キャバレーベアーシアター
「木彫りの熊……!?」
「いやあんイツカちゃん見ないでえっ」
ケイコさんが更衣室でバッグごとメイクポーチをぶちまけてしまい偶然居合わせた私は床に散らばった荷物をかき集めようとしゃがみ込んでいた。
マスカラ、お財布、チークにモバイルバッテリー。
ふと、ドレスラックの下に転がってる黒い塊が目に付いた。なんだろう。化粧品にしては大きすぎる。箱ティッシュか?
両手で拾い上げたそれは毛並みの一本一本が着色の濃淡で繊細に表現された北海道土産の熊だった。最期まで命燃やさんとする大きな鮭を咥え込み、獲物を取られてなるものかと眼光鋭く私を睨み付けている。
野趣あふれた表情に対して腹回りには貫禄があり逞しくも可愛らしい。硬毛から滴る水まで感じさせてくる。絶対に匠の仕事だ。
「ケイコさんの熊?」
「もうっプーちゃん! いたずらっこさん!」
言い忘れていたがケイコさんは変わっている。
「これ置物ですよね?」
「一番の親友なの!」
「そうですか。お返しします」
ショッキングピンクの長いネイルにいじくり回される熊から「あれあれあれ」と声なき声が聞こえてくる。
「異常なし! 良かったあ」
「いつも持ち歩いてるんですか?」
「うん。寝る時も一緒だよ」
「顔に当たるとゴツゴツしません?」
「やだもうイツカちゃん。さすがにベッドには入れないよ。サイドテーブルに置いて見守ってもらってるの」
ケイコさんは出勤が少ないけどシフトが被ったらなるべく会話するようにしている。良い薬になるからだ。自分の価値観を疑え、と。普通にこの人、おもろいし。
「実は私も部屋にクマいます」
「詳しく」
「ミュージカル観に行ったとき物販で主人公の衣装着たテディベア見つけちゃって。柄じゃないですけど、つい」
「写真ある? 話しかける?」
「撮った事ないです。なんか布に目が付いてるってだけで愛着は湧きますよね。心の中でただいまくらい言ってるかもしれないです」
「イツカちゃんは優しいねえ」
試験合格とでも言うように熊を差し出された。改めて触らせてくれるらしい。
「結構重さありますよね。持ち運び大変じゃないですか?」
「この重さが絶妙なんだよ! 一緒にいるって感じがするでしょ」
「確かに所有感あります」
ケイコさんは満足したように頷くと早々に回収した熊をロッカーに入れ鍵を掛けた。中に何かいると思うと神棚感があり何となく手を合わせたくなる。
「これでよしっ。今日も頑張ろ! 化粧品とか拾ってくれてありがと!」
「全然です」
私はこの日、一晩中ロッカーが気になって仕方なかった。
熊は暗闇で獲物を仕留める事が出来ただろうか。何としてでも食事にありつかなくてはならない。何故なら彼には任務がある。騎士となり眠れる乙女の寝室を守らなければいけないのだ。悪いものと立ち向かうには鮭の一匹や二匹では足りないはず。もしも今夜膝を折り敵に敗れたとしても、熊を責めるのは筋違いだろう。責任はショッキングピンクの爪にある。
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