砂漠より、旅立ち 2

          

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 その頃アスティはすでに城下を出て、王城にほど近い領内の、欝蒼とした森に入ろうとしていた。木をかきわけ、かなたに見える草原を見やりながら、アスティは呟いた。

「ふう……。だいぶ来たかな」

 微かににじむ汗をぬぐい、アスティは立ち止まって方角を確認した。

 まっすぐ南東に向かっている。

 聞いた話によると、王子は供の者と最近やっと乗れるようになった馬で遠乗りに行き、そこで何者かに拉致されたものらしい。供の者は剣で斬られて即死であったという。その翌日、王城に手紙が届き身代金が要求された。しかしそれで王子の身柄を保障するとも、またそうすれば王子の生命は助けてやるとも、手紙には書いていなかった。

 アスティは話を一通り聞いて、おそらく王子をさらった者達はこの先に行った森の奥に潜んでいるのではないかと判断し、こうして乗り込んできたのだ。その理由は、この一帯は深い森に閉ざされており、油断すると国の者でも迷ってしまうからであった。どこまであるかは知らないが、とにかく相当深い森で、地元の人間もめったに近寄らないらしい。 その辺りから推し量って、アスティは森へ行こうとしているのだ。

 彼女がこういったことに詳しいのはひとえに、魔法院の最終修業である一年修業の折りの体験がものをいったのだろう。

 一年修業というのはつまり、上位魔導師ハイ・ソーサラーとなる者に外の世界を見てこいという意味と、各地の詳しい情報や文化や風習を、その膚で学んでこいということなのである。それらが、こういった場合に大いに役立つことは、言うまでもない。

 上位魔導師ハイ・ソーサラーはそもそも、剣と魔法の両方を使う、究極にして禁忌の種族である。

 この世は、戦士は剣を扱うかわりに魔法が使えない、魔法使いは体力がないかわりに魔力を持つ、聖職者は、その信仰心で仕える神独特の魔法を使う、という法則で成り立っている。

 上位魔導師ハイ・ソーサラーは肉体を鍛えあげ、剣をふるい、また絶大な精神力で魔導を行う。攻撃・治癒の両方に長け、精霊の召喚ができ、おまけに、上位魔導師ハイ・ソーサラー特有の魔法をいくつも持つという。正に伝説の種族である。

 上位魔導師ハイ・ソーサラーでもっとも大きく取り上げられるべき利点は、その剣の腕と魔法に長けた精神力であろう。だがその代わりに彼らが背負う修業の内容はまことに厳しい。正規の上位魔導師ハイ・ソーサラーになるのには、その修業の内容からいって十五年から二十年の歳月がかかるという。なにしろ剣の他魔術、精霊術、医学、音楽、この世のすべてのものを完璧にこなすための修業なのだ。

 だからこそ古代王国ではその力は疎まれ、恐れられ、いずれ世界を征服するのではという危惧すら、人々の心に浮かんだことがあったという。しかし古代王国の統治者・魔法王

は、魔法院の開祖・この世で最初の上位魔導師ハイ・ソーサラーであり今は魔法院の長老であるワルス・ワルサー・ワルプルギス・ワーワルスキーを庇護し、彼の立場を他の部下と同様に守ったという。長老は古代王国の滅亡を機に、多くの弟子と共に眠りについた。そして世界の復活と共にまた、復活をとげたのである。

 現代の、真に戦いたい者たちのために、彼は魔法院の長老となり、彼の一番弟子は魔法院の院長に、十番目の弟子なら第十の導師という風に発展を遂げていった。導師たちは、「一番弟子」というものをとり、「一番弟子」とは、見習いの中でも特に能力のすぐれた未来の精鋭を選び、他の者とはまた別に特別なの修業をさせるための、いわば魔法院の選りすぐりたちのことである。「一番弟子」は自分を選んだ導師を師匠と呼び、死ぬまで一人の導師の一番弟子でありつづける。導師たちは自分の一番弟子が死ぬか、あるいは導師となって永遠の生命を手に入れた時から一番弟子を所有しないことになり、また新しい者を選ぶ。これを繰り返すのである。

 そしてアスティもまた、第十七の導師・カペルの一番弟子であった。

 アスティは谷に近くなってきた森の木々をかきわけ、どんどん奥へと進んでいった。

 本来他国の内情には干渉しないというのが一臣の常識だが、このような状況下ではいたしかたあるまい。それに、なにより主君・ウェンセスラスは国王に昔たいへん世話になったとか。

 しかし運命とは数奇なもの。セスラスが出奔しなければアスティはこの国にいなかっただろうし、アスティがこの国にいなければ、王子はどうなっていたかも見当がつかない。

 そして、あの事件が起きなければ、セスラスも出国しなかったであろう……アスティは心の中で考えていた。

(あの事件さえ……)

 アスティはそこでハッとして顔を上げた。

 渓谷だ。目の前に谷が広がって彼女の行く手を阻んでいる。こわごわ下をのぞくと目も眩むような高さ。小さく線のようになっているのは、あれは河だろう。向こう側はまた深い森が続いている。ここが有名なドールヴェ渓谷だ。高台にあるこの土地は、このような凄まじいまでの渓谷が領内に広がっており、下流へ行くほどその谷が低くなっている。低くなって河と我が身が同じくらいの位置になる頃には既に国境を越えていて、なんでもこの河は、谷の向こう側に高々とそびえるナデイラ山が源流だとか。

「…………」

 アスティは目の前の絶景を目にしてし知らず知らずのうちに息をつき、そしてますます、王子はこの谷の向こうにとらわれていると確信を強めた。

 アスティは後ろを向いて距離を確かめ、数メートルも退くと、谷に向かって一気に走りそして飛んだ。

 この谷くらいは平気で飛び越えられる、と思っていたのだが……いざ飛ぼうと大地を蹴った時、その足場がガラリと崩れた。

「!」

 一瞬足元を見たがその時は遅い。タイミングがずれて、あと少しで手が届くという距離なのに、飛び損ねた。

「……っ」

 しかしそこはアスティも上位魔導師ハイ・ソーサラーの意地がある。崖の淵に手をかけようとしたが届かないとわかっていたので、シャッと剣を抜き淵のすぐ下に突き刺した。そこから這い上がるようにしてのぼる。

「……っと……」

 息をついてアスティはやっと上りつめた。そして後ろを振り返ると、やはり足場にした崖の淵が欠けている。先日の雨のせいでもろくなっているのだろう。

「まったくやんなっちゃうったら……」

 ぶつぶつと言いながらアスティは辺りを見回した。どうせ地元の農民が懸けた吊橋かなにかがあろうが、すぐには見つからないだろう。よしんば見つかったとして、渡れないようにしてあるに違いない。

 アスティの黒い月のような瞳に、一瞬針のごと鋭い光が宿った。

――風上から、微かに風が吹いてくる。

 アスティはしばらく考えてから、風の吹いてくる方向へ歩きだした。



 隠れ家とおぼしき石の建物は、すぐに見つかった。男が一人入り口に詰め、なかからはやはり五、六人の人間の笑い声が聞こえてくる。いずれも男だ。入り口に立っているのはどうやら見張りのようだが、人相から推してみても、善人とは言いがたい風体をしている。 まずは、あのなかに入らなければ。アスティは扉の後ろにまわりこみ、短剣を音もなく引き抜き、男の口を押さえざま喉をかっ切った。声もなく息絶えた男の身体を建物の影にひきずりこみ、扉のところまで戻ってくると、そっと戸口に耳を寄せた。

「……ここまで簡単に行くとは思わなかったぜ」

「……ああ、あの供の男、なかなか手強かったけどな」

「なに、この人数で殺ればな」

「しかしかわいくねえガキだぜ」

「口をきこうともねえ」

「奥のヘンな石もわけがわからねえし」

 アスティの視線が鋭くなった。

(王子のことだ!)

 すっと立ち上がり、勢いよく扉を蹴り飛ばした。中にいた男たちは突然のことで一瞬度胆を抜かれたようだが、さすがに王子を誘拐するほどの輩、すぐに剣を引き抜きアスティへ挑みかかった。

 いきなり体当たりでかかってきた男ははすらりと躱し、そのまま背中を斬った。二番手の男は、躱しきれなかった。

 ガキッ!

 アスティは彼の剣を真っ向から受け、しばらくそこで睨みあった。やがてアスティのほうがたまりかねたように剣を押す力をすいと抜くと、たちまち男はにやりとしてさらに力で押してくる。そこがアスティの狙い目だ。力を抜いて相手を誘った瞬間に、アスティは剣を下げざま相手の首に深々と剣を突き刺している。息をつく間もなく三番目の男がおどりかかってきた。これは、最後に飛びかかってきた四番目の男と同時だ。

 激しい剣戟の音が響いて、アスティは二人の男の剣を弾き飛ばした。彼女は容赦なく剣をその首筋に向けた。

「まっ」

 男の一人が両手を上げた。

「待ってくれ」

「――」

 アスティは思わず硬直した。

 ――命乞いか。

「逃がさないわよ」

「待ってくれ。話を聞いてくれ」

 もう一人の男も両手を上げてこちらを見ている。アスティは二人に迫った。

「金がなくて……親父もお袋も飢饉で死んじまったんだ。働き口がなくて、それで、ある日こいつらに大金が手に入る、協力すれば分け前をやるって言われて……」

「――」

「それで、それで、どうしようかと思ったけど、腹が減って腹が減って、どうしようもなくなってこいつらの仲間になったんだ。でも、子供を誘拐するなんて知らなかった。誓ってほんとだ。だから、殺さないでくれ。もうしないと約束する」

 アスティはもう一人に視線を投げかけた。

「オレも似たようなもんだ。税金の取り立てが厳しくて、麦はあってもパンを買う金がない。それでこいつらに頼まれて」

「――」

 迷いが生じた。信じるべきか、否か。しかし、この男たちが王子を誘拐したのは事実だ。

 二人の男は泣きそうな面持ちである。

 アスティは迷いを振り切るように剣を持ち直した。男の一人が、ひっ、と声を上げる。

「……」

 やるか。芝居かもしれない。剣を下げた途端、別の武器で襲われるかもしれない。男たちの目が潤んで、懇願するようにこちらを見ている。その瞳の必死さに、アスティの殺気が薄れた。

「……」

 彼女は力を抜いた。

「……行って」

 男たちは顔を見合わせた。

「え?」

「いいから早く行って。気が変わらない内に」

「――」

「――」

 二人の男は茫然と自分を見つめていたが、やがて何かにうなづくように首をこくこく、と振ると、一目散に逃げて行ってしまった。

「……」

 アスティは剣を下ろして、深々とため息をついた。自分の甘さに、呆れていた。

 きょろきょろと辺りを見回すと、正面と右側に、それぞれ扉がついており、どちらかに王子がいることは必定であった。アスティは右側の扉に手をかけた。

「――」

 王子は、そこにはいなかった。しかしアスティが硬直するほどに意外なものが、そこにはあった。

「これは……」

 輝く文字を刻む、これは石版。

 アスティは知らず知らずのうちにそれに近寄り、膝まづいて文字にそっと触れた。この文字がにぶく輝き、呼吸するかのように明滅しているということは、誰かがすでに、小石版に文字を写しとったという何よりの証拠だ。

『奥のヘンな石も――』

「――」

(王がここに来られた)

 その確信がアスティを包んでやまなかった。主君はここを訪れ、この石版の左側にある凹みに亡きレヴァがその生命と代償に彼に引き渡した小石版をはめこみ、文字を写しとったに違いない。



   光と闇 その身に持ちし者のみ



 この、リザレアの石版に刻まれていた石版の古代文字を、アスティは思い起していた。 そして今、文字に指を這わせ読み上げると果たして、



   救われし御魂  そのかいなに導け



 とある。これがドールヴェを守る石版の文字。アスティが嘆息していると、どこかで小さく声がした。アスティはそこで初めて王子のことを思い出した。慌てて立ち上がり、そして違う扉を開ける。

「――そなた、何者だ?」

 果たして、王子はそこにいた。先程の男たちの悲鳴を聞いてさすがに不安に思ったのだろう。

 アスティは思わず硬直した。

 黒にほど近い茶色の髪。肌は白いが、きゅっと引き締められた唇が大人びて見える。瞳は、青い。アスティが聞いた王子の容姿と比べても、彼が王子アドルリエだということは、ほぼ間違いない。アスティが硬直したのは、なにも彼のその、容姿にではない。その、人を射竦めるような、力強い瞳。

 アスティはしばらく口をきくことができなかった。

 リザレアは、言うなれば砂漠の民の国。

 複数の部族が集まって国家を成しているという国だ。ドールヴェとは違う。

 十数年前までは、この複数の部族、特に有力なふたつの部族が互いに王位を狙って、それは激烈な戦いを繰り広げていたという。砂漠の人々は、誇りは高いが翻ってとても素朴な人々ばかりだ。そもそも、有力な二部族の片方は、元々リザレアの民ではなく、流れついた部族であったという。複数の部族はいつしか二つのどちらかへとつき……そうして長い間王国は王を持たなかった。

 二部族の内、初めからリザレアにいた部族を天、流れついた部族のほうを大地といい、そしてセスラスの片腕のディレムが天の部族の族長の息子である。傭兵としてリザレアに滞在していたセスラスを見つけだし、王になれといったとのは、他ならぬ彼であったという。王家の顔立ち、とはこういうものをいうのだろうか。リザレアしか知らないアスティには、それがわからない。王子の気品のある表情から、目が離せないアスティであった。

 王子は訝しげにアスティを見た。目を細めたのは、光を背にしたアスティの姿がまぶしいからだろう。

「何者だ……? またどこかへ連れていく気か」

「……」

 アスティは近寄り、そして両膝を折って王子と、アドルリエと視線の高さを同じにした。

「アドルリエ王子、ですね」

 その青い瞳はアスティをとらえ……不審、疑念、そして微かな期待が二つの目にこめられている。アスティは微笑んだ。

「……そうだ」

 ややあって王子は言った。どれだけ閉じこめられていたかは知らないが、だいぶ憔悴している。

「お助けに参りました。父君が王宮で待っておいでです」

「……そなたは? ――国の者ではないな?」

「はい。私はリザレアの者です。ご存じないかもしれませんが……参謀のアスティと申す者です」

「リザレアの……あの、マイルフィックの?」

「はい」

 少年の目から疑惑が消えた。明らかにアスティに対する強い期待と頼りにするような光が宿る。

「とにかく、ここから早く出ましょう。あまり安全ではありません」

 アスティは王子の手をとってそこから抜け出した。建物から出るとき、アスティがひどく後悔したことは、敵の死体を始末しておかなかったことだ。おかげで、血の海を七つの少年へ見せつけてしまった。死体とおびただしい床の血を見て、アドルリエは一瞬眉をひそめたが、すぐにアスティへ、

「死んでいるのか?」

「はい」

「そなたがやったのか?」

「はい」

 短いやりとりの末、もう一度王子は血の海を見やり、アスティへ、

「――時間はあるか?」

 と聞いた。その時すでにアスティは彼を連れて戸口から出るところだったので、なんのことかと振り向き、

「なぜです?」

 と尋ねた。王子は五人の死体をかえりみて、

「――埋葬してやりたい」

 と言った。アスティはまじまじと王子の顔を見た。

(優しいお子だ)

「……お気持ちはわかりますが……まずここから離れなければなりません。我慢なさってください。王子が王宮の父君のもとへお帰りになられてからでも、遅くはありません」

 王子はアスティのことを見上げていたが、やがてわかったと答えると、ふと気付いたように、

「何人倒したのだ?」

 と聞いてきた。

「三人……ですが?」

「そうか。なら、本当に早くここから離れたほうがいいな」

「? ……なぜでしょう」

「知らなかったのか。私をさらったのは総勢で……十五名くらいの男たちだ」

「え……」

「そうだ」

 ならば余計急がなければ。自分ひとりならともかく、この幼い王子を連れて激しい戦闘はできない。早く戻らなければ。しかしもう日暮も近く、ここから崖を越え、王宮までの遠いみちのりを行くには危険すぎる。

「――」

 アスティは夕焼けの赤い空を見上げた。

 自分ひとりならあの崖を越えられるが……この王子を抱えているのでは、それも無理だ。 さっきのように足場がまたゆるまないとも限らない。では橋を探すか。

「王子……」

 空から目を離し、アスティは辺りを見回しながら言った。

「ここから……私の<飛空>の術で帰ることができます。しかしそれは非常に危険が大きい。 というのは、空に浮かんだ私の姿をみとめて、残りの者がなにをするかわからないからです。矢を射かけられたら、ひとたまりもないでしょう。〈移動〉の術は、術者でない人間を運んではくれません。私にはあまり時間が……」

「〈移動〉の術とは?」

「――自分の行ったところにはそこを思い浮べるだけで行けるという、私共特有

の魔法です」

「時間がない……とは? そういえばリザレアといえば……国王陛下が……」

 アスティはハッとした。この王子もセスラスの出奔を知っているのだ。

 黙りこくったアスティをしばらく見ていた王子だったが、やがて、

「わかった。すべてそなたにまかせよう。私の命の恩人だ。王宮にどうせ帰れるのなら、私を攫った者たちをすべてとらえてからの方がいい」

「賢明なご意見です」

 アスティはしゃがみこんで王子に言った。そしてまた彼の手をとると、一気に川の下流の方へと進んでいった。

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