ミラクル・フォー・チコ


「イツカリン!」


 私をそんな呼び方するのはこの世に一人しかいない。


「チコさんおはよう」

「昨日初めてアフターしたよ!」

「おおっがんばった! 何したの?」

「焼き鳥とカラオケと映画とゲーセン!」

「ええっ! そんなコース聞いたことないよ。一個でいいんだよ。大丈夫?」

「楽しかったからいっか! みたいな!」

「毎回それ期待されるとしんどくならない?」

「全然平気! 指名少ないから頑張るの!」


 チコさんはルンルンと言ってスキップで待機席に戻っていった。何より足首が心配だ。


 煙草を吸っていると、チルでロウなマイさんが入ってきた。


「チコ元気だな」

「ばけもんですよ」


 アフターの話をするとマイさんはiQOSを取り出してぐっと伸びをした。


「まあ禁止行為って訳じゃないからね」

「まだ新人枠だから心配ですよ。やる気変な方向行ってません?」

「手探りの時期なんでしょ。色々試して、失敗して、合うスタイル見つけていけば良いんだよ」


 それもそうか。私もテンション上げようと強い酒をぐっと飲み込んだ時、煙草を持ったチコさんが戻ってきてむせかけた。


「あっマイマイ! おはよ!」

「おはよ」

「待機で話してたらユーカポンに睨まれちゃって! 気まじくて戻ってきちゃった!」

「チコ、ウーロン茶飲む?」

「ありがとう!」


 その夜、チコさんは飲み過ぎて接客の途中で眠ってしまった。黒服に回収され更衣室に放られたチコさんは痛みに耐えるような顔で時折低く呻いていた。付けまつげに絡まった髪の毛を取ってあげると猫のように顔をこすって化粧を台無しにしてしまった。厚いファンデーションの下からは生白い肌が出てきてどきっとした。捲れたスカートを隠すようにブランケットを掛け、仕事に戻った。


 

 チコさんはあれからなぜかぱったり来なくなってしまった。


 更衣室で潰れている新人の顔が、チコさんの寝顔と重なる。やはりあの子は、少し無理をしていたんじゃないだろうか。余計なお世話だと思われても良い。本当に必要な人は誰も離れないから、気張らなくても大丈夫だと言ってあげれば良かった。あの明るい女の子が、そのうち元気の在庫切れで笑えなくなってしまうような気がして怖かった。


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