第9話

 運命の巡り合わせとか、最高。運命的に山の上で出会うのもすごい。あ、泣きそう。師匠、さすが。

 それより。

 やはり、内裏は大変なところだわ。左大臣と右大臣が対立して、権力争いをしている。それが後宮でも対立構図にもなっている。

 そう言えば、父上も帰って来ては、酒だの、もう寝るだの、わしのことは誰も心配せん、などとよく文句言ってたっけ。

「おおっと・・わあ」

 宴会場に皿だの敷物だのが大量に運ばれている中、荷運びや掃除を手伝うふりをする。

 綾綺殿の敷地から出たら、すぐに見回りらしき女官たちが行き交う。 

(確か、後宮って、女の人も兵士になったりしてるのよね)

 久理子には後宮の中はあまり動き回らないほうが良いと言われた。しかし、私はそんなの気にしなかった。

 それどころか、一番奥に入ってみてやろうかと。

 おそらく、帝の第一の夫人である梅壺か、弘徽殿のどちらかにいる。

 そこが後宮でもっとも警備が厳重で、もっとも侵入しにくい、後宮の秘部だからだ。

「お疲れ様でございます」

「お疲れ様でございます」

 兵士らしい女官はいないけど、それらしい女官姿の女たちがあちこち立っていたり、列を作って巡回したりしている。

 特に重要な通路となる奥へと続く道には、門。

「ああ、忙しいわね」 

 通りすがりの采女や下っ端の女たちに、忙しいふりをして、挨拶を交わす。

 私は何かで置いてあった唐箱を持ち、お使いで荷物を運んでいるふりをして、警備が厳重な門は通り過ぎた。

(いろいろな人がいるわねえ、ほんと) 

 あまりに珍しくてじろじろ見て歩いてたら、どん。誰かとぶつかった。

「おい、お前、何をしている。こちら、左大臣藤原麻呂様の家来、日下部と知っての狼藉、か・・・」

 私は顔面強打したが、男は地面によろけ尻餅をつき、激怒した。

 が、私を見た後、急に目を点にしている。

「これは・・・胡蝶の珍しい文様だね」

「そうなの、これは我が家で入れてもらっている我が家の伝来の文様なの。縁起がいいからって」

「いや、昔、知り合いにいた者のことを思い出したのだ・・・後宮勤めのようだが、高貴な方のように思われる。じろじろ見たりして、すまぬ」

「いえ、そんな、私こそ、前を見ずに歩いていて、すいません」

「いや、いい。気にしないでくれ」 

 色褪せた黄色の衣袍を着た無位の役人で、ぎろぎろする眼の野蛮な男だったけど、私のそこまで上等でもない、普通着にしている着物の柄に目を止めた。

 誰が見ても目立たぬ柄だけど、私がそこらの采女とは違う者と気づくとは、目が良い。

 そこに、何か、大事な人の姿を思い出したらしい。


「おい、日下部。お前の仕事が遅いから、お前に任せた件は梶川にやってもらったぞ」

「申し訳ありません。左大臣様」

 気になってついて行ったら、日下部という男が従事している男が、左大臣と分かって驚いた。

 そう言えば、さっきも左大臣の家臣って言ってた。

「この内裏では、何事もあってはならぬのに、任せた仕事も出来ずに何ごとぞ。お前の部下ならお前の責任だ。官位の話は無しだ。なんだ、なんか文句でもあるのか?」

「い、いいえ、滅相もない。畏れ多いこと。しかし、私の責任では」

「これ、内裏でそのように大声を上げてはならぬ。左大臣様に迷惑がかかる。左大臣様、日下部も謝っておりますゆえ、ここはどうかお手柔らかに」

 日下部という男は陰険で偉そうな男だが、左大臣につく年域のおじさんは寛容そうな人で、日下部という男は何とか取りなしてもらった。

「申し訳ありません」

「次回からは気をつけるのじゃ」

 優しいおじさんは黙って付き従っているのに、威張り散らすだけの若い男はへいこらして、何とか左大臣に取り入ろうとしているのが目に見える。

(ふうん、あれが左大臣、藤原麻呂かあ)

 内裏ってやっぱり、大変そうだ。

 日下部という若い男も、あれほど陰険さを漂わせ、ぴりぴりしている。左大臣と右大臣はクセの強そうな二人だし、内裏では、かなり権力闘争があるというのは本当のようだ。


 私がいたところからぐるっと回って、帝がおわす清涼殿のほうへ回ろうと思ったら、弘徽殿の殿閣がまず目の前に出てくる。

(経路としたら、その後に梅壺、その後に清涼殿のはず)

 植えこみの間を覗いてみたり、誰もいない門をくぐったりして、いくらか殿閣の建屋を回っているうちに、いつの間にか開けた庭に出た。

「蓮根の粥があるなら、先にお出し。庭園で採れたグミもあろう。食後に持って来よ」

「女御様、そのように打ち込んではもちませんわ」

 声と共に何やら、騒がしい音。ぽろぽろん、ピーとか和琴の音だ。

 私はどうやら、弘徽殿女御の殿閣にうまく入った。

 結構、大胆なことをしているけど、まあ、私の家は大納言だし、家は寝殿造り。貴族の姫として育った私には、水を得た魚という点がある。

「根を詰めて、あまり練習されると、本番で疲れてしまいますよ」

「でも、練習しないと、梅壺女御にまた、楽器が下手とか、生まれが知れているとか言われる。あの人にバカにされるぐらいなら、爪が飛ぼうが、指先が血まみれになろうが、練習するわ」

 美しい妃だけれど、目は三角、髪は振り乱れ、顔は青筋浮き出て、汗なのか口から泡が出ている。豪華な刺繍が入った唐衣も打ち捨て、汗衣一丁。日頃の女御様という華やかな想像からは、遥かに離れた姿だ。

 絶対にあいつにだけは負けないと、ぎりぎりと歯を食いしばって、ぴーやぎーと琴にぎりぎりと爪立てている姿は、山姥やまんば

(こわっ)

 よっぽど、梅壺女御が憎いのだろう。また後宮一、美しい女性と言われる弘徽殿女御だ。それだけプライドが高いのだろう。

 一心不乱、目を血走らせた地獄の鬼(弘徽殿)。

 それを甲斐甲斐しく世話をし、常に一番そばにいる年域の女性。

 見てはならぬものを見てしまった罪悪感もあるが、はっきり言ってそっちはどうでもよく、一介の女房たち、そっちのが私は気になる。

(常盤師匠って、ああいうのかしら?)

 その他にも、弘徽殿女御の周りには、賢そうな女房達がずらっと控えており、身のこなしは優雅、高貴な気品を漂わせた振る舞いだ。

 主人が水が飲みたいと言えば、水を持ち、汗をかいたら手拭いを出し、楽譜をめくったり、楽器をメンテナンスしたり、その誰もが一本筋の通った威厳のある賢そうな女房ばかり。売れた人気作家とか、大物に狙われる重鎮とか(欲目かしら?)が隠れてそうな感じだけど、そこは玄人プロ。そんな素振りを見せずに、恭しく従っている。

「ねえ、安芸。この度の演奏は、お上は気に入るかしら?」

「弘徽殿女御様のされることなら、何でもお上は気に入ってくださいますよ」

「そうかしら?寵愛も一時のもので、女の盛りなどいつでも、一瞬で過ぎて行く。昔から、寵愛を失った女の和歌がたくさんあるわ」

「それはそれ。弘徽殿女御様は女御様。お上は弘徽殿女御様を大切にされています」

「そうかしら?近頃、石見にいた頃を思い出すの。三郎は元気かしら?あの頃は、何も考えなくて良かったわ」

「まだ御父上君もご健在の時でしたな」

 美しい妃も不安になったり、悩んだりするのだわ。

 その悩みとなっているのが私の姉だなんて・・・

 弘徽殿女御の思いを知った私は、切ない気分と申し訳ない思いが募って来る。




豪華な宮殿 花の匂いが良い園 高閣があるところ

贅を凝らした装いに、美しい美貌をした、傾国の美女がいる

戸口から現れて、人を惑わす女は、高貴な者に誘惑の微笑みを向ける

妖艶な女のかんばせは、花のつゆを含むに似たり

月明かりの下で、樹木も玉も闇の中では見通せず・・・



 これ、玉樹後庭花ぎょくかこうていかかしら?

 でも、「玉樹後庭花ぎょくかこうていか」って、もっと違う詩だったような。人を惑わすとか、誘惑のとか入ってなかったはず。

(姉のこと?)

 想像するに、歌詞を変えるほど、弘徽殿女御は、梅壺女御と同列ぐらいに姉のこと嫌ってる。私は冷や汗を心の中で感じた。

「ねえ、安芸。お琴も上達すれば、お上は私に宝来ほうらいの白銀の玉を私にくれるかしら?」

「まあ、また女御様、そのようにご心配を」

「でも、お上はあの宝を秘かに隠し持っており、最愛の人に渡すという噂よ」

「宮中では白銀のことは禁句です」

「そうかしら?最高の宝だから、隠されているのでなくて?帝もわざと言わないようにいているのよ。梅壺もぬいの方もあれをもらおうと、必死。次に来る桜の君でさえまだ与えられておらず、もしかしたらあの人にと梅壺も思っているはず。ええ、私だって負けていられるもんですか」

「お上は常に女御様を気にかけていらっしゃいます」

 宝来の白銀?

 確か、竹取物語に出てくる難題の一つの財宝だ。

(そりゃ、帝の居城だから、宝ぐらいはあるわよね。宝も山のように集まる都の中心だし、帝だし、あれで一応、日本で一番えらいんだから)

 それを欲しがってる?

 なんか、弘徽殿女御様ってこれまた、別の梅壺女御ほどではないけど、怖いものを感じるわ。

(帝と同じ、弘徽殿女御様も、一種独特の粘着質が感じられる。後宮にいると皆、こうなるのかしら?)|

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