第7話
周りはうるさい。確かに明日の用意で忙しい。
あちこち移動できる機会だ。この機を活かさないなんてもったいない。
(よし、やろう。このあたりをまず調べて、後宮を調べて、常盤御前がどのあたりにいるのか探すの)
私はそう思うや早く外に出て、
履物を履いて、
「わ」
「わお」
私とその子は同時に声を上げた。
「ど、どうして、こんなところに、あなたは?」
「あー、ご、ごめんなさい、ここで、休憩していて」
その子は、簀子縁の高い縁の下から、ごほごほと喉を押さえて出て来た。
「まがりを食べていたので、むせた。久理子と言います。うるさい上官にさんざん、イジメられ・・いえ、仕事を押し付けられて困っていたから、ここで休憩していたのです。あなたも、何かあったでしょうね、分かります。昼からいたので」
「じゃあ、私が来た時からここに?」
「はい」
何時間もここにいたのか。
よっぽど上司が嫌だったのね・・・
「一応、私のほうが先輩ですし、何でも聞いてください」
久理子は唐衣の裾をぱんぱんとハタく。体も顔も蜘蛛の巣でゴミだらけだ。
「私は今日から来た椎子です。これ、どうぞ」
私は部屋にあった持参の竹の水筒を差した。
「ありがとう。宮中では水も貴重ですよ。あなたは賢い。これからは、飲み水も貴重になります」
「そう?分かったわ」
「悪口は気にしないほうが良いですよ。ここでは日常茶飯事ですから。失敗をしたら、上から追い落とされるから、皆、必死で、牽制し合ってるのです。いつか、自分の失敗を誰かになすりつけようと思って」
都の気温の高さのせいか、久理子は水筒を手離すことなく、また水をぐびぐびと飲む。
「上を目指さなければ、追い落とされる対象にはならないですよ。でも、あなたは帝の寵愛の桜の人の妹君ですね?それは皆からやっかまれても当然ですね」
桜の君ってのは、姉のこと。
帝が桜の下で出会った姉のことをそう呼ぶので、私達家族しか知らない名だと思ってた。
(それまで、後宮にダダ漏れだったのね。久理子殿みたいな下の者まで噂が広がっているっていうことは、そりゃ、皆が知ってて、険悪な目で見てくるわけね)
都では噂が一日千里を走るという。帝の密やかな想いと思っていたけど、あたり一帯、筒抜けとは、秘密も何もあったものじゃない。
「姉のことは誤解よ。姉は入内しようなんて思ってない。姉が入内を企んでいるとか、寵愛を得るために渋っているとか、それはデタラメよ。結婚なんてないかもしれないわ、姉は嫌がっているもの」
「そうなの?」
「そうよ。だから私がここに呼び出されて・・・私だって、なぜここに来たのか分からないもの。姉やうちの大納言家との、さまざまな見えない力によってとしか」
「なら、私と同じね。私は地方豪族の娘で、朝貢の証に私が差し出されたんです。年季が明けたら、里に帰って、結婚出来るって。それまでの辛抱」
「じゃあ、あなたも何かの代わりに?人質ってこと?」
「まあ、そういうものですね。ここって、皆事情はそれなりにありますが、まあ、皆、似たような者ですよ。いつか年季が明ける、それまでの辛抱って思ってるんじゃないですかね。私はそれまで、ここで都見物して、のらりくらりやろうと思ってるんで」
後宮はさまざまな者の寄せ集めで、任期が来たら終わり。
(そう考えたら、私も気が楽だ。久理子殿の言うとおり、好きにやればいい)
考え方もやろうとしていることも、私と似ているものがある久理子に私は馬が合うものを感じた。
「ねえ、久理子殿、夕闇の皇子ってのは、何者かしら?」
久理子は飲んでいた水筒をぼろっと落としかけ、目を剥いて驚いた。
「あの人とは何が?あの人は、内裏でも特別な方です。帝のご親族であらせられますし、帝の御寵愛を受けておられます。歌の才能、眉目秀麗、その人格から、内裏での注目を集め、後宮でも女たちが奪い合っているぐらいで、夕闇の綺羅の君と言われています。闇夜の中に輝く星のような方だから。皆の憧れの的なのです。それゆえに、近づけば、女たちのやっかみが来ます。心を奪われでもしたら、嫉妬に狂った女の餌食になりますよ。近づかないほうが良いですよ」
「ううん、そんなのじゃないの。ただ、あの人は思ったより、きさくな方だなあと」
なら、やっぱり近づかないほうがいいと私は思った。
悪い人ではないとは思うけど・・・
(好奇心で後宮に来ただけの私に、親切に情報を教えてくれた。あれは、気のてらいのない、単なる親切だった。そこらへんの道端で困っていた婆様を助けるような、気の良い若者のような親切心があるのだわ)
でもやはり無理そう。
「内裏のときめきたる者と言われる
「違うけど、分かったわ。そんなのじゃないの、ただ、特別そうな人だから聞いただけ。やっぱり特別な人だったのね。それなら近寄らないわ。ときめきの君に取り入って、人気者になりたいわけじゃないの。むしろ、大人しく読書したいほう。だから、私は大人しくしていることにする」
「それならいいですけど、十分、注意してくださいね。女たちの嫉妬も、男たちの嫉妬も怖いですよ。嫉妬で左遷された話は、内裏や後宮で何度も聞きますからね」
いざとなったら力強い味方にはなってくれそうだけど、反対に嫉妬勢力に恨まれるのね。
「ねえ久理子殿。この部屋、何か特別なことでもあるのかしら?」
「ここは淑景舎という後宮でも北側の対の屋です。本来なら妃の部屋だけど、あんまりいない今、部屋があまっていて、女官たちの部屋にもなっています。あなたが新人なのにあてがわれたのは、破格の扱いですね」
そう言えば、さっき、長池殿の金魚の取り
(そういう事情か)
「ねえ、久理子殿、常盤御前ってどこにいるか、知ってる?」
「常盤御前?あの人気女流作家ですか?確か、以前皇后様の教育係をやっていた人ですよね」
「どこにいるか、知っている?」
私は思わず、久理子の前に詰め寄った。
「いや、私もよくは知らないのですが、一節では、後宮の身分の高い妃の部屋にいるとも言いますね」
「どの妃の部屋?」
「噂ですが、後宮で身分が高い妃と言えば、一番トップが梅壺女御、その次が弘徽殿女御ですね」
「そこにいるの?」
「いえ、分かりません。私も下っ端で、来てまだ年数も経ってませんので。今まで、実際、見た事がありません」
「梅壺、弘徽殿、この二人は、後宮では、権力者よね?」
「はい。梅壺女御様は今の権力者右大臣様の娘、弘徽殿女御様は左大臣派です。右大臣様は陰謀を巡らす方ですので、左大臣はひどく嫌悪していて、朝廷では牽制し合っています」
久理子は何やら考えを巡らした後、私に教えてくれた。
「もしも、常盤御前が女御様方のおそばに隠れているなら、あなたはあまり近づかないほうが良いですよ。右大臣派と左大臣派の争いに巻き込まれてしまいますから」
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