第6話

「あ、いたいた。どこに行ってたのじゃ?大納言の娘殿」 

 後宮の女たちが一斉に出入りする御所の通用門の前には女官姿も板についた年季の入ってそうな女性が、部下らしき女を三人連れて立っていた。

「私は長池菜摘子じゃ。この女官房のあたり一帯を取り仕切る女官頭である。何でも分からないことは私に聞くが良い」

「はい、お初にお目にかかります。藤原貞見の五女、椎子と申します」

よろしくお願いします」

「ふむ、行儀の良い。さすが、大納言殿の娘ごじゃな。まず、こちらへついて来られよ。簡単にこの私が案内してやろう」

「はい」

「まずは簡単に説明をしておこう」

 年配の、しっかりした女性っぽい。

 色襲の綺麗な単を来て、手には尺を持ち、髪は長く、顎をあげて上から私を見下ろす目つきが、重厚というか、偉そう。

 背後に手下も、じろっとする嫌な感じの目つきをしている。

「この奥には七殿五舎の殿舎があって、現在の帝の妃は三人おり、側室となられる方々はさらに多数。御子様方も共に住んでおられる」

 私は思わず、簀子縁から転がり落ちそうになり、長池殿の部下に支えられた。

「どうしたのじゃ。この簀子縁から落ちたら、怪我だけでは済まぬぞ」

「は、はい。すいません」

「ご健康と聞いたが、急に立ち眩みでもするのなら、健康体とは言えぬな」

(いや、驚くって、これが驚かずにいれるの?多少いるとは知っていたけど、姉にあれだけ言い寄って、まさか子供まで・・・!)

 帝のことをよく知らねばと思って来たけど、もう大方事情が知れたと思う。

「あの、帝ってそれだけお妃様がおられましたのですか?」

「他にも妃とも呼ばれない、その他大勢の妻などもっといる それは当然じゃ。帝は帝なのだから」

 !!!絶句。帝って、節操がない。あれだけ一途なふりして姉に言い寄って・・・まだいるっての?

 再び、私はくらあっとして、欄干の木枠にくらんで握り締めた。

「椎子殿、大丈夫ですか?」

「やはり、立ち眩みのケがあるようですな」

 部下たちと長池殿のうろんな目つき。その目、嫌だわ、とても。

「妃の中で、まず、もっとも高い位にいるのが、帝の正室、梅壺女御じゃ。次には位が下がるけど、弘徽殿女御。他にも女御と呼ばれる高貴な后妃がいたのだけど、病気とかお産とかで、若いうちにお亡くなりになられ、今はおらぬ」

 長池殿は構わず続ける。

「じゃから、朝廷では帝の女御をもっと増やそうとしていて、あちこちからまた入れようとなさっているが、帝が相手を渋っておられる」

 女官たちの恨めしそうな目が、一斉に私に向く。

(つうことは、姉を・・・・?)

 あんの、気の強い姉の件はやはり、重要な件らしい。

 改めて、やはり私は大変な位置にいると、思い直した。


 

「椎子殿は、政府高官の娘だし、大納言の一族の者として、右大臣家の娘の梅壺女御たちの仕えるのが、系統として合致する。もしくは、いずれ高貴な方が正室になられるのであれば、その方に仕えれば良かろう」

 何だかふくみをたっぷりと残している長池殿に、私は背筋がぞわっと逆立った。

「けれど、今だ皇后の座は空席、だから、そちは、梅壺女御様が配属先じゃ。弘徽殿様は、さらに気難しい方じゃから、主には厳しかろう。まずはひと通り、後宮の仕事を憶えてからにしてもらおう。失態があっては、女房に推薦した私の責任にもなるのでな」

 私は必死でよろめきそうになるのを、欄干の手すりを持ってふんじばった。

(梅壺女御は権勢家の右大臣の姫で、後宮を牛耳っている妃だ)

 妃のトップが、帝がぞっこん惚れているという姉(もはや、本当かどうか疑わしくなって来た)の妹を心良く出迎えるだろうか?

 元皇后様、つまり帝の正室が若くしてお亡くなりになったのは、彼女の嫌がらせがあったからとも噂も。

「え・・・あの、私の配属先、もう決まっているのですか?他にはないのですか?」

「なぜじゃ?せっかく私が、私の主でもある妃、後宮でトップの女御、梅壺の女御の部屋に入れてやろうとしているのに」

「い、いえ、そのような」

 長池殿は少々変わった人なのか、ぐいぐいと顔を突き出されて、圧が凄く、私は思わず欄干越しに腰が反り返った。

「そうだろう?いやしかし、梅壺女御様も気難しいお方。まずはお前が、気に入られるかどうかじゃ。梅壺女御が不要と思われたら、私がいくら推薦したところで、お部屋付きになることも、御前に上がることも叶わぬ。せいぜい失態をせぬよう、注意してしばらく後宮勤めをするが良い」

 びしっと指先で鼻をさされて、私はまた違う寒気が全身に走った。

 な・・・なんだか、さっきから、気になっていたけど、この長池殿という人もつんけんしているなあ。

「ですが、本人に希望と言うのは聞かないのでしょうか?もしも、その人が違う妃のところへ行きたい、例えば、校書殿で書物を扱う仕事がしたいと言ったら、その場合はどうするのです?」

「は?何?ナニ、じゃと?」

 長池殿の目つきがまた急に変化して、ぎっと鋭くなり、私はぎくっとした。

「政府高官でさえ希望の通らぬ内裏を、いち女官が希望を出したから、通ると思っておるのか?」

「い、いえ、えー、あの、何となく、聞いただけですので」

「そうであろう?うむ。ではまず、お前の部屋に案内しよう。ついて参れ」

 私はほっと胸を撫で下ろした。

 つんと顔を上げてプライド高く歩く長池殿のあとを、私はおどおどと周りを見ながら歩いていった。

(ふああえん、この後宮、デンジャラス(怖い人ら多い)後宮って)

 不安な気持ちを押し殺して、大きな殿閣をいくつも越えて、内裏の中でも端っこに辿り着いた。

「ここの部屋がおぬしの部屋じゃ。今日からお前はここで寝起きし、仕事にはげめ」

「は・・・」


(何か、ここ、妙にしんとしているわ)

 返って、新入りには気持ちが休まるようだけど・・・

 なぜだか、背後の部下がきっと思いっきり私を睨んだ。

「はひ」

 その剣幕に押されて、私の口がうまく閉まらなかった。

「とりあえず、今日明日は忙しい。帝の催す管弦楽の夜会があるのじゃ。用意に、女御様方も、大忙し。宴会の用意をする女官たちも夜を徹して働いておる」

 そう言えば、先ほどから、ばたばたと後宮の女達が走っている。

「おぬしの相手も出来ぬ。後日の片付けも含めて、出来る限り、出来ることでいい、その場の手伝いをせよ」

「はひ。ありがとうございます」

「フン、二度と我がままを言うでないぞ、大納言の娘とて、後宮では一家臣に過ぎぬ。ぬしが失態を犯したら、推薦した私の落ち度になる。その時は、己で責任を取ってもらうからな」

「は、はび」

 ようやく、まともな返事が出来た。

 どうやら機嫌を悪くした長池殿は、ふっとそっぽを向いて長い廊下を歩いて行ってしまった。

「長池殿、なぜ新参者に部屋が与えらえるのですか」

「そうよ、長年働いている私らだって、いきなり部屋はなかったのに」

「これ、静かに。上からの指示なのじゃ。言うでない」

 とたん、長池殿の後から金魚のフンのようについていく手下連中が、騒がしく、こちらを見ながら聞こえるように言っている。

(な、何?この部屋でも問題あるの?)

 長屋で、仕切りもほぼない。単なる部屋だけど・・あの人らには与えられなかったのかしら?

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