第22話

「そちは、妃様方のために用意された筆を盗んだな?」

 そこへ、突然。後宮十二司でも兵司つわもののつかさである女たちが、険悪な表情で二人入って来た。

「これと同じものが、後宮の御蔵から盗まれた。軸は長岡名産の破竹、毛は狸毛の逸品。お前の持っている筆は、女御様や貴嬪らしか使えぬ、決められた職工が作ったもの」

 なにですと?

 でも、さっき、長池殿に渡された・・・

「椎子殿、どうしてそのようなことをされた?」

 周囲の女房方がまた冷徹な目を向ける。

 その目の冷たさ。これは計略。私は悟った。



 妙な罪名を布告され、私はざっと周りを取り囲まれた。

(筆?何のこと?筆なんて盗んではない。書写や筆跡を調べるのに忙しくて、部屋からほとんど出てないわ)

「いいえ、私はただ、北川殿に言われて、これを持って行けと、久理子殿が渡しそびれてしまったからと私に、久理子殿は椎子殿の腹心の部下でありますので、女御様のお傍に御目通りするのは私の役目かと思われ、言われた通りに持って来ただけで」

 兵司の女性に、女御様が使う綺麗な筆を突きつけられ、長池殿は部屋の中央まで入り込んで来て、必死で弁明する。

 久理子が?何かの間違いだろう。私を陥れるようなことを、久理子がするはずがない。

 北川?それなら、やりかねない。いつも久理子殿を狙っている。何が気に食わないのか、徹底的な敵視っぷりなのだ。

「血迷いごとを申すな」

 その、天敵が現れた。

「弘徽殿女御様、この者の言うことに信じられますな。私は関わってはおりませぬ」

 冷ややかな声。

 年域の貫禄ある女性だが、目鼻立ちも整っていて、後宮の妃ともなれそうな美人だ。だが、目が暗い。冷たく、残虐な楽しみに満ちている。

 背後には、似たような冷酷な顔つきをした他の部下を従えている。

 蔵司くらのつかさ典蔵くらのすけ。位階では長池殿と同等だ。

「のう、私が長池殿にそのようなことを言ったか?」

「いいえ、北川殿は今日はずっと貞観殿におりました。長池殿が嘘をついておりまする。自分の罪を人になすりつけようとして」

「いやしかし、私は北川殿に言われて」

 北川という女官はしらっとして、冷淡に見下している。

「この者が悪いのです。勝手に御蔵から持ち出して。どうして、そのような罪を犯したのです?今まで同胞として、信頼して仕事をしていたのに」

 まったく大げさに言い立てて、誰かと計画したのでしょう?

 言い方で分かるわ。

(これは私を陥れようとする計略ね。嫌われたものね、私も)



「申し訳ございません。何か手違いがあったようです。仔細は調べて報告しますので、この者に多大な処罰を」

 長池殿は、混乱しているが、私のことを庇おうとしてくれる。

「まあ、何と言う不行き届きじゃ」 

 いったん場がなごんだものの、私が憎しという風潮は変わらず、弘徽殿女御の中でも、年上の女房が発言した。

「この者は帝の寵愛を受けたため、思い上がっています。どのみち、女御様の筆を使ったのに変わりありません。一度とはいえ、お渡りがあった身。私どもの手にはどうすることも出来ませぬですが、後宮の罪は女御様なら、裁けます。この筆は弘徽殿女御様のもの。この者の罰は、女御様がお決めくださいませ」

「そうじゃな・・・」

 弘徽殿女御はこの計略で、私に罪を着せようと考えている。

 一度は女御様の怜悧な心も溶けたと思ったのに。

(こんなの、手違いって明らかだわ。デタラメよ。誰が見てもおかしいのに、弘徽殿女御様も罰を与える気?)

 私はため息をつきながら、己の筆を持ち、周りに見せた。

「これは、私の筆です」

「な、なんじゃと?」

 北川殿が一番驚いた。

「私が部屋から持ってきた私の家の持参の筆です。家紋がついております」

「なっ・・・・」

 北川殿が目を剥いて、私を睨む。

(そう)

 私はこの情報を先から入手していたのだ。

 半信半疑だったけど、だから懐に最初から筆を用意し、長池殿の筆は腰帯の中に隠した。

 確かに上級の逸品だが、女御様方の筆も破竹で、全体として茶色のため、私の家にある上級貴族向けの筆でも遠目には変わらない。

「女御様、確かにこの者の筆は、藤原家の係累の証、藤の紋が、端についておりまする」

「さようか。なら、これは兵司の間違い、ということか」

 弘徽殿女御様はあっさりと陰謀から手を引いた。

 梅壺の毒入り壺も蹴散らした方だ。計略に手慣れてる。

 この計略はもう駄目と、すぐに危険を察知したのだろう。

「確かに、み、見ました。私は、女御様、長池殿がこの者に筆を渡し、この者が筆を持っているところを、み、見ました。この者らが盗んだに違いありませぬ。今一度、この者をお調べ願いたい。筆をどこかに隠し持っているかもしれず、今一度、詳細にお調べをお願いします」

 北川殿だけは、弘徽殿女御に必死に食い下がる。

 どうしても、私を犯人にせねば気が済まないらしい。

「手違いであろう?なら、もうこれ以上詮議することは必要ない」

「しかし、この者の着物のうちに筆を隠し持っているかもしれず」

「こちらを探すとなれば、ここにいる全員、その下に着ている表着から何もかも剥がして調べねばならぬ。この長池殿が持って来たのは、皆が見ておる。それから後、この部屋で行方不明になった。そうなると、この部屋にいる全員が怪しい。それなら、この子だけを調べたら、おかしいと言われる。それでも言い募るというのなら、ここで、帝の妃から、ここいる者全員から、着物、みぐるみ全部剥がして取り調べせねばならぬ。そうしたら、わらわこそ、帝の妃を公衆の面前で貶めた、前代未聞の女御として帝に報告が行こう。それはまことに醜聞。我が弘徽殿の名が貶められること。まさか、北川。弘徽殿の醜聞を帝に見せつけろと、そのように、梅壺から言われているのかえ?」

「そのようなことは断じてありませぬ。どうか、どうか・・・お許しを、弘徽殿女御様」

 北川殿は逆に己を疑われて、許しを請う。

「しかし、こうした盗難と思しき事態が通告されたゆえは、詳しく調べねば、後宮の落ち度と言われまする。かくなるうえは、この運搬者である長池を、罪人として取り調べさせてください」

 追い詰めるつもりが、逆に窮地に立ったと気づいた北川殿は、己の罪を他人になすりつけることに決めたようだ。

 北川殿のせめての意地だ。己の失敗や落ち度。それを認めたら、次は己が責められる。だから、何が何でも他人のせいにしておかねばならない。

「私は、お主に言われて運んだと言っておる」

 長池殿は気の強い上司だ。ひるむことない。

「それは良かろう。それは任せる」

「そ、そんな、弘徽殿女御様、私は何もしておりませぬ」

「引っ立てい」

「わ、私は何も」

 後宮の古参も女御様に言われては反抗できない。

 私に関わったばかりに、長池殿が衛士に罪人としてしょっ引かれてしまった。

 私はまだ女房方から、調査しろだの、みぐるみ剥がせだの周りから不満タラタラ言われたけど、長池殿がこうして捕獲されて、何とか助かった。

(下手な絵で思ったより、女御様の歓心を買えたように思ったけど、後宮はやっぱり大変)

 何も思わず絵合わせに出ただけなのに、計略をかけてくるなんて・・・


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