出会い、かさね、消えて
三五月悠希
第1話
どうしてそういう結論に至ったのかはきっと口に出す必要もないくらい簡単なことだった。
朝通学路にある家電量販店の前を通れば今日は今年一の真夏日だとニュースキャスターが言っていた。照りつける太陽は言われてみれば確かに昨日よりも攻撃的に思えた。同じ通学路を歩く同じ制服たちは暑いと口を零す。照り返しの強く熱されやすいアスファルトは僕の体内の水分を少しずつ外へと放出していく。段々と乾いてねちゃりと音を立てる口内が気持ち悪かった。ただ歩いているだけで水分を取らないといけなくなるだなんて人間というのは本当に不便だ。
校門をくぐって僕は中庭に向かった。中庭にしか自販機が置いていないことがこの高校に入学しての一番の謎だったが今はどうでもいい。
硬貨を二枚入れて受け取り口から取り出したのはどこにでも売っている炭酸飲料。プルタブを開いて勢いよく呷るが強炭酸はその邪魔をする。咳き込み口回りについてしまった水滴を汗と一緒に拭う。
本来はのどを潤すために飲むものではないけれど、今日くらいはそれがよかった。
飲み干した缶をゴミ箱へ捨て、その足で僕は目的の場所へと向かった。中央階段をゆっくりと上がっていく。五階建ての階段を休むことなく上るのは帰宅部でろくな運動をしていない僕にとってはそこそこ苦痛で、階段を上り切る頃には肩が上下に揺れていた。
屋上は基本的に施錠されている。生徒の立ち入りは原則禁止。噂では過去に飛び降り自殺をした生徒がいたらしく閉鎖されることになったという。
しかしそんな事実はどこにもない。根も葉もないどこから湧いたのかもわからない噂で、屋上へ行くことを制限するためにそれっぽいことを並べられた言い訳だけだろうと思っていた。
何もない場所にわざわざ訪れるもの好きはほとんどいない。立ち入りを禁止しているから教師たちも訪れる理由はない。言い換えればそこは学校で唯一誰にも邪魔されない場所だった。
昨日のうちに教師たちの目を盗んで手に入れた鍵を鍵穴に刺す。ガチャリと音が鳴って簡単に扉は開いた。
貯水タンクと落下防止の柵。目に入ったのはそれだけ。見渡してみても他に何もない。僕は屋上の扉に鍵をかけ柵に近づいて下を覗き込む。五階建てということもあって十分な高さがあった。これなら問題ない。
天を見上げれば暑すぎる太陽が僕のことを照らしていた。
暑いのは好きじゃない。
だけど今日はいい日だと思った。
「おーい。なにしてんのー?」
声がした。振り返れば屋上の出入り口の上のスペースに女生徒がいることに気がついた。
屋上にいるのは僕一人だけだと思っていたがそれは見当違いだったらしい。
流れる茶髪は先端にいくにつれてうねっていて耳たぶと軟骨には派手なピアスがついている。にこにこと笑顔を向ける彼女を僕はただ見つめていた。
第一印象はまごうことなくギャル。僕が苦手なタイプの人種だ。
「貴方に関係ありますか?」
「関係ないけど?」
当たり前のようにそう返される。
「私の質問には答えてくれないの?」
彼女はイタズラに笑っていた。僕が何をしようとしていたのか見透かされている気がした。まあ、普通なら入れない屋上にいる時点で選択肢はそれほど多くはないのだが。何とも言えない気持ちになって僕はため息を吐く。
「死ぬにはいい日だったので」
そう呟けば彼女はふーんと興味なさそうな相槌を打った。聞いておきながら酷い話だ。
「キミは死にたくてここに来たの?」
「そうですね」
「そう。なら話は変わっちゃうなぁ」
僕の返答を聞いて、めんどくさそうな顔をした。意味がわからなくて首を傾げる。
「キミが今ここで死んじゃったら私が取り調べ受けることになるじゃん。正直そんなことで時間を取られたくないし、何より私が殺したみたいに思われるのは嫌だもん。死ぬなら別の場所にしてくれない?」
なるほどその意見は一理あるかもしれない。確かに僕が彼女と同じ立場なら同じことを思っただろう。いくら知らない人間でも目の前で死なれたらいい気はしない。僕は柵にもたれるように座り込む。
震える足はチキンの証拠だった。
「ありゃ、意外と素直なんだね」
「貴方の意見もわかりますから」
「死にたいなら強行すると思ってた」
「別に。今である必要もないので」
「そっかぁー。けどそこ校舎から見えちゃうから教師にバレちゃうよ? バレたくないんならこっち来なよ」
柵から先を見下ろせば校舎の窓が見えた。立ち入り禁止だと言われているのにここに来たことがバレれば怒られるだろう。それは面倒で大人しく彼女の言葉に従う。
「そこ、どうやって登ったんですか」
「えー? もしかして私の隣に来る気?」
「『バレたくないならこっちに来なよ』と言ったのは貴方でしょう?」
「別にいいけどさー」
彼女は右手の親指以外を全て曲げて自身の後方を指差す。壁伝いに進めば鉄でできた梯子が目に入る。壁に固定されて上れるようになっていた。
確かタラップとか言ったっけ。
どこかで知った名称を思い出しながら一段ずつゆっくり上がれば彼女は太陽の陰になる位置で胡坐をかいていた。僕に視線を映し口角を上げる。
「本当に来たんだ」
「来ますよそりゃあ」
上り切り立ち上がれば自然と彼女を見下ろす形になった。目にかかる太陽の光がいつも以上に眩しい気がした。
「私自殺志願者と一緒にいる趣味はないんだけど?」
「知らないし、嫌ならここから出て行けばいいじゃないですか」
「先にいたのは私。出て行くならキミだよ」
実に不毛な争いだ。
ふと彼女の隣に目を向ければカバンが置かれていた。どうやら彼女も僕と同じように来て早々屋上に直行したらしい。
屋上の鍵が二本あるなんて知らなかった。
「……サボりなんて感心しないですね」
「どの口が言ってるんだか。それはお互い様でしょ?」
「教室は、居心地が悪いもので」
「それについては同感ね。学校なんてつまらない場所にどうして行かなきゃいけないのかな~」
そう言って彼女は仰向けに寝そべった。それなりに発達している山に目がいってバレないように視線を外す。太陽が眩しくて助かった。
「……ネクタイの色、青ってことは二年だよね」
「そうですね。貴方もそうなのでしょう?」
「うん。二年。だから敬語はいらない」
「僕はこれがスタンダードなんですけど」
「堅苦しすぎて笑っちゃうね。同級生にもその口調なら仲良くなりにくいし死にたくなるくらい追い詰められても誰も助けてくれなさそうだね」
「間違ってはいませんけど初対面で酷い言い草ですね」
「気に障った? 出て行く気になった?」
「別に。クラスメイトよりはましですから」
チャイムが鳴り響く。一限目が始まった。
「何、キミもハブられてるの?」
「君も、ってことは貴方はハブられているんですね」
「私が質問してるんだけど? まあ隠すことでもないし別にいいけどさ」
そう言って彼女は身体を起こす。はぁーとため息をついて少しだけ乱れた髪を直した。
「こんな見た目だからね。誰も近づかないし誰も話してくれない。入れても気の合う話もできないからグループに入っても馴染めなくて一人だったんだ」
「想像がつきますが、そうなったら担任辺りがどうにかしそうなものですけどね。ほら、教師って言うのは仲良しごっこが好きなお節介が多いですから」
「まぁ否定する気はないけどさ……担任は嫌いすぎて頼りたくない」
「そうですか。けどそれではずっとひとりぼっちなのでは?」
「無理に仲良くしたいとは思わないからいいかな」
「一人が好きなんですか?」
「どっちかって言うと大人数で騒いでる方が好き」
「ワガママですね」
「あんなんに頼ったら見返りに何されるかわかったもんじゃないからね」
そんなにやばい教師が僕たちの学年にはいただろうか。僕はあまり教師の人となりを知らない。
「そういえば聞いてなかったけど、キミ名前は?」
「
「私? 私は──」
「おいさっさとしろ! グズグズするな!」
それは怒声だった。僕たちは突然の声に二人して肩を揺らす。
誰かが屋上に来たらしい。そしてその声には聞き覚えがあった。
「この声、僕らの担任の……」
「え?」
隣の彼女が目を丸くする。バレないように現れた担任の様子を窺う。女生徒と一緒だった。見たことのある子だった。
あの子は確か隣のクラスの子だ。今は授業中なのにどうしてここにいるのか。いや、正直そんなことはどうだってよかった。問題なのは様子が明らかに違うことだ。
あの子は明るくて元気で、生徒会に入っているから毎朝挨拶活動をしていて正門を通ると挨拶してくれる子だと記憶している。だが今はそんな面影はない。
辛そうに顔を歪め、苦しそうな声で何かを訴えている姿を見るのは初めてだった。
「あいつ何して……」
「……キミたち男子は、知らないよね……」
「知らないって何を」
「アイツ、女子生徒に手出してるんだよ」
「は?」
「それも全部無理矢理。何かしらアイツが気に障ることがあったら何かしら理由をつけて呼び出してるんだよ。ああやってね」
「ちょ、ちょっと待て。手を出しているってまさか」
「うん。キミが想像してる通り、イケナイコトだよ」
嘘だろ。誠実そうな顔をしておいて裏の顔がこれかよ。
様子を覗き見れば担任は既に女生徒の制服を脱がせているところで僕は言葉を失う。
「まじかよ……」
「キミも素が出てきたね。敬語抜けてきてるよ?」
「この状況で取り繕っていられるか」
「男子はこういう話好きなんだと思ってた」
「全員が全員無理矢理すんのが好きなわけないだろ……」
「まぁその話はいいとして……とりあえずこっち来て。そんな場所にいたらバレるでしょ」
「わ、わかってるから急かすな……っ⁉」
小声で手招きする彼女の元へ中腰で移動する。その際に僕の不注意で置いていたカバンに気づかず躓いてしまった。倒れ込んだ先にいた彼女は突然のことにギョッと表情を歪める。
受け身を取り手をついた頃には、僕は彼女に覆い被さる形になっていた。
お互いに狼狽する。
僕が彼女を不可抗力とは言え押し倒すような形になっているからということもあるだろう。だけどそれは小さな驚きに過ぎない。決して主な原因ではない。
「う、そだろ……そんなことあるわけ……」
彼女はゆっくりと僕に向かって手を伸ばし顔の横まで持ってくる。そしてそのままその手を僕の顔に向けて動かした。
本来ならその手は頬に当たるだろう。だけど彼女の手は僕をすり抜けて反対側に貫通した。体感したありえない現象に困惑が隠せない。
彼女は不意に笑う。何がおかしいのか、さっきも見た笑顔がすぐ近くにあった。
「そういえば私はまだ名乗ってなかったね。……私の名前は
これが僕と梨々香と名乗る幽霊との出会いだった。
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