第8話
「た、大変ですえ」
その時、急に白塗りで小太りの知らないおばちゃんが部屋に現れた。
後宮の女房は皆、白塗りの厚化粧している人が多いからこれが通常なのだろう。それに私は今日来たばかりだから、皆知らないおばちゃんばかりだ。
「何ですか?」
来てそうそう。あまりにいきなり、騒々しいのでなくて?おまけに暑苦しいし、そう、内裏は暑い。まあ、先ほど、私が勝手に内裏を走り回ったせいなんだけど、盆地の真ん中だし、正式の唐衣ってのはもう、いかにも暑い。
「そ、それが、右大臣様がこちらに来ると」
「えっ?」
私は扇いでいた扇を落した。
「そちが、大納言の娘、か」
「は・・・・」
入って早々、私は何やらわけの分からぬ状況に陥っている。
時の
「寵愛を受けた姉翠子殿の妹と言うが、姉の意向を嵩に着て、この後宮で権勢を振るおうとするのか」
お偉い御大臣様だ。言うこともどこかお偉い。おまけに、どこへ来てもふんぞり返っている。
「そのようなことはありません。私は書物が好きで、とくに常盤御前の書いた作品が好きで、ここに来たら彼女に会えるかもしれないと思って来ただけです」
「ほんとに、それだけか?本当に、ほんと?」
「はい」
「ぶ、ははは」
右大臣はさもおかしそうに私を見て笑う。あまりにゲラゲラ笑うものだから、むっとしたほどだ。
「そうか。そうなら、まあ、敵ではないのう。後宮の恋物語だの、冒険だの。なら、小説を好きに読めば良い。それだけのために来たのであれば、梅壺の敵になるようなことはせんだろ?」
「はい」
最後の目が本当に本当か?と、殺人的にきらーっと野蛮に光り、背筋に冷たいものを感じた。
けど、私はもちろん、政治的なものに関わる気もないし、寵愛も争う気もないから、はっきりと答えた。
「愉快。それなら、お主の好きにしたらいい。常盤御前の作品なら、こちらに作品の歌を呼んだ書が書かれている。何か参考になるか分からないが、お主に与えよう」
そう言って、右大臣は顔をほころばせてくすくすと、持っていた扇を私にくれた。
「ありがとうございます」
「右大臣様、そろそろ・・・ここは後宮ですので」
戸口から、高官の侍従が顔を出しおろおろしているところを見ると、やはりここは後宮。女御の親族とは言え、男が我が家のようにうろうろするところではないのだ。
「ただ、そうは言っても・・・帝は若いし、良い男ゆえ、若いそなたもついほだされて」
「ありません」
「それなら、良かったわ、ふっふ」
しっかりと念押ししていくことは忘れなかったが、私が強気で答えるとまた機嫌が良くなって、右大臣は帰っていった。
ちょっとお茶目なおじさんって感じ。
時と場が違っていれば、楽しく語らうことも出来そう。でも、右大臣は、帝の第一妃、梅壺女御の父であり、朝廷での第一位の座に就く高官。自分の娘が帝の寵愛を奪われないかと、様子を見に来たのだ。
「あー、心配した。いきなり右大臣が来るから、あなた、どうなることかと思ったわ」
隠れていた久理子が、屏風の裏から転がり出てきて、私の足元にくっついた。
「この内裏では右大臣に睨まれては生きていけないの。今は右大臣の権勢が大半を占めていて、左大臣側を駆逐する勢いなのよ。ちまたでは、最後の一手で、昔の東宮傅が王族に誤って弓矢をいかけたように、左大臣も最後の追い込みをかけようとしていると言われている。よくもまあ、あなた無事で生きて残れたわね」
「そうなの?でも、あんなおじさん、大したことではないわ」
「よくありませんよ。右大臣は陰謀家で有名なの。敵対する左大臣派の人らは左遷されたり、降格されたりしているのよ。気に入られなかったら、どこかに飛ばされるかしれないわよ」
「でも、扇をくれたわ。悪い人じゃない。少なくとも」
少なくとも、私には、まだ・・・
若竹物語の一シーンを書いたその扇を私は広げて、ため息をついた。
高貴な貴人のために作られた高級品の扇だ。右大臣ほどの家だ。都に専属の専門店があるのだろう。うちにも、一応、扇や着物を作る専門の店があるが、それよりもすごい逸品だ。綺麗。
白い和紙に水の流れ、松の葉、蓮の花が書かれている。
寄せ来る浪も 恋渡る 常盤草
つくからに 千歳の坂も 越えぬべらなり
若竹の君と天人の美女とが、長い旅路の果てに、蓬莱山で出会うシーンだ。
物語の中でも、いちばん心に残る名場面だ。
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