第2話

 あの日から僕と幽霊、梨々香の日常が幕を開けた。とは言っても特別なことは何一つ起ってはいない。ただ出会った時のように屋上に集まって駄弁る。僕たちの関係はそれ以上でも以下でもなかった。


 教室に行ってもつまらないだけ。いくら人の形をした人ではない存在だとしても僕と何気なく話してくれるならそっちの方が心地がいい、というのは本音だった。


 秘密の密会。ここは誰も知らない僕だけのユートピアだ。


 彼女と過ごして約一週間が経つ。その間に彼女のことを色々と知ることができたと思う。

 十七歳の同い年であること。クラスメイト及び教師からのいじめにより自殺したこと。叶えたい願いという名の未練があるから未だに成仏できていないこと。その願いというものが何かまでは教えてもらえなかったが、確実に彼女のことを僕は知り始めていた。


「キミは何が好きなの」

「何が、って抽象的だな。何についての問いだよ」


 彼女と話しているうちに鎧として持っていた敬語はやめることにした。相手は幽霊だし、僕以外に見えないのなら少し乱暴な話し方でも問題ないと思ったからだ。


「んー。なんでもいいんだけど、そうだねぇ……」


 彼女は人差し指を唇に当てて軽く唸っていた。その姿がかわいく見えてしまうのは元々の容姿が整っているからだろう。あざといとは思うが様になっている。


「好きな小説、とかどう? キミ、読書好きそうだし」

「小説? ジャンルは?」

「ジャンルって言われてもパッと出てこないんだけど……」

「そっちは本読まなさそうだもんな」

「その言い方は酷いなぁ。私これでも読書は好きなんだけど」

「嘘だろ絶対」

「ホントだってば。それくらいは信じてよー」


 言われ慣れているのか僕の否定を彼女はケラケラと笑って受け流す。しかし信じられないのは彼女と接してきての感想なのだから仕方ないと思う。


「本が好きなのはホントだよ。家にたくさんあったから」

「親が読むの?」

「親ってよりは兄妹が読んでたから私も読んでたんだよね。って言っても、今は会えないんだけど」


 苦笑いを向ける彼女を見るのは初めてだった。


「例えばどんな本を読んでたんだ?」

「んー、そうだね。一番好きなのは有川浩先生の『図書館戦争』シリーズかな」

「……なんか意外」


 そう口にはしたものの納得できる部分もあった。恋愛要素あるし、主人公は女だけど強いし。なんとなく彼女はそんな小説が好きだろうと思っていた。

 とはいえやはり読書をしているイメージは一切ないから長編作品のタイトルが彼女の口から出てくるのは意外ではある。人は見かけによらないとは彼女のことを差すのだろう。


「ていうかキミに質問してるんだよ? ちゃんと答えなよ」


 その質問に僕は頭を悩ませた。

 小説は色々読んできた。だけど特別好きって作品があるわけではない。とりあえずと思って一番最近買って読んだ小説の名前をあげることにした。


「東野圭吾の『真夏の方程式』かな」

「東野圭吾かー。名前は知ってるけど読んだことないなー」

「そうなんだ」

「けどドラマは少しだけ見たことあるよ」

「え? ドラマなんてやってたか?」

「え?」


 僕の言葉に彼女は首を傾げる。僕もつられて首を捻った。

 変なことは言っていないはずだ。そう思ってスマホを取り出しネット検索をする。作者、作品名に加えて「ドラマ」という検索ワードを追加して検索してみるが引っかかるような記事は何もなかった。その画面をそのまま彼女に見せるも不思議そうな表情は変わることはない。


「小学生の頃に見たと思ってたんだけどなー……」

「別の作品と勘違いしてるんだろ」


 彼女は「まあいいか」なんて呟いてカバンの中身をガサガサと漁った。

 幽霊とは言っても物に触れられると知ったのは出会って次の日のことだった。だからこそ彼女を人間だとばかり思い込んでいた。

 幽霊が見えない人たちにはいわゆるポルターガイスト現象的な感じで見えているのだろうか、なんてどうでもいいことを考える。


「それじゃあ、今日も描かせてね」

「はいはい。お手柔らかに頼むよ」


 彼女は取り出したノートとペンを見て彼女から三歩ほど下がった位置に座る。両方を構えた彼女はスラスラとペンを走らせた。

 彼女がスケッチをすることが趣味だと知ったのはつい昨日のことだった。僕が登校した頃には既に景色をスケッチしていてその姿を見つけたのが事の発端。漫画家になりたくて絵を練習していた時期があったそうで、挫折はしたものの絵を描くこと自体は好きで続けていると言っていた。


『ねえキミのことを描かせてよ』


 彼女は僕にそう言った。最初はもちろん断った。めんどくさそうだし、景色でも続けて描けばいいと思った。

 「いいじゃん」と彼女は笑って僕を目の前に座らせた。僕の意見に聞く耳は持ってくれないらしい。結局僕がスマホをいじっていても動いてもいいからと説得され渋々了承した。


 スマホから視線を外してチラッと彼女に向ける。真剣に、だけど楽しそうにペンを走らせていた。

 何が楽しいんだか。そんなことを思うが、表情を見てしまったら断れなくなっていた。


 三十分ほど時間が経って、太陽が傾き日差しが僕の目にかかった。眩しくて手で日差しを遮る。

 刹那、ページをめくる音が聞こえた。彼女は変わらずスラスラとペンを走らせている。


「なあ、暑いから移動していいか?」

「ダメ。動かないで」


 動いてもいいって言ったくせに。

 そんなことを言ったら怒りそうだから僕は何も言わずに彼女がスケッチし終わるのを待つことしかできなかった。

 数十分耐えていれば彼女はノートをぱたりと閉じた。僕はその行動を見て日陰に移動した。かいた汗が頬を伝い落ちた。


「暑そうだね。タオル使う?」

「誰のせいだと思ってるんだ。いらねえ」


 わざとらしい対応に苛立つ。彼女の隣に座りペットボトルのキャップを開いて喉を潤した。


「んで? どんな感じになったんだよ」

「んー? 何がー?」

「何がって、絵だよ絵。僕のこと描いてたんだろ?」

「それはそうなんだけどねぇー」


 彼女は中々見せようとしない。それに少しばかり違和感を覚えていた。


「なんだよ。描いたら見せるって約束だったじゃないか」

「ちょっと気が変わった。納得できてないからまだ見せられない」

「それ、いつになったら納得できるようになるんだよ……」


 この手の話だと永遠に納得できないまま終わりそうな気がしてならない。

 しかしそれを察したのだろう彼女は「こうしようか」と提案をした。


「キミも描いてよ。私のこと」

「は?」

「描いてくれるなら今すぐに見せてあげる」

「いや待て待て。絵なんか描けねえよ。画力ないし無理だって」


 毎年美術の成績二のやつにスケッチって無謀にもほどがある。


「いいじゃんいいじゃん。どうせこんな機会でもないと描くことないんだし。ほら、試しに描いてみなって!」


 彼女はノートとペンを僕に差し出した。その目はキラキラと期待に満ちたものでものすごく断りにくい。僕はそれを渋々受け取る。


「……下手でも笑うなよ」

「うん。もちろん」


 僕はペンを構えて彼女を見る。彼女は壁に背中を預けて口角を上げていた。ノートと交互に見ながらスケッチを進めていく。

 絵心皆無だから上手く描けるわけもなくノートに並ぶのは人かどうかも怪しい何か。今すぐにでも破り捨ててしまいたいくらいだ。

 だけど彼女が見ている手前そんなことできなくて……いや、でもこれを見せるのは気が引けてしまう。

 なんで僕は絵が上手い人の絵を描いているんだろう。


「……できたよ」

「お、早いね。見せて見せて」


 約二十分。僕が持ち合わせているすべての画力を持って完成させた一枚の絵。彼女のことを描いたつもりだが彼女にはどう映るだろうか。


「……ぷっ、あっはっはっ!」


 ノートを見せた瞬間僕の耳に届いたのは笑い声だった。過去一大きな声で僕は怒りを隠せない。


「これが、私って……!」

「だから言っただろ! 絵は描けないって!」

「けどここまでだとは……あははっ! 待って、お腹痛い!」


 熱が集まるのを感じる。きっと僕の顔は耳まで真っ赤だろう。これだから描きたくなかったのに。


「笑わないって言ったくせに」

「あははっ。ごめんごめん。本当に絵、描けないんだね」

「最初からそう言ってるじゃないか。もう返してくれ。処分するから」

「んー、それはだーめ」


 彼女はノートを閉じて胸の前で抱きかかえる。

 不意に見たこともない笑みを見せるもんだから僕の心臓がどきりと音をたてた。


「一生懸命私のことを描いてくれたんだもん。捨てないし捨てさせないよ」

「けど……」

「味が出てていいと思うよ。私は好きだなーキミの絵」


 お世辞だとはわかっていた。それでも褒められて悪い気はしない。


「ていうか早くキミの絵を見せてくれよ。僕は見せただろ」

「いやぁ、あそこまで酷いとは思ってなかったからお預けかなー」

「は⁉ 待てよそれはないだろ!」

「見せるとしても手直ししてからだなー」

「……完全にやり損じゃん」

「知らなかった? 女の子はズルい生き物なんだよ?」


 そう言った彼女は確かにズルい笑顔を向けていた。

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