第20話
そんな時だ。どたどたとして、誰かが近づいて来た。
「後宮の特別史だとか何とかになった、椎子殿よ。挨拶がないと、弘徽殿女御殿がっしゃっておるぞ」
これは偉い位が高い女房だ。高級な唐衣を着て、立ち居振る舞いにも品がある。背後に二三人部下を引き連れている。
(来たか、次は、弘徽殿か)
ち、まったく。
妃たちに、ライバルと見られて、煙たがれ、こっちこそ何かと面倒よ。
(それがとうとう、面と向かっての、お呼びか)
梅壺女御には、厳しく当たり散らされ、吊るされそうになったのは、つい先日のこと。
げんなりする。私は静かに常盤師匠を探したいだけなのに、いったいどこまでこの騒動は続くのやら。
「今日はせっかく来るのじゃ、筆比べもしようとおっしゃられておる」
「筆比べ?」
「ナニ、遊びじゃ。うちに来れば筆ぐらいいくらでもあるが、己の筆が良いなら、筆を持って来られても良いとの仰せじゃ」
「弘徽殿女御様が?」
「分かったか?分かったなら、返事をして、早く来い」
「は」
どたばたと使者の女房が行ってから、久理子が私の部屋に入って来た。
「何かいやな予感がします。そのように笑って、笑いごとではありませんよ?後宮でも、権力のある女性があなたを呼びつけたのです。下手すりゃ、殺されるかもしれませんわ」
「ちょ、ちょっと、殺すって・・」
「まあ、弘徽殿女御様は、梅壺女御様よりは大人しい方ですから、まだマシかもしれませんが」
「弘徽殿女御様も危険、よ?」
まさかこっそり忍び込んで、山姥状態を見たなんて、言えないけど・・・
「何にせよ、部屋に私を呼びつけるとは、これぞ、渡りに船」
「で、どうやって常盤御前を探すの?どこもまだ、見つかってないんでしょ」
私の魂胆を見抜いている久理子は、笑って言う。
「もし、隠れているとしても、知り合いがいる後宮で、違う人のふりをするってのも難しいわね。または、何か理由があって隠れているとか」
「もしくは、もうここにはいない」
「久理子殿、あなた、妙に冷めたものの見方をするのね・・・想像するによ、昔に愛する人がいて、そのために姿を隠さねばならなくなったとか、純愛相手を守るために、ずっと陰謀の真実を追って、内裏に隠れているとか」
「はっはっはーはっはーっはっはっへっ」
思いっきり笑ってくれるじゃない。あんた、後宮に来て、達観した婆さんみたいな目を持つ羽目になったのね。普段はイジメられて震え上がってるのに、そこだけ、婆さんなんだわ。
「それはそれは、楽しみなことですね。椎子殿には楽しい宝物の宝庫でしょう。いずれ、何が出て来るか、私も楽しみではありますわ。でも、陰謀ってことはあるかもしれないです」
「うん?」
私は、久理子殿に教えてもらった。弘徽殿女御の秘密を。
「今の弘徽殿女御様も、過去に陰謀に遭った一族なのです。先の先の先の・・・つまり、今の京の都に遷都した帝、つまり清流帝の祖父にあたる
「師匠の件は、陰謀に絡むと思うの。陰謀好きではあるし、陰謀でなくっちゃ、隠れてない。それかまあ、とんでもない勘違いとかもあるかもしれないけど、けど、あの師匠が単に勘違いして、身を隠しているとは思えない。夕闇の君からもそれとなく、陰謀に関わっていることを言われたし、だから、後宮の関係や背景を探るわ」
「どうするんです?」
「まずは現場に行ってから考えるわ」
「椎子殿は、先に行ってから考えるタイプ?」
「違うと思う。いろいろ考える人間よ。でも、探し人を探すには、やっぱり計画を練っているだけでは駄目。直接行かないと分からないことがあると思うの。己で見ないと、何が正しいか、何が関わっているかも分からないわ。人に伝え聞いたりするだけでは、それが分からない。それに、もしも私、師匠に会ったら、分かると思うの」
尊敬する師匠のことだもの。
見たら、分かる。私、きっと。
それでいざ、弘徽殿女御様の御殿へ参らんと、筆くらべをしに行ったのだけれど・・・
「椎子殿、そなたの筆をお持ちしましたぞ。弘徽殿女御様のところで、筆をお借りするのは失礼に当たるのでな」
「わざわざ、どうも」
入ってそうそう、長池殿が私の筆というのを持って来て、何かおかしいと思ったが、普段から世話になっている長池殿のことなので、私は何も問わずに受け取った。
「さて、よう来たの、何のお題にしようかの」
弘徽殿女御様は、美しい方で、豊かな髪が肩にかかり、ゆったりと腰まで流れて艶やかで華やかさがある。優し気な方で、美しい人というのは、最初見た時から、印象は変わってない。
この方はとても帝を愛しているらしく、帝からの贈り物や言いつけを大事にしていることで有名だ。
(だから、姉のことがますます気の毒になる。自分のことも・・・)
「ご機嫌麗しゅう、恐悦至極にございます。弘徽殿女御様」
私は弘徽殿女御の前で、敷物を用意されて座り、挨拶をした。
「そなたは大納言の娘であるとか。由緒ある家柄の出と言えよう。高貴な姫君であるなら、お琴、和歌、書をたしなまれると思うが、そなたも何か出来るのよのう?そこらへんのサルと同じ教養が身についておらぬことはあるまい?」
弘徽殿女御様も、もう坊主憎けりゃ袈裟まで憎しというとこか。
「は、多少、お琴や和歌、書を幼き頃から習っておりまする」
「椎子殿の姉君は都でも有名な美女じゃそうじゃ。帝もそれで気を引いたとか。今を時めく公達たちも大勢とりこにしておるそうじゃな。その姉と椎子殿は似ておられるぬようじゃな」
「私は姉とは違う母の娘でして、父にも似ておりません。先祖返りでもしたのでないかと言われております」
「どうやら、そちは知りたがりだとか。格式ある大納言の御家柄と言えど、騒がしくものを探したりしていてはいけぬのう。見たところ、礼儀作法がまだ身についておらぬゆえ、上司の長池殿にもっと指導してもらうようにしないとな」
(うっ)
「堅苦しい挨拶は不要じゃ。同じ後宮に暮らす妃なればな」
(弘徽殿様もまた、誤解されている)
いくら訂正しても誰も信じないし、今ここで説明する雰囲気でもない。
それからも続く、嫌味の羅列。
「そなたの声は何かと、頭にキンキンと響くなあ」
だの。
「そちの博識は姉譲りなのか。偏りがないどすか?」
だの。
「ああ、暑い。今日も暑いおすなあ。誰かがそばにいるからじゃな」
だの。
「慣れない後宮勤めはきつかろう。はよ家に帰って、お体をいたわり。梅壺女御様もそうお言いだそうよ」
だの。
これが、宮中のやんごとなき方々なの。
うるさい、ばーか、暑苦しい?さっさと出ていけ?
(きゅ、宮中はほんとのことは言わない。隠すだけで、本音は言わないで伝えろだの言われてるけど、隠されている分、よけいにこたえるわ)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます