闇に吟ず 2

               


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 翌日―――――。

 北ヴィリド地区の鍛練場に、リディル公爵とその臣下、そして騎士ディリエと試合をするはずのルドの鍛練場の主・フィデラとその弟子数十名が集まっていた。北ヴィリドの鍛練場といえば、おそらくカイレンで知らぬ者はいないだろう。カイレンで四番目に大きい鍛練場である。朝定刻に集まった彼らはしかし、肝心のディリエがいつまでたっても来ないことに苛立ちを覚え始めた。

「ディリエはいったいどうしたのだ……?」

「臆して逃げだすような者ではないはず……」

 仲間の騎士たちがひそひそと懸念の声を洩らし始め、公爵自身も低くうなっていた時、相手方のフィデラの弟子が声も高く、皮肉を言い始めた。

「ディリエ殿は最後の最後になって、臆病風にでも吹かれたのではないのかな」

「なんといっても三人を相手にひとりでやるというのだから」

「仲間の助太刀を断る覇気はあっても、騎士の名誉を貫く勇気はないらしい!」

 彼らは侮蔑を込めた声で笑いだした。

「む……!」

 公爵の前で仲間を侮辱された怒りで、騎士のひとりが立ち上がろうとした、その時だ。 入り口に、人影がさした。

「おおディリエか!?」

 公爵が身を乗り出して叫んだ。フィデラはその声に秘かに眉を寄せて入り口に目を馳せた。しかし入ってきたのはディリエではなく、ひとりの女だった。

「なんだ、女か……」

 フィデラは小さく呟いた。瞳に侮蔑的なものが浮かんでいる。しかし女はそのまま入ってきて膝を折り公爵に頭を下げると、

「ディリエ殿の代理で参りました」

 と静かに言った。

「な……!?」

 フィデラの弟子たちの顔色が変わった。女は、アスティは構わず続ける。

「ディリエ殿は急病にて……医師が絶対に立ってはいけないというのにここに来られようとしました。そこでわたくしが、代わりに参ったという次第でございます」

「ふむ……名を聞いておこうか」

 アスティは立ち上がり、しかと公爵を見据えて言った。

「リザレア参謀・アスティ・アルヴァ・ラーセと申します」

「リザレアの……ほう」

 さすがに落ち着いたもので、眉が微かに動いたものの、公爵は大して動揺を見せようとはしなかった。しかし本当に動揺したのは周囲の者である。

「ア、アスティ……!」

「リザレアの……」

「魔神を倒伐した……!」

 アスティは眉も動かさないほどに冷静だった。そして静かにフィデラの方を、睨むように見据えた。

「……」

 無言の凝視にさすがのフィデラも怯んだ。アスティは目をそらし、公爵に向かって、

「わたくしでは代理は認めて頂けませんか」

 と問うた。公爵はそんなことはないと答え、それでは、とアスティは審判の方を向いてうなづいて見せた。

「両者ご用意よろしいか」

 審判が声をかけると先鋒の者が殺意をむきだしにして剣を抜き、前へ出てきた。アスティはその視線を平然と受けとめ、羽織っていたマントをバサリとぬぎすてると、スラリと剣を抜いた。

「―――――始め!」

 キィン……

 一瞬だった。一筋の光芒が両者の間を奔ったかと思うと次の瞬間、フィデラ方の者の手から剣が音を立てて落ちていた。

「―――――な、なんと……」

「は、早い」

「見えなかったぞ」

「一本!」

 アスティの方に審判の腕が上げられた。それを見ていたフィデラは忌ま忌ましげに舌打ちをし、二番方の者に、

「行け」

 と低く言った。

「二番手、ご用意よろしいか」

 弟子の者がスラリと剣を抜いた。審判の声と同時に、彼はアスティのふところへ飛び込むようにして切っ先を向けていた。だが、まるで最初から読まれていたかのように簡単に躱されたかと思うと、がっちりと剣で逆に押さえ込まれた。女とは思えないほどの強い力だ。

「う……くっ……」

 弟子はそれに耐えかね、受ける剣の力を一旦抜いて踏み込もうとした。しかし力を抜いた途端、シャリという音がしたかと思うと、アスティの剣がねじりこまれ、彼はそのまま剣をはじき飛ばされた。

 カラーン……

 剣の乾いた音が石畳に響きわたり、その手際のあまりのあざやかさに誰もが声を失った。

「勝ち名乗りはあげて頂けないので?」

 アスティに言われて初めて、審判が我に返ったほどだ。

 とうとう三番手・大御所のフィデラ当人の番となった。フィデラは剣を抜いて前へ出ると憎々しげにアスティを睨んだ。本勝負なので、両者はここで礼をし合わなければならない。下げた頭を再び上げ、自分をその瞳にとらえたとき、相手の女が低く言った、

「弓矢のご用意は、しなくてよろしいのか?」

 彼の顔色がサッと変わった。なぜ知っているのかとでも言いたげだ。

「始め!」

 アスティの瞳がこれまでになかったほどの強い光をたたえていた。殺気と憎悪に充ち、手負いの獣のような。

(ふん、ディリエの仇討ちか)

(やれるものならやってみるがいい!)

 フィデラはこう見えても、かなりの腕を持つと自負していた。証拠に、カイレンで彼の名を知らぬ者はいない。ただ小さな鍛練場にいるのみなのだ。これを機にここへ移り、一気に国のお偉方と親密な関係になって甘い汁を吸おうというのが彼の魂胆である。

 フィデラが打ち込んだ渾身の一撃を、アスティは難なく躱した。どころか、その剣を、片手で受けとめた。

「な……なに!」

 それを自ら振り払って一旦後退し、フィデラはその勢いで踏み込んだ。アスティはそれを待ち受けていたかのように切っ先を下にしてそれを受け、力任せに薙ぎ払った。

 と、フィデラは危うく剣を落としかけた。腕が痺れている。

「なんと……あのフィデラ殿が、まるで子供扱いではないか」

「噂だけではないようだ、あの方……」

 アスティはフィデラの動揺をよそに斬りこんだ。フィデラはそれを辛うじて受けとめたが、却って不様な形となってしまったのは否めない。一旦斬りこんだにも関わらず、アスティはそこで決定的な一撃を彼に与えようとしなかった。そのまま、勢いよく飛びすさっただけだ。

「? ……」

(なぜ剣を弾かなかった)

 フィデラ自身も、不思議に思っていた。それは周囲も同じだっただろう。

 アスティの彼を見る光は尋常ではなかった。どうしようもない憎しみ、怒り、ただそれだけ。

―――――恥を知るがいい。

 アスティは心中でそう叫んでいた。

―――――ディリエ殿の無念を、私が晴らしてやる。剣士の風上にもおけぬ男。恥をかくだけかかせて、最後に負けさせてやる。

 アスティは同じように踏み込んだ。今度はかなりの時間をおいてのことであったので、フィデラも受けとめることができなかった。既にその目は、アスティの瞳の哀れで愚かな虜。全身を貫く狂気に近い光、憎悪の嵐、剣を受けるたび、フィデラの剣が弱く、浅くなっていった。

「ひっ……」

 とうとう何度目かの剣を受けた時、彼は思わず恐怖の声を上げてしまった。それでもまだ、アスティは負かしてくれない。闇をも貫く光を瞳に、こちらを睨み据えているのみだ。

 スイ……とアスティが剣の形を変え、隙をつくってきた。フィデラはその一瞬に油断しそして過信した。勝てる! そう思ってやまなかった。極限まで追い詰められて、とうとう機会を得た喜びはひとしおだった。しかし踏み込んで正にアスティまであと一歩という時、突然アスティの構えていた剣の形が明らかに自分の腹を狙って動いた。そしてその時のアスティの瞳を、彼は見てしまった。

 闇だ。果てない闇。人を狂気に陥れる底無しの、闇の中にひとつだけ、憎悪と怒りが、未知の輝きをもって彼をとらえていた。

「う……うわあああああっ!」

 カァ―――――ンン……

 剣が弾かれる音。フィデラの剣はアスティに弾き飛ばされ、石畳の石と石の隙間に、まるで狙ったかのように突き刺さっていた。

「し、勝負……あり」

 審判が怯えたように言った。アスティは審判と公爵に深々と頭を垂れ、剣をしまってフィデラの弟子たちに侮蔑の視線を浴びせた。彼らの誰一人として、それに立ち向かう者はいなかった。この女の恐ろしさ、自分たちに向けられた侮蔑と憎悪と怒り。主たるフィデラがこの有様では。

 フィデラは……そう、彼は、剣を弾き飛ばされた瞬間、アスティの目の恐ろしさと、彼女が自分を憎むあまり自分を刺したのだと思い込み、恐怖でその場に座り込み、失禁してしまったのである。たちまち公爵側の騎士たちから無言の侮蔑の笑いが送られた。彼らが先程のフィデラの弟子たちのようにそれを大っぴらにしないのは、あくまで主君の前であるということと、日頃の公爵自身のしつけがいいからである。アスティはマントをひろいあげ挨拶もそこそこにその場を去った。

 出口に置かれている、「フィデラ・シユール御前試合」と偉そうに置かれている看板に唾を吐き捨て、アスティはひとり神殿へ向かった。道行く人々が、そんなアスティを不思議そうに立ち止まって見ていた。

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