¥ 割れるナイフ ¥


 グラスが舞い、ぱっと弾けた。


「舐めてんのかてめえ!」


 言い返す客の声は取り巻きの野次と混ざって聞き取れない。


 黒服が飛んできてキャストは早々に避難。マイさんが新人の女の子の手を引いている。

 喫煙組はキッチン、吸わない子は更衣室に自然に分散した。


「客同士か。久しぶりですね」

「知り合いっぽいよ。居合わせたのは偶然だけど最初普通に話してたもん」

「ああっアイスペール倒れた」

「盛り上がってきたね」


 ちょうど四人組同士だったので仲良くペアになって取っ組み合っている。上座組以外はなぜ自分が他人に掴みかかっているのか分かっていないだろう。否、理由はない。そこに相手がいるからだ。

 くだらない喧嘩は遠くで見るに限る。


 腕をまくった小峰さんがやって来た。元ボクサーの黒服だ。空気が変わるが客は引っ込みが付かない。どうなる。


「こんばんは。お引き取りを」


 笑顔の小峰さん。

 試合終了だ。悔しまぎれに客が蹴飛ばしたアイスペールがゴングにしか聞こえない。

 その後はさすが小峰さんで同じエレベーターに全員押し込んだらしい。もちろん小峰さんも乗り込んだ。誰ひとり口を開かなかったそうだ。


 他の黒服が後始末を済ませ、客を追い出した小峰さんはキッチンに入ってきた。


「他の子は更衣室? 怖かったかな?」

「すぐ黒服来たから大丈夫。新人さんは腰抜かしてたけど」

「そっか。ちょっと見てくるね」


 小峰さんは行ってしまった。


「なんで強い人って口数少ないのかな?」

「弱い犬程ってやつですかね」

「ここにいると良く分かるよ」

「キレてもグラス割るような人間にはなりたくないですね」

「あれは最低のパフォーマンスだよ」


 割られたグラスはバケツの中でキラキラと光っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る