アルジャーノンに柚子小町を


「ストップ。キッチン入れない」


 マイさんが小さく叫んだ。ヘルプを終え一服しようとドアノブに手をかけた時だった。


「なんかあったんですか?」

「ノノカが吐いた。やまぴーが掃除してる」

「めずらしいですね。ノノカさんは?」

「トイレに移動」


 ノノカさんは東北出身の色白美人だ。酒が強い。きっと席を抜かれたときすでに限界だったはずだ。この後指名が来ると言っていたけど、大丈夫かな。

 掃除を終えた黒服の山下さんが出てくる。


「お待たせ」

「煙草いいですか?」

「大丈夫。床濡れてるから気をつけて」


 あたしも吸おうとマイさんも入ってきた。キッチンは消臭剤のさわやかな匂いがした。


「どの席でやられたんですか?」

「五卓だよ。ゆず小町」

「ゆず小町!?」


 思わず大きな声が出た。ノノカさんにしたら水以下のはずだ。

 ドアの隙間から顔を出してその卓を覗き見る。普通のサラリーマンだ。別の子が着いているけど、変わった様子はない。


「体調悪かったんですかね?」

「普通に見えたけどね。ごめん客からだ、ちょっと電話してくる」


 マイさんはしゃがみ込む私をまたぐようにして更衣室に消えた。

 心配してトイレを見やると、タイミング良くノノカさんが出て来た。ケロッとしている。目が合うと頬を赤らめ足早にキッチンに入ってきた。


「もしかして、聞いちゃった?」

「体調大丈夫ですか?」

「それが全然大丈夫なの。恥ずかしいわ。お店で吐くなんて初めてよ」

「すいません、ゆず小町って聞いたんですけど」

「やだもう。マイちゃんね」


 クスクス笑いながら長い指でパーラメントに火を付ける。


「ララちゃんが髪に黒いリボンをつけてるでしょう。そのリボンがキッチンに落ちてたのよ。シンクの下にね。わたし、てっきりネズミだと思って」


 ゴシック風のリボンは存在感がある。女性の手のひらにはおさまるまい。あれが本当にネズミなら営業停止レベルだ。


「思い込みって怖いわね。悲鳴をおさえたら、別のものが出ちゃった」


 ノノカさんはぺろっと舌を出す。


「そういうことだったんですね。ノノカさん偉いです。私なら叫び散らかして壁に穴ぶち抜いてますよ」

「うふふ。やだもうイツカちゃんったら。あ、お客さん来たみたい。ごきげんよう」



 ゆず小町、最近飲んでないな。

 甘くて優しいゆず小町。

 私はあれ、嫌いじゃない。


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