第Ⅰ章 砂漠より、旅立ち

 サアアア……

 小雨が勢いよく降りしきる中、時折薄暗い空には雷が光る。降りけむる雨にまじり、それとはまったく違う性質の霧が、そこらじゅうにたちこめている。そして霧のなかに、なにやら秘密めいた石造りの館が、先程から見え隠れしていた。

 ザッ。

 フードをかぶった人物は白い息を吐きながら、その館の姿をみとめると、迷うことなく進んでいった。

 魔法院……。

 伝説の上位魔導師ハイ・ソーサラーを育成する、所在不明の石館である。常時霧に包まれ、一定期間その土地に滞在した後、次の場所へ移動するという。

 魔法院というのは、誰でも訪れることのできる場所ではない。真に、心の底から戦いたい、強くなりたいと思うの者の念にひかれ、その者の目の前まで現われるのだという。そしてまた、一定の周期の場所へもどり、大陸中を経巡るのだ。

 魔法院と上位魔導師ハイ・ソーサラーは共に今は滅びた古代王国、ローディウェールの数少ない有形の遺

産である。しかし古代王国時代ですら、彼らの能力は頓に恐れられた。

 そして王国の滅亡と共に上位魔導師ハイ・ソーサラー開祖・長老と、多くの弟子たちは眠りにつき……世界の復活を待って共に目覚めた。彼らは一所に止まらず、一定周期をおいて各地を周りそうして上位魔導師ハイ・ソーサラーを育てていった……。

 そして今、上位魔導師ハイ・ソーサラーの最終修業・一年修業を終え、ひとりの女が故郷へ帰ってこようとしている。

 魔法院第十七の導師・カペル・シルリルダの一番弟子・アスティ・アルヴァ・ラーセ。 腰にからむ長い漆黒の髪を編み、その黒い瞳は闇のような見事な黒。

 「アルヴァ」というのは、古ローディウェール語で「太陽」という意味だ。

 アスティは生まれて間もない頃魔法院の入り口に捨てられていた。小さな紙片に彼女の名前と誕生日、「アスティ、天壇青の月・末日」と記されていて、導師たちが彼女の名字を考えて与えた。しかし魔法院に訪れることが出来るのは、純粋に戦いの意志を持つ者以外は、上位魔導師ハイ・ソーサラーだけなので、彼女の両親のどちらかは、上位魔導師ハイ・ソーサラーだったのではないかと、導師たちの間で言われている。

 アスティは扉を開けて中へ入った。いつも詰めているはずの見張りの者がいない。

 今は導師の説教の時間なのだろう。

 アスティは複雑な石の廊下を迷わず進んでいき、そして廊下のいくつめかの部屋の前で立ち止まると、そっとその扉をノックした。

「お入り」

 中から無表情な声が返ってくる。

 カッ……

 外で雷が光った。

 アスティは中に入り、そしてそこで初めてフードをとった。

 美しい……

 赤銅色の肌、黒い瞳は息を呑むほどに清らかで大きく、筋の通った鼻と、きりと結ばれた唇は、紅もぬっていないのに鮮やかな色をしている。

「お師匠様……」

「アスティ。帰ったか」

 机に向かっていたカペル師は椅子ごと振り返って愛弟子に書簡を開いてみせた。

 アスティは息を呑んだ。

 一年修業は上位魔導師ハイ・ソーサラーになるための最終段階であり、一年修業に行けと言われたら、それは帰ってきたらお前は正規の上位魔導師ハイ・ソーサラーだぞと言われているのと同じことだ。

 修業は大陸を一年かけてまわるというもので、古代王国時代は、これが終わった者は必ずどこぞの国の宮廷魔術師になったりとか、なにか働き口があったものだが、上位魔導師ハイ・ソーサラーが伝説として語りつがれる今、外へ出たりする者など、いない。魔法院にとどまり見習いたちを教えたり、自分のために修学したり、または導師として永遠の命を持つことへ進む者もいる。

 だからアスティは、彼らと同じようにてっきり魔法院にとどまると思っていたのだ。だが師が書簡を取り出したということは、自分が外へ出、どこかで働くということを意味する。アスティはかたちのよい眉をひそめた。

「お師匠様……私が外に出ては」

「アスティ。これはもう決まったことだ。長老と院長と、そして導師全員で話し合った結果なのだよ。巻き込むのが恐ろしいか、周囲の人間を。だがお前はここにいてはもったいない。もっと外を見てきなさい」

 アスティは口をつぐんだ。確かに外の世界は魅力的だ。しかしそれ以上に強いのは、自分を取り巻く忌まわしい渦。これを唯一押さえておくことができたのは魔法院なのだ。だから自分は、もう外へ出ないほうがいい。

 しかしそんなアスティの考えを打ち切るように、カペル師は書簡を開き、おもむろに口を開いた。

「お前の行き先は……」

 カッ……

 カペル師の声は、轟く雷鳴にかき消された。




       1



 アスティは馬車に揺られながら、荷台のなかで考えていた。

「後は頼んだ」

 そう言って、主君は国を出た。あの男を止めるために。

(…………)

(王の代理は私しかできぬと言った王の期待を、私はこうして裏切ってしまっている)

 あの事件さえなければ。あの事件さえなければ、今自分は主君と共にあの砂漠の王国にいつもと変わらずいることができたはずだ。

(あの事件さえ――)

「お嬢さん、着いたよ。ドールヴェ王国だ」

 アスティはハッとして顔を上げた。

 自分の体を揺らしていた馬車が止まり、御者台の農夫がこちらを見ている。アスティは立ち上がり、馬車から下りて農夫の側まで行くと、

「どうもありがとう。これは少ないけど」

 と、ラルク銀貨を一枚渡し、走り去る馬車の音を背に、街道を見渡した。

(さて……)

 アスティは街に向かって歩きだした。目的は王宮だが、とりあえず宿を決めなくてはならない。昼にほど近い街はにぎやかで、行き交う人の群れも凄まじい。一目で戦士と看てとれるものや、旅の騎士、あるいは魔導師らしき者や、街の主婦や商人など、種々雑多な人々がいてアスティの目を楽しませた。

 上位魔導師ハイ・ソーサラーの象徴である黒いマントを羽織り、人並みに逆らうようにして歩むアスティの容姿は、当然注目を集めた。が、そんなことはアスティの介することではない。やがてアスティは〈森の角〉という旅籠をみつけ、そこで部屋を借りると、食事もそこそこに、王宮へと歩きだし始めた。

 ドールヴェ王国は砂漠の王国リザレアより北東に三十キロほど行った森に囲まれた王国で、国土の豊かな国として知られている。

 入り口で身分と名を告げると兵士はすんなりと中へ案内してくれた。鎧に刻まれた国章の鷹を見れば、追い返すわけにもいかぬだろう。しばらく待たされて、アスティはやがて玉座の間へ通された。中は大理石造りで、正面扉から極広の赤絨毯がまっすぐにのびており、数段ある階段の先には、国王が玉座に座って待っていた。アスティは中に入り、そこでひざまづくと、顔を上げて一気に言った。

「お初におまみえ致します。リザレア参謀・アスティ・アルヴァ・ラーセと申します、陛下」

 人知れず玉座の間に見えないため息がもれた。

 アスティのその美しさに感嘆の思いを込めてである。

 国王は四十そこそこの年齢に見え、太ってはいないのにさすがに貫禄のある面立ちをしていた。

「ようこそお越しくださった。お噂はかねがね耳にしています。さ、膝を上げられよ」

 名君と名高きドールヴェ国王はすでに髪にも髭にも白いものが交じっており、その黒い瞳は叡知に輝き、隼のような鋭さをたたえていた。リザレアでも彼の噂は何度か耳にしたことがある。突然の来訪の無礼を詫びるアスティへ、国王は尋ねた。

「して……英雄と名高きリザレアの参謀殿が、いったいわが国になんの御用かな?」   問われ、アスティはためらいもなく、顔を上げて一言、言った。

「はい。主君を、探す旅に出ております」

 ザワ……

 玉座にいた大臣たちや数名の長老が思わずどよめいた。ただひとり、冷静なのは国王ひとり、わずかに眉を寄せ、

「やはり……噂は本当でしたか」

「はい。先日石版を狙う者にわが国が襲撃されたことはご存じかと……」

「うむ」

 国王は重々しくうなづいた。玉座の傍らにいた、小豆色のローブに身を包み、フードをすっぽりとかぶっている男へ、国王が、

「デュエ。相違ないな?」

 尋ねると、男は強くなづいて、低いが、強い声でこたえた。

「確かに……リザレア王国の同胞はすでに息絶え……後はわたくしが遠視でご覧にいれた通りでございます」

「うむ……」

 国王の表情はしかし、暗かった。

 リザレアはたった十年ほど前に初めてその国王を定めた、若いながらも大国として知られる王国である。砂漠に本陣をおき、国王ウェンセスラス・アリオンは当時旅をしていた冒険者で、内戦の続く当地で傭兵として戦っていた。その統率力に、人々は彼を王とすることを選んだのだ。

 結局、新王が誕生し、その後王国はめまぐるしいまでの発展をとげていった。

 旅を愛し、旅に生きていた男である。

 このため人は彼を「流浪王」だとか、「放浪王」と呼んでいる。剣を持たせては誰にもひけをとらず、北アデュヴェリア一との誉れも高い。元々の気さくな性格に加え、長い冒険者としての生活がそれに拍車をかけ、民のことをよく考える名君と評判だ。

 その国王が再び出奔したというのは王城内での最高機密であり、国民には一切知られていない。また、知られては困るのだ。

「国を襲われ……わが国の預言者も敵の刃に倒れました。主君は誰かが立ち上がらねばならぬと自ら預言を探す旅に……」

「うむ……そこまでは、ここにいるわが国の預言者にすべて聞いた。

 問題はそのあとじゃ」

「はい。預言を探し求める者には多くの災難が降りかかるという……これを知ったのは、主君が旅立ってよりふた月たったころでありました。居てもたってもいられなくなり、国の者と相談して、こうして放浪している次第でございます」

 そう……やっと得た国王がゆえに。たった十年で国をまとめあげた名君ゆえに。誰もが慕うその性格ゆえに。

「唯一の手がかりは東回りで旅をするということのみ。もしかして貴国に主君が立ち寄ったのではないかと思い……」

「いや、残念ながらお会いしておらぬ」

 するとアスティは長い睫をそっと伏せ、

「……そうですか……」

 と呟き、

「それでは、他の国へ参ることに致します。あまり長居するのもよくありますまい。これにて……」

「いや、待たれよ」

 しかしアスティの言葉を遮って、国王は言った。

「リザレアからこの国まで、馬車で来ても一週間。国内の預言探索にかかる時間を考えると、まだそう遠くには行ってはおりますまい。もしかしてまだ、国内におられるかもしれません。そこで……」

「主君を、探していただけましょうか」

「いや、……そうして差し上げたいのはやまやまなのだが……」

「――何か?」

 アスティは眉を顰めて尋ねた。

「陛下……!」

 側近のひとりが慌てて止めようと声を荒げた。

「よい……ここまで身内のことをお聞かせくださっている。こちらも、協力できないのならその理由なりを話さないことには、申し訳がたたぬわ」

「……?」

 怪訝顔のアスティへ、

「実は、私の一人息子、今年で七つになるアドルリエ王子が、先日突然……何者かに拉致されたのです」

 アスティの顔色がサッと変わった。一人息子ということは、この世でたったひとりの世継ぎではないか。世継ぎがいなければ王国を継ぐものは誰一人としていなくなる。ひいては王国の滅亡、多くの人々が職と家とをいっぺんに失って浮浪しなければならないのだ。

「それ、それは……」

 あまりのことに絶句するアスティ。

「それで……相手からは、何か……?」

「金貨五十万枚を要求してきた」

「五十万枚……」

「なんとかかき集めれば出せないことはないが、それで王子が帰ってくるという保障も……それに相手が何者かもわからぬのでは手の出しようがない」

 国王の顔は苦渋に満ちていた。周囲を囲む部下たちも表情を曇らせる。

(なるほど……)

(他国の問題を手伝えるだけの余裕はないというわけね)

 しかしこのまま放っておくわけにもいくまい。主君セスラスもこの国の国王には特に世話になったと聞いたことがある。

「……」

 アスティは顔を上げた。

「陛下。つまりは、王国の方が動いては危険が多すぎる、だから迂闊には動けない、ということですね? だからといって王子を探索するほどの人員もおありではない。

 ――では陛下。ここはひとつ、私にお任せくださりませんか」

「なんと……?」

「貴国の方が王子を救出しようとすれば当然王子にも危害が及ぶでしょう。ですが私は他国の人間。一人ですから動くのに誰にも感づかれますまい。こういったことは、早急に動いたほうがよろしいのでは」

「……しかし……それでは貴殿が」

「いえ。他国の危機とみて、みすみす立ち去るわけには参りません。このまま主君に追い付いたとしても、主君はいい顔をしないでしょう。それに、主君は随分貴国にはお世話になったと、平生から聞かされております。ここはひとつ、私にお任せくださりませんか」

 大臣たちは顔を見合わせ、長老たちは国王の表情を仰ぎ見た。当の国王は、ただ硬く、口を結んで沈思しているのみ。

「――本当にお差し支えないと申される……?」

 アスティは何も言わなかった。少しも動かなかった。ただ、その黒い瞳をじっと国王にむけただけだ。その瞳にとらわれ、国王はつい、と目をそらすと、

「……では、お頼み申す」

 とうめくように言った。

「陛下……!」

「……しかし……っ……!」

「よい。私はこの方を信頼することにした。ここまで言って下さったのだ」

 いきりたつ大臣たちを諫めて、国王はアスティの方に向き直り、

「……よろしいのですな」

 と確認をした。アスティは黙って、強くうなづいた。

 国王は自分の無力さを恨むようなため息をついて天井を仰ぎ、しばらくして、

「……それでは、貴殿が帰ってこられるまでに、セスラス殿のことはお任せください」

 と言った。アスティには予想もしなかったことだが、自国の、しかも息子に関わる一大事に、何もできない国王にとっては、アスティにしてやれる精一杯のことであったろう。

「そうして頂けますか。ありがとうございます」

 それからアスティは立ち上がり、長老の一人に王子の細かい容姿や事件があったときのことを聞くと、

「早ければ早いほうがいいでしょう。ではこれにて失礼」

 と、一同に丁重な挨拶をして城を去った。彼女が去った後の玉座の間は、国王がその場にいるにも関わらず、ざわめきで満ちていた。

「あれがかの有名な……」

「――リザレアの参謀……」

「かの砂漠戦争の原因となった方だとか」

「なるほど、傾国の美女とは、ああいうものですか」

「それにリザレアの参謀といったら、魔神マイルフィックを倒伐した……」

 部下たちが囁きあうなか、ひとり国王は、苦い顔で傍らの預言者に呟くようにして言った。

「デュエ。どう思う」

「は……リザレア国王はあれだけ乱れた国をたった十年でまとめあげた名君でおられます。 おそれながら、剣の腕はおそらくこの北アデュヴェリア随一でございましょう。剣一本で国をまとめあげ、その実績は英雄の呼び名もうなづけます。また、あの参謀殿もかの魔

神マイルフィックを倒した英雄でおられる。さすがは上位魔導師ハイ・ソーサラー、あの方の剣の腕もまた尋常ではありますまい。ともかく陛下、今回のことは、あの方にお任せするしかないでしょう。あの方の魔力は凄い……。この部屋に入って、出ていかれるまで、このデュエ、体が凍りつきそうでございました……」

 国王は沈黙した。

 この預言者は他国のそれと同じく、代々の預言者から古代魔法王国ローディウェールの預言の記憶を引き継ぐため、死んでいった預言者たちの霊と意志によって選びぬかれた預言者である。

 何千年も前の古代の記憶をひきついでいくのに、凄まじい精神力とそれに伴う実力をもった預言者・デュエを、ここまで恐怖させるあのリザレアの参謀とはいったい、どれだけの力をもつ者なのだろう。

「陛下、あの方は信頼できましょう。他ならぬ魔法院の人間です」

 しかし、預言者デュエは、参謀アスティのまわりを取り巻く不吉な渦のことは、とうとう言うことが出来なかった。

 心底の恐怖ゆえ。

「砂漠戦争の原因となった……お方……」

 そして国王は、長老の一人が、感嘆するように呟いた言葉を、放心しながらも耳の奥で聞いていた。

「それにしても美しい……。悪魔のように……美しい……」

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