第5話

  私の目の前には、きらびやかな朱塗りの豪華な宮廷の門がある。

(ここが数々の妃たちがいるところ)

 椎子様、この西松、もうお仕えできません。おひとりでも、立派にやり遂げるのですよ・・・

 西松も涙の見送り。もう世話が出来ない、私は何でも一人でやるのが不憫だと、憐れがったけど、そんなに泣かれたら、逆に不安になるよ。

 椎子、すまんなあ、あのくそ帝が。

 父母もおいおいと泣いて、正門で泣き崩れた。

「ここが常盤御前がいる・・・・場所」 

 私は常盤御前の物語を知った時から、文(ファンレター)を送り続けている。

(さまざまな妃が華やかに生き、知恵と才能がある女房たちが活躍する、ときめきたる者たちが集う秘所)

 私の師匠、常盤御前も、ここに・・・

(師匠、来ました。私、来ましたよ。一の弟子が、あなたの一の弟子がここに)

「ふあぁ、相当にでかいのね、内裏って」

 中に入ると、朱で塗られた柱の建物が整備された区画に整然とずっと続いている。 

 塀もずーっと続いて見えないくらいまで伸びている。その向こうにも同じ塀が続いている。別の殿閣がある区画だ。

 屋根は空にそびえ立つ立派なものばかり。

 建物を囲むのは瓦を載せた白塗りの塀ばかり。

 それがいちいちでかい。

(凄いわね、内裏って)

 横を見てもそう、前を向いてもそう。

 内裏は果てしなく続く楼閣の町だ。

 椎子。

 ごめんなさいね・・・

 推子姉上はしんみりと、私を見送ってくれた。

(姉は悪い人ではないし、帝も好人物なら、二人は結婚したほうがいいかもしれない。けど、帝の人選も見極めないと。それはこれから、帝のそばに行く私が役割を担うのか)

 いったん考えたけど、思い切り帝のことは振り払った。

(心配全然なし。大丈夫。ここで、師匠を探そう。絶対)

 まあ、姉のあの態度なら、可能性のほとんどない帝のほうは、適当、適当。

 会って、弟子にしてくださいって言うの。いえ、新作を読ませてください。いえ、サインを下さい。えーと、えと、それから、愛してます?違うなあ。

(ああ、頭の中は常盤御前と出会う想像ばかり・・・もはや帝の人柄だの、身代わりだの、どうでも良くなったわ) 

 私は全てが見るも目に眩しい。少々怖い感じもしながら、観光気分でほうううっとなりながら、奥へと歩いた。

 内裏の奥が本拠地であり、そこに帝がおわす居城があるのだ。当然、帝の妃たちがいる殿舎も帝の御座所と共にある。

 どこにいるかしら?

 戸の裏?妃たちの部屋?それとも、帝がいる御座所の中?どこでもいい。調べまくろう。心から尊敬し、敬愛してやまない常盤御前。

 私はもう急にテンションが上がっていてもたってもいられなくなった。

 気づいたら、私は荷物を胸に抱えたまま、走り出していた。ずっと会いたかった人だ。知りたがりがこれを知りたがらないで、何を知るというの。知りたがりの血が騒ぐ。

「ちょっと、あんたあ、どこへ行くの?」

 という声が聞こえたけど、私の耳には入らなかった。







 内裏はどかな日差しに満ちていた。

 建物の間の通路に、官吏や采女などが大勢が行き交って、私はどきどき。

 白壁の外郭からは優雅な建物と共に、形や色が良い植木が見える。

 内裏を仕切る門には衛士の恰好をしたいかつい者たちがいて入れなかった。なので、門に衛士がいないところに気づいて、私はとある建物の中に入った。

 中はあちこちに四季に咲く木々や草花が植えられていて、赤い丹塗りの柱や鉛色に輝く瓦の輝きがあちこち見え、和琴と笛の響き、楽し気な笑い声が聞こえる。

 建物の中を覗いてみると、寝殿造りの大きな建物の簀子縁に男と女がいる。

「さすが内裏の中は違う、わっ」

 中の声のするほうへ近づいていくと、砂利石の道が水を蒔いたのか濡れていて、私は私は足元を滑らせてしまった。

 くすくす・・・

 まあ、なんてこと・・・

 見上げると、お引きずりの長い髪を垂らし、綺麗に着飾った女たちが、高欄から私を見下ろしていた。

「まあ、豪快に転び張って。どうします、夕闇の君?」

「皆、下がりなさい」

 簀子縁の上で唐衣の高級な女官と舞や琴を堪能していた男が、一言で女たちを一斉に下がらせる。

 すごい所に来てしまったかも。今確か、夕闇の君って呼んでいた?

「なんだ?何用で来た?」

 男性は、見ただけでも分かる。内裏でも特別な人だ。

 上質の黒い衣袍を着て、石帯など、身に着けるものは全部高級品。鋭く研ぎ澄んだ刀のような、切れ長の幅広い目。あれだけの女を周りに侍らせてもおかしくないと思える魅力がある。

「ええと、今日初めて出仕しました、新参者です」

「今日、来た女官なら、大納言、藤原貞見殿のご息女か?」

「はい」

 私が驚いたことを男はくすっと笑って、酒を飲む。

「なに、私は朝廷でも高官で、大納言殿とも付き合いがある。この度、帝のご執着遊ばす女子の妹君が後宮に入るというのを聞いて、興味を持っていた。都でも評判の美しい女性とどれだけ似ているのだろうとな」

(この人が夕闇の皇子・・・?今をときめく公達の一人?)

 帝の親族で、権力者の者たちも一目置く人だ。その人気と権力は、時の権力者右大臣よりも勝ると言われる。

  しかし、本人は同族の王位争いを避けるため、朝廷から距離を置いていて、遊びに嵩じていると言う。だから、今日もこのような宴会をしているのか。

「何用で来たかとは、ここになぜいる?と聞いたのではない。この内裏に、何をしに来た?と聞いたのだ。このような場に何気なく出てくる怖れ知らずは、今日来るらしい大納言家の姫君でしかあるまい」

 内裏で夕闇の君みたいな人に恋文貰ったらどうする?なんて、西松とよく話していたものだ。なのに・・・確かに類をみないほどの男前だ。

「私は、読書しに、来ました」

「読書?」

「はい。内裏には珍しい書物がいっぱいあると聞いたので。あ、それから常盤御前にも会いたくて来ました」

「常盤?ああ、あの女流作家か」

「はい」

「なんだ、おぬしも流行の恋物語とか、有り得ない異聞奇譚ばかり好むのか」

「殿下、恋物語と言いましても、十重二十重に重なりゆく重厚さは一見の価値があり、また異聞奇譚は、この世でも稀有な博識の知見が得られるものでございますよ」

「ぶ、おい、殿下は止めてくれ。私はもう臣籍降下した身だ」

「は」

「少々変わった人だね、君は」

 時々、西松にも言われる。姫様は変わった人ですって。確かに、物語世界に思考が傾いているかも。だから、こんな状況でも逆に、頭脳が冴えて来る。逆に言うと、普通の出来事のほうが不得手かもしれない。

 夕闇の皇子は笑いながら酒を飲む。そして、おもむろに私に向かって、綺麗な声音で語りかける。

「その昔、陰謀に巻き込まれた男がいて、反逆者となった男は、己の求めた夢である天女を求めて、異国に渡り、天女に出会った。常盤御前の想い人はその男であり、常盤御前もその男を追って、唐国へと渡ったという」

「それって・・・若竹物語の若竹の君みたい」

「常盤御前も陰謀に関わっていたとか。ゆえに、陰謀が発覚した時に、因縁があり、この内裏から去ったのだ」

「そんな、あれは本当のことなの?・・・じゃあ、もうここにはいないの?」

 あの物語が本当にあったなんて・・・。

 でも、それは思わなかったことではない。後宮で書かれた物語や草紙は、現実を下敷きにしていることが多い。それは物語を読んで来たから知っている。


「違う。師匠は私に手紙をくれたもん」

「それはいつのことだ?」

「5年ぐらい前かしら」

「じゃあ、私の思い違いということか」

「そう、絶対にそうよ」

「私の思い違いなら良いが、私の言うことを信じないか?」

「そう言うわけじゃあないですが、陰謀から逃れて異国へ移るとか、反逆の汚名を着せられて逃げるとか、どちらも常盤御前らしくないです。内裏の陰謀ばかり書いて、陰謀の世界を彼女こそ熟知した人はいない。きっと、今でも陰謀があるところで、物語を書いているはずです」 

「面白い子だな、お前は」

「ありがとうございます」

「なぜだ?」

「親切に教えてくれているのでしょ。新入りの私のために」

「おぬしのように、私をうっとりと、羨望の眼差しで見ない者は、なかなか、珍しい」

 男は一崑酒を飲んでから、土器を置いて私を見た。私も彼を見た。なんとも驚いたが、お互いの気ごころが知れるような感じがした。

 身近にこれほど短い期間で、友達、共存の存在同士、そのように思える間柄が出来るなんてのは知らなかった。そう、互いに気づいて驚いていた。

(都一の評判の男と、私が?)

 一瞬だったけど、初めて出会った人だったけど、友情が生まれるなんて知らなかった。

 向こうも戸惑っている。私みたいな小娘に、気心を通じてしまったなんてね。

 夕闇の皇子は私を見て、くすくすと笑った。相手のほうは百戦錬磨の色男だ。落ち着いている。

「な、何でしょう?」

 夕闇の君はにまにまとし、私を潤んだ目線で見る。

「いや、何、君のことを気に入ったよ。知りたがりの椎子が、これほど個性がある女子だとは思わなかったのでね」

「な、なにですか、私に興味を持たないでくださいね、私は・・・若竹の君のような人が理想なのですから」

「ふふ、私はこれでも内裏のときめきの君の筆頭。お前はこのようにきらめく私のような公達を見て、何も思わぬのか」

「なんとも・・・ええ」

 そりゃあ、きらめいているけど、物語世界ってのはもっと超現実的な美男子が出て来るもの。私ってたくさん本を読んで、ある種、美男子馴れしてるのよね。なんて、夕闇の君を前にして言えないけど。

 それに、私の心は若竹の君ひとつ(オンリー)だもん。

「何てことだ、すげなく振られてしまうとは、この私が」

 男はまたそれで、派手に声を上げて笑い出した。くくっと腹を抱えて。あんまり長いこと笑っているので、私が恥ずかしくなった。

「気に入った。椎子殿、おぬしの言うように、もしもあの者がいるなら、目的を果たせるよう、私も尽力しよう。もしも、困ったことがあったら、いつでも私に言って来るが良い」

 驚いた私に、夕闇の君は盃を掲げながら付け加えた。

「内裏では陰謀は日常茶飯事。お前も、お前の師匠も陰謀に巻き込まれないよう注意せよ。内裏の権力者は、あちらについたり、こちらについたり、人と同じ、定まりにくいものゆえ」

 有難い。望んでも手に入れられるものじゃない。これは私は感謝すべきだ。

(けど、あまりうれしくないなあ)

 女性の黄色い声も聞こえるが、反対に、悪い評判も多い人だ。どこかの未亡人を捨てた挙句、死なせただの。若い女に次々手を出しては、すぐに飽きてしまうとか。

 人にはない輝きを放って、得体の知れない大きさを持って、夕闇の君と言われる名もさもありなんだけど、でも、それだけ大きい、得体の知れない人だ。

 頼りない者は、近づいたら飲み込まれて、身も心も奪われそうだ。

「ねえ、夕闇はん。もうそろそろ、いいでしょう」

 そのうちに、女の人が来て、夕闇の君にしだれかかった。

「まあ、そないに見てはって、何をもの想いに沈んでおりますの?」

「なあに、私がいつどこで物思いに沈んだ?私が物思いに沈むことなどないだろ」

 今でも、女の人がたくさん、寄りかかって。

 女たちも、こんな大勢の女たちがいても、平気なのだろうか。

(あんな人に憑りつかれたら、むしろ危険そう)

「じゃあ、私はこれで」

「また、来なさい」

「これで失礼します」

 女の人のあごとこちょこちょする所から目を反らして、私は背を向けた。

 色濃い誘惑の力(オーラ)が広がって、今、気づいたけど、強烈な刺激がある。魔力みたい。目のやり場にも困る。

 これからどうしよう?だけど、まだ後宮の中にも入ってない。だから、入ってからまた決めることにしよう。そう決めて、私はまた歩きだした。

(それにしても、常盤御前は、内裏の陰謀によって身を隠した?いったいなぜ?師匠に何があったのかしら?)

 内裏の内部に及ぶ陰謀のこととなると、私には難しいかもしれない。いずれ、助っ人が必要人になって来るだろう。それを考えて、父上にもう一度相談しなければいけないかなあ?と思った。

 でも、何のためだ?と聞かれて、姉上のためでもない、帝のためでもない、常盤御膳を探すためだと言ったら、父上は聞いてくれるかしら。

(有難い話だけど、夕闇の皇子に頼るわけにはいかないなあ)

 あの夕闇の君に、私はびったり頼ることはしないつもりだ。

 だって、数々の女を泣かせた男なんて、なんとなく、嫌煙したくなるじゃない?

 執着帝でも、何年でも追いかけてきて、挙句の果て、私はこんなところにいるんだから。

 美も力も備えた本物って、怖いものって言うのを、知ってるんだよね。

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