかしら?)

 いやでも、そんな分かりやすいところの毒なんて、使わないか・・・

 なんて頭を悩ましていると、背後から誰かが出来た。

 くすくす・・・・

 日が暮れて、植木の半分が影になっている中から出て来たのは、目元に宝石がはめ込まれたような美しさのある、謎めく雰囲気の雪風人だった。

「何をそんなに悩んでいるの?」

 前の内宴の時に、舞台を桜で演出した時、仮面を被った時は分からなかったけど、顔はまだ少年のあどけなさが残る若者だった。

「いえ・・・手に入れたいものがあっても、なかなか後宮でも、手に入らないものがあるなあって、涼んでいたとこ」

 もう辺りも暗くなって来ていて、誰も通らないと思っていたのに、思わぬところを見られちゃったな。

「へえ。偶然だね。僕もここに来て何年も経つけど、今だ欲しいものは手に入らない」

「モテるのに、恋の悩みを聞かせるの?」 

 ということを、


我が恋は知らぬ山路にあらなくに迷う心が侘しかりける


 という歌に絡めて言ったら、茶目っ気たっぷりだねと、雪風人は笑った。

「誤解だよ、恋なんて、行方もなしさ。御三家の夕闇の皇子なんかと比べたら、僕なんて何もないよ」

 雪風人も、


和歌の


我が恋はむなしき空に満ちぬらし思ひやれどもゆく方もなし

  

 と、絡めて答えた。

(ああ、なんか、雪風人も恋の悩みを抱えているのかしら?)

 と私は思った。夕闇の君には及ばずとも、内裏では人気がある男性だ。

 あどけなさとは反対に、醸し出す色気は夕闇の君に負けるとも劣らないほど、豊潤なものがあるし、容姿も優れている。立ち居振る舞いもそつがなく、この人に恋をされたら、誰でも恋をせずにいられなくなる。なんて思ってしまうほど。

 それほど魅力的なものが圧倒的に勝っているのだったら、ものすごい恋でも捕まえそうだもの。

 ああ、池のほとりで、鯉を捕まえるだの、恋にかけてしまったわ。

 


「あくせく働いて、必死で上に媚びて、わずかの棒給を争って、身をすりへらして、僕ら、何をやってるんだろうな、ねえ、椎子殿」

「そうそう。内裏で身を縮めて生きるなんて、かったるいわ。楽しい時期なのに、楽しむこともしないで」

「君は陽気な人だね」

「あなたが暗すぎるのよ。もっとぱーと気晴らしでもしないと」

「君はやはり、京の都の人だね。僕は田舎の生まれだから、考えがそういう自由に出来てないんだよ。いいなあ、都会の人は」

「そう?私、都風出しているかしら?」

「僕は出雲で生まれ育ったから、人見知りとか、都の人に馴染めない部分があるんだ。君は雅なところがあって、華やかなところがある、さすが都人だ」

「そんなに尊敬されるの初めてよ。でも、誉めても何も出ないからね」

 気さくな雪風人のせいで、私も調子に乗って雪風人の背中をばんばん叩いて言ったら、雪風人はごほごほとむせたけど、嬉しそうだった。

(そう言えば、この子のせいで、帝が私を桜の君に誤解したのだっけ?)

 あんな演出して、嫌なことするなあ。

 なんて思っていたけど、今の雪風人は何も考えてないみたい。

 闇の中で潜んだ姿を見た時は、危ない雰囲気もしたけど、今はぜんぜん、違う。キャッキャ笑って、楽しいことが好きな少年て感じだ。

「じゃあ、雪風人は、都が嫌い?」

「都も嫌いじゃないけど、今は時々、あの時、都に来ず、田舎にいたらって思うんだよな」

「気晴らしでもしたらいいわ。物語見たらいいわよ、あなたも。いいのがあるわよ?男なら漢文読めと言われるだろうけど、物語もいいわよ」

 話の流れで、私もつい、常盤御前の作品の中で、一番お勧めの若竹物語、如月尚侍日記が良い。これが内裏でどこで書かれたのか。この原本があれば、欲しいなどと言って、お勧めしてしまった。

「ありがとう。また読みたくなったら、君に言うよ。いつでもまだ、後宮にいるものね」

 にこにことして、爽やかだ。好青年だ、雪風人は。

 ちょっと影があると思ったけど、間違いだった。

「なるほど、君が探しているのは、常盤御前か」

「世の中にこんな人がいたら、探さずにいられる?」

「うーん、知りたがりの椎子っていう君らしいね」

「ありがと、誉められてなくても、嬉しいわ」

「誉めてる。悪い意味で言ってない。そう言えば、君がお探しの如月尚侍日記、出どころを聞いたことがある。たしか、たまゆらの君の部屋にあるとか、なんか聞いた記憶がある」

「ほんと?」

 雪風人は、私の横でごろんっと根っこんで、黄昏ていく空を見ながら言った。

「うん。まあ、僕の情報だから、不確かかもしれないけど」

「いいわ、真偽は自分で確かてみる」

「もし、常盤御前のことが分かったら、また僕にも教えてくれる?僕も世間を賑わす女作者がどこにいるのか、興味があるから」

「あなたも興味があるなんて意外ね。でも、こっそりとね。ししょ、いえ、常盤御前が嫌がったら、言えないから。それに秘密よ、これは」

「もちろん、秘密にする。誰にも言わない 少々でもいいよ、極上の秘密だ。内裏の者にとっては、知れるだけでもいい」

 まあ、雪風人まで、師匠って興味持たれてる。すごいなあ。

 雪風人はくすくす笑う。

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