闇に吟ず 3
近隣の住民に頼んで、水神アクルスの神殿に運んでおいてもらったディリエの遺体は、今はきれいに洗い清められていた。アスティは安らかな死に顔の彼に今までのことを報告し、そっと頭を下げた。
(これでよかったのでしょうか?)
ディリエと剣を交わしたアスティには、出てきた二人の弟子もフィデラも、恐らく彼には勝てなかったと看ている。しかしディリエは、勝っても負けても鍛練場は受け渡すつもりであったという。
(こんなの無駄死にだ……)
アスティはギリ、と唇を噛んだ。
そこへ後ろの扉が開いて、ひとりの神官が入ってきた。振り向いて場所を開けようとするアスティへ、神官は手を上げて制止した。
「お構いなく……アスティ・アルヴァ・ラーセ殿ですな? ディリエの遺体を運んでくれたという?」
「運んだのは近くの住民ですわ」
「申し付けて下さったのはあなたでしょう。話は聞いております。さ、あちらへ……」 アスティは黙って神官についていき、別室へ赴いた。
「わたくしは当神殿の神官、ファリドと申します」
座るなり、彼は言下にこう言った。
「あ……」
アスティは小さく声を上げると、うなづいて、
「左様。ディリエは私の名を最期に言ったそうですな。
あれとは昔からの友達でして……」
言ってファリド神官は傍らに包んであったものをそっと差し出してテーブルに置き、包みを解いた。
「!」
アスティは目を見張った。そこには、既に文字から光を放ち静かに明滅している、まぎれもない石版があったのだ。
最後の刻は始めにありき
それが石版の文字だった。知れず青くなったアスティは顔を上げ、
「こ、これは―――――」
「ふた月ほど前でしたか……王宮の預言者殿が参られて、夢を見た、伝説の放浪の預言者が夢に出てきて、もうすぐ石版を必要とする正しき者があらわれるから、水神の神殿にそれを一時預けよと、そう言われて、ここに置いていったものです」
「そ、それ、それで、あの、誰か参りました?」
ファリドはうなづき、
「確かに……その数日後、一人の旅の方が現われましてな。どこをどうしたものか、小さな石版を取り出したかと思うとここの凹にはめこみ、次の瞬間にはこの文字が光っていて……小さな石版のほうにも同じ文字が刻まれていました」
「その! その小石版の形はっ!?」
身を乗り出して叫ぶアスティに、ファリドは怯みながらも、
「確か、正方形でした」
と答えた。アスティは身震いした。
(ああ……!)
(王がここに来られた)
(間違いなく近づいている)
「あの、その方は、戦士のような格好を……?」
「ええ。三十……前後ですかな。口と顎に髭をたくわえておられた。神殿の娘たちがいたくあのお人に惚れ込んでしまって、仕方のない者ばかりです」
アスティはため息をついた。間違いなくセスラスだ。
「ディリエにいつだったか、この話をしたのを、覚えていたのでしょうな……」
恐らくディリエは自分が石版を探していると聞いてこの話を思い出したのだろう。そして二日目、公爵の館へ立ち寄った帰り、友達のファリドにアスティが石版を探しているということを告げたというのは、ファリドの口から聞いている。
(あの方は、私に協力してくださったのだ)
アスティはディリエの誠意を、かみしめるようにして胸に刻んだ。
数日後に荼毘に付されたディリエの葬儀も無事終了し、アスティはその日の内にカイレンを出ることをファリドに告げた。葬儀には公爵や臣下の騎士たちも出席していたが、これ以上アスティがこの国に滞在する理由はなかった。
こののち、フィデラとその弟子たちはディリエ暗殺がアスティの口により発覚し、公爵みずからの手により罰されるが、その時にはアスティはすでに、カイレンを後にしている。「たしかあのお人は、まっすぐ東の街道……恐らくピルエに合流する街道へ行ったはずです」
ファリドの、この言葉だけを頼りに。
アスティは街道へ出た。
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