第21話

「ところで、そちは若竹物語が好きだとか。常盤御前をお探しになられているんですって?」

 む、私の師匠のことまで。

「ええ、私は物語好きでありまして、今も帝から言われて、常盤御前の作品などを書写しております」

「まあ・・・・」

「帝の名まえを出すとは、何と言う恥知らずな・・・」

「お前ごときが、弘徽殿女御様を差し置いて、何様なの?」

 とたんに、ひそひそと周りからささやかれた。

 誤解って、帝と何もなかったんだって。

「私は宮中に憧れて来て、本当にきらびやかな人々に囲まれ、見事に装飾された書物にも囲まれ、やはり宮中は違うところだなと思っています。もちろん、こと女御様になられる方であれば、私の手元にある素晴らしい書物よりもさらに素晴らしい書物を書かれる人もいるでしょうね。で、どうでしょう?私のところから、こちらをお持ちしました」

 と私はうちでも最上の絵物語を、差し出した。

「これはまあ、上等なものじゃな。悪いものではない。もらってやろう」

「ありがとうございます。こちらには、このような書き物を」

「ふん、さすが、寵愛を受けた、図書何とか史だのう」

 しかし、付け届けは、逆効果だったようだ、お前如きが、つけ届けるな、という、ぎろっと険悪な空気が漂う。

(三つの言葉を言い終わらぬうちに、打ち返された)

 付け届けが全てを解決するわけではない。時と場合、人によりけりなのだ。意外と難しいものなのだ。長池殿はそれがうまいから、のし上がれる。私はまだノウハウが足りてない。

「そちはそれだけ帝から、書を頼まれているのなら、さぞ、書も上手かろうの。少し、わらわのために、お主の筆モノを一筆、書いてくれんかえ?」

「ええ、お題は何になさいます?」

 来た。筆遊びだ。

 私はにこやかに引き受けた。

「弘徽殿女御様は、帝に差し上げるものには最上の気配りをされるとか。たとえば、帝に送る和歌も、さぞ、優秀な女房方がついておられるでしょうね。ああ、皆様と一度、手合わせしてみたいものですわ」

「な、なんですって?」

「なんという失敬な」

 少々、不遜な物言いをしてみたら、これには、弘徽殿女御の周りに侍る女房方が反応した。

「うまく描ければ、帝にも見せたら、ご褒美をくれるかも。寵愛を得られるという宝来の白銀の例えもありますわ。弘徽殿女御様もそれは欲せられているでしょう」

「ここは禁中ぞ、御法度を知らぬのか」

「な・・・何のことやら、知らぬな」 

 弘徽殿女御はしどろもどろだ。

 ちょっとカマをかけたのだ。どこまで宮中の謎に関わっているか。

(もし、師匠が陰謀に巻き込まれているのなら、私はこの謎から解き明かさねばならない、ものね)

「なんという、侮辱。女御様は己で作られます。帝に差し出すものを、他人の手にさせるものか」

「では、弘徽殿女御様も含めて、皆さんでやりませんか、全員で書いたら、ごまかしなしですわ」

 煽ったのも、全員で書いてもらうためだ。 

 後宮の妃に部屋に入って、生易しい手だてでは調べられない。

 帝からもらった書物は師匠の手書きの文字。その文字の特徴も筆使いも知ることが出来たから、常盤御前がいたら、文字や筆使いから判別する。

(それにしても、後宮でこうして妃と対等に向き合えるのは、帝のおかげだわね、こうまで、妹の私に貢献したら、姉にラブレターを書くぐらいは容認せねばならないかしら?)

 あれでも、あいつなりに、役に立っているか。うん、と私は右大臣からもらった扇で口元を隠して頷く。

(よーし、早く師匠見つけて、後宮から出るぞ)

 いくら良くしてくれても、そばに留まることは御免こうむるわ。帝のお礼はお礼で、毎年、付け届けでも何でもするから、ご勘弁。

 そうとは知らない弘徽殿女御もその周りの女房たちも、怒り狂った。

「失礼な。何様ですか。おぬしの書く文字は帝に宝来の白銀を頂けるほど優れていて、女御様も、うちの女房らも、お前の下だととでも言うのか?」

「嫌ですねえ、私は遊びに来たのです。宮中では、竹馬、蹴鞠、絵合わせや、碁をしたりします。筆遊びもしようと誘ったのはそちらからでしょう。私は、弘徽殿女御様の遊びに付き合いに来たのです。どうであれ、女御様も女房様方も、ちゃちゃっと皆で、楽しく、大勢で、描いたら良いでしょう。遊びなのですから、遊びは皆でやると楽しいのですから」

 私が強気になれるなんて、知らなかった。いざとなったらこういうことも出来たのね、私。

 師匠の陰謀物を多く読んでいるせいね。

「弘徽殿女御様、ではお題目を」

「う、うむ」

 びっと筆を持つ。

 可愛い絵文字を書くのに、弘徽殿女御様も殺気立っている。

「そちが初めてらしいので、いきなり難しいものを出して、うちの女房に勝たせたと、後で梅壺に笑われたら尺じゃから、まずは練習しておこう。筆比べとは、何かというと、単に文字を書いて行くだけ。だが、それは単に字を書くだけではない。出された題目の絵を書くのだ。例えば、猫なら、ねに耳と目を描きいれ、口にこを使うと、絵文字になる。まずは皆、己の大事なものを一つ、書いてみよ」

「女御様、これは何でもいいのですか?」

 周りに並ぶ女房らも、これには乗って来た。

「何文字でも?」

「いい。何文字でも許す」

 筆あそびというのは、まあ、ルールはない。好きなものを好きに書いて、披露するというものだ。

 俄然、皆が一生懸命になって書き出した。

 部屋の壁側に座る女房方は、ニワトリだの、石だの、山だの、描いている。

(ええと、何でもいいなら、何を書こう?)

 私も筆を持ったまま、考えた。私の前には、女房たちに用意してもらった文机と綺麗な紙がある。

(竹)

 思いついた、若竹の君の竹を、私は書いた。尊敬する師匠の作品名でもある。

 竹取物語と若竹物語は、世界観は似ているが、別の話。天女という存在は似ているが、竹取物語は古典だが、若竹物語は現代、師匠が書いた創作小説だ。

 若竹の君の物語は、子供の頃に見た天女を追いかけるという話だ。思いを悩みながら、いろいろな異境の地を巡っていくのが面白い。

 たという文字に、竹の幹と葉を描きいれ、けという文字にも、竹を生やす。

「出来ました」

 自分でも見事に下手な出来栄えと思う。

「まあ、なんという・・・」

「ひどい・・・」

 くくく・・・あっはは・・失笑が漏れた。

 確かに、妙な代物がニョキニョキ生えている変な図だ。

 筆合わせというのは、こういうおかしなものおかしがるものでもある。笑えば、本来の目的達成だ。

(強気に出たものの、そういや、私、それほど絵は上手くないわ。文字に絵をつけたけど、何なの、これ)

 女御様もこれには、くつくつと苦笑いした。

「まあ、なんという、妖怪変化?独特なものですなあ」

「ほんに、何ですか、たけという文字に、にょきにょきと生えて、そんな生え方をしたらおかしいですわ」

 女房方は厳しい顔つきが一瞬で、緩んだ。

「これは、私の一番好きな文字なのです。常盤御前の作品で、若竹物語が一番好きなので、この文字にしました」

「そちの絵の才能は独特よのう。では、題目を出そう」

 女房たちの練習作を見て、さんざん笑った後、女御様は本番の開始を告げた。

「そうじゃな、女というのはたしなみや才能が必要だが、美しさ艶やかさもなくてはならぬ。今の時期じゃな、かきつばた。この花を書いてみよ」

 ぎくり。として、私は筆を落としそうになった。

 かきつばたとは、姉が美しいと、例えられる花でもある。

(これは皆でかきつばたを貶めようという魂胆ね。それに、私がどう描くか。皆見ている。不遜な思い上がったことを描けば、それみたことかと、一斉に批難されるでしょうね)

 周囲の冷たい視線を感じながら、私は書き上げた。

「な、なんなの、それは?」

 出来あがったものは、我ながら奇抜なものだった。

(周りがぎくとなったり、ざわついたものが、出来上がったわ。何なの、これ)

 自分で見ても、キテレツなものだった。

「かは幸運を運ぶという亀、きは喜びや幸福の喜、つは運を運ぶというツバメ、バタはそばにいる人間。つまり、女御様と帝が常に寄り添って暮らし、末永い長寿と幸運が続きますように、と願いました」

 かきつばたという仮名から、いろいろな動物が飛び出ている。何なら漢字も飛び出ている。言われても仕方のないぐらい、変な絵だ。

「妙な組み合わせながら、うまいの。媚びるのが」

 女御様は扇で口元を隠して笑っていたが、次第にこらえきれなくなってか、扇を放り出し、はははと笑い出した。

「ぬ・・ぬしは、真面目にやって、あとで笑かす達人なのかえ?」

 腹を抱えて笑っている。おかしくてたまらぬほど、私の絵、おかしかったかしら?

(よし、これで気に入られたかも。そうなったら一気に、弘徽殿女御様のおそばつきで、師匠がいないかどうか。情報だけでも、女御様たちから聞けたら)

「にょ、女御様・・・珍しく笑われてますね」

「女御様がこれほど笑うのは久しぶり」

 周りの女房らもほほほ、ほほほと、明るい雰囲気になる。私の絵だけでなく、皆の書いた絵もあまりそれほどではなく、おかしさが増す。

 私も笑いが堪えられず、いっしょになって笑った。

(どうやら、弘徽殿女御様の笑いのツボを獲得した。私、やったわ)

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