第18話
私は緊張のゆるみ、へたっと床に座りこんだ。
と私の背後で、がたっと物音がした。
(今度は何?)
すると、襖が開いて、申し訳なさそうに男が現れた。
見覚えのある、涼し気な目が、心配そうにこちらを見ている。
麗しい美貌、優しい目。若竹の・・いや、右少史の忍坂道臣殿だ。
「右少史殿?な、なぜ?ここは男子禁制の後宮、それになぜに、部屋の裏に隠れているの?」
「いや、君が帝に無理やりだったら、僕が止めようかと・・・」
道臣はもごもごし、鳥烏帽子を触ったり、あっちむいたり頬を掻いたりしている。確かに、ここは後宮。真面目な男性には居心地の悪いところに違いない。
「助けに来てくれたの?」
「うん、まあ。出て行くタイミングが遅れたけど」
「見つかったら、右少史殿が反対に危なかったわ」
「いや、なに、女性が困っているのを助けるのは男の本懐さ」
「もしも、何かあったらどうする気だったの?」
「そりゃ、帝を蹴ったおして、君をさらって逃げようかと」
私は驚きと共に、右少史殿の顔をじっと見た。
私の窮地を見て?
胸がじーんとなった。
「どうして、そこまで・・・?帝に逆らうと大罪なのに」
「なあに、僕は家族は誰もいないから、身内の心配はない」
「そんなので消えてもいいってことじゃない。あなただって大切な人よ、前途だってある」
「いいんだ。君も物語や書き物が好きなんだろ?いわば、文章生、僕と同じような学生。仲間だ」
(私のことを仲間?)
私が物語好きなのを、それで困っている仲間を助けねばと思って・・・?
「ありがとう」
私は再び胸がじーんとなった。
「いいんだ」
良い人だ、この人。
道臣は私の足元に置かれた本の山に気づき、手に取り上げた。
「竹取未遂物語?え、ここには常盤御前の書いたと言われる作品が山とあるじゃないか。これも、これも、希少本で、どれも市では手に入らない」
(え?き然とした元遣唐使と思っていたのに・・・)
大木、学者先生、おおらかな人という、尊敬する対象に入る人だったのに、にここ掘れワンワンする犬のようになってしまった。
(まるで子犬)
けど、子犬だから、可愛い。そして、本を漁ってる?
本当に文字の虫なのね。文章生って、分厚い本の山に囲まれてひたすら読み漁る人間達らしいけど、その通りだ。
「収集家もいくら賄賂を積んでも手に入れられない本の山だ。すごい。これも、これも僕は見たことがない。僕もあちこち読本したと思うけど、ここにはそれを遥かに上回る本がある、すごいじゃないか」
目がキラキラ。なんだか乙女チックになってしまった。
「そりゃ、帝の持ち込みだから、状態の良いものばかりよ。相手は日本一の宝の持ち主だもの。あれでも。気に入ったのある?私も読まないといけないけど、必要なら、あなたも読む?」
「うん。え、でもこれ、いいの?」
道臣はまた、さらに小鳥のように無邪気な喜んだ。目と目が合うと、子犬の絶好調の時のように顔を輝かせ、尻尾を振る。
「私の本もここに持って来ているの、あなたがまだ見てないものがあったら、それもいいわよ」
「いいのか?」
道臣は目がうるうると泣きそうだ。
「いや、だが、もらいっぱなしというのも悪い。つかぬことを聞くが、君が持っているものと、僕の持っているもの、これを互いに交換して、読み合うってことはどうだろう?常盤御前の作以外にも、他の作者の本なら、ここにないものも僕は持っている。それを君に貸す。それなら、単に貸し借りしてるってことになるだろ。お互いに貸しが無しなら、気兼ねせず、往来が出来る、だろ?」
「あなたの本を貸してくれるの?それは私も嬉しい」
「だろう」
けれど、ここは後宮と、ふと気づいて、私はためらった。
ここはめったやたらと、男性と密会する場所じゃない。
「えーと、勘違いしないでくれ。僕は単に、物語に興味があるだけで、君とどうこう、これでなろうなんて、そういう下心があるわけじゃないから」
なんだか、相手も焦って、必死で言っている。
「え、えーと、ええそうね。私も本を貸してくれる友人は貴重だからこうするのであって」
私も、後宮のこんな奥地で、男性とこっそり会うだなんて、焦ってしまった。どう言えばいいのだろうか。友達だろうか?
「僕は一介の事務役をする下級官吏だから、君の地位を目当てに求婚をするわけでもない。単なるこれは・・・言えば、物々交換だ」
道臣も探していた言葉に辿り着いた人が行き当った時と同じく、はっとする。
それだ。それ。私も探していたことに行き当った時と同じく、納得する。
「物々交換って、東市とか西市の市みたい。まあ、つまりは本の物々交換ってことね」
「そういうことだ」
「なら、友達同士、本の貸し借りをしましょう。それなら、別段、誰にはばかることでもない」
物々交換しているだけなら、人間、感情の行き来もない。単なる貸し借りだ。持ちつ持たれつ。足りないものをお互い不足し合い、利を得る。それなら人に言える理由になる。
「椎子殿、嬉しいよ、僕、こんなに本を持っている君と出会えて」
「ええそうね、これは役得よ、役得」
「それ、役得、その通り」
そう言って必死で言い合う私たちは、ふと冷静になり、お互いを見た。
道臣もおかしかったのか、くすっと笑った。
だから、私も笑った。
大納言の娘として、確かにこれじゃあ、はしたない。でも、本ってなったら、人って見境なくなるの。道臣も同じだ。
「じゃあ、時々、僕はここに来るから。逢引みたいに来るけど、逢引ってわけでもないから、その、心配しないで」
まだ必死で言い訳している。私のことをまあ、心配させないようにだろうけど。
「君から僕に会うのは難しいだろうから、僕が時々ここへ来るよ」
「いいわ」
「よし、じゃあ、また忍んでくるよ。後宮だから、出入りする男もけっこういるし、心配しないで」
「本当?捕まらないように気をつけてね」
「あの、今日の美しい月夜に、君と出会って僕は・・・このように鏡清き夜に出会ったから僕は、君のことをもっと・・・」
「え?」
行きかけて、振り向いて言うから、私はよく聞こえなかった。
「いや、なんでもない。大丈夫。心配ない。じゃあ・・・また来る」
「うん」
そう言って、道臣は闇に消えた。
また来る・・・。
こっそり?それも。
なんだか、その言葉の響きが心の中でじわじわと場所を取り始めた。
でも、別れたまま、若竹の君とそれっきりにならずに済んで、良かった。
(後宮って出入りが厳しいと聞いたけど、けっこう出入りできるみたいね)
そりゃそうか。昔から、女のもとに男が通い・・・
と、ふと想像して、私は赤面して、その場に座り込んだ。いや、これは違うの。でも、そうなの?・・・ええと、これは密会?
冷静になって考えていくと、ますます顔が赤くなっていく。
また来る・・・て実際、恋人たちが使うものよね。
(いえ、違う。これは男が通うとか、そんなものじゃない。たんなるオタクの人気本の交換だから、友達だってまた会おうとか、来るとか言うわ。おお、おい、お前、いい本手に入ったんだ?見る?おお、それ、貸してくれ。代わりにお礼のこれを貸すよ。とかそういう間柄のことだから、それと同じよ、そこに男と女の色恋のやり取りなんて、ない、どこにあるの?ないわよ)
でも、この場に姉が、あらあ?と目を細めて、扇でつんつんしながら言うだろう。
まあ、椎子。来て早々、男を通わせることになってすぐ男性と密会する約束だなんて、節操がない。
いいえ。違うって、違いますから、昨日今日会った間柄なんです。単なる友達です。それ以外何があるってのですか?姉上。
さあて?男女が忍んで会うことに、密会以外何かある?
い、いえ、違うこれは、単なる物々交換ですからー!
くすくすと姉が笑っている気がする。それを想像して私は頭を抱えて、顔を赤らめた。
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