第Ⅲ章 闇に吟ず

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 その日の午後、アスティは武勇国カイレンに到着した。

 カイレンはその名の通り、多くの戦士鍛練場があり、わざわざこの国に来て自分のわざを磨き鍛え上げる者も少なくないという。現にアスティが街に入った途端、右側の建物から凄まじい掛け声が飛んできて、思わず顔を向けると、なるほど殺伐とした石づくりの鍛練場の中で、二人の戦士が他の者の見ているなか、剣の稽古をしていたものだ。さすがに武勇国と、アスティが妙に納得していたときのことだ、その騎士と出会ったのは。

 その時アスティは街のほぼ中心まで来ていた。出店などに目を馳せながら道を歩いていたせいか、向こうから来た騎士とぶつかってしまった。

「あ……ごめんなさい」

「こちらこそ失礼……」

 アスティはそのまま騎士に会釈して歩きだしたのだが、騎士の方はそのまま、アスティの後ろ姿を凝視して、しばらく街の雑踏のなか立ち尽くしていた。

「もし……」

 その騎士はすぐに追い付いてアスティに声をかけた。同じ声だったので、もしかして自分に声をかけているのだろうかと思い、振り向けば案の定先程の騎士だった。

「……なにか?」

 アスティは微かに警戒心を抱いて答えた。

「先程は失礼した。……失礼ながら、上位魔導師ハイ・ソーサラーの方とお見受けする」

「……」

「私は、この国のリディル公爵に仕えるディリエという者です」

 騎士に名乗られた以上はこちらも名乗らなければならない。

「……私は、アスティ・アルヴァ・ラーセといいます」

「その鷹の紋章……リザレアの方?」

「参謀です」

 ディリエと名乗った騎士は大きく目を見開いてアスティを凝視した。

 アスティとしては名を名乗った以上、隠し立てしても仕方ないと思ってしたことだ。

「これは……魔神マイルフィックを倒伐した方でいらしたか……!」

「いえ、それはいいんです……ご用件は」

「そ、そうでした……」

 騎士ディリエの話したことは、こうだった。

 なんでも、この国に無数ある内のひとつの鍛練場に通っているらしいのだが、そこで今度、彼の主君・リディル公爵の御前で試合を行なうことになったそうな。そして勝ったほうが、その鍛練場の正式な後継者となるのだとか。

「私は公爵にお仕えできればそんなものいらないのですが……いかんせん周りの者が言ってきかないのです」

 鍛練場の後継者となるというのは、この国では凄い名誉なのだそうだ。なにしろ主君の公爵が彼に試合に出るように言ったのだから、断るわけにもいかぬ。渋々ながら、そして不本意ながら彼は応じたわけだが、そこで生じた問題があった。

「公爵の名誉のため私は勝たなければなりません……後継者のことは、あとで辞退すればいいことなのですが……」

 相手は、二人の味方をつれているという。これは前もって申し出ていることだから別に卑怯でもなんでもない。

「三人と、あなたお一人で勝負するのですか」

 大した腕だと思った。そんな大きな試合に出るのなら、相手方もさぞかし腕が立つ者ばかりだろうに、勝ち抜きで一人とは、随分、無謀といおうか、なんというか。

「いえ、私も味方を二人用意できる立場なのですが……」

 騎士としての名誉がかかっている以上、もし負けたときのことを考えると、とてもではないが仲間には頼めないと、ディリエは苦笑した。そこまで聞いてアスティは、ようやく事のしだいがのみこめてきた。

「私に助太刀をしろと……?」

「先程ぶつかったときの貴殿の身のこなし……あれで私が味方をお頼みできるのは、あなただけだと……」

 食い入るような、そして避けられないくらいの強い眼差し。本人なりに必死なのだから、アスティが怯むのは当然だった。相手はなんでも、国内の小さな鍛練場の主で、これを機に大きな方へ移るのだと、息巻いているらしい。

「主君の名誉がかかっているのです。どうか、どうか……」

 と、頭を下げられてはアスティ、無下には断れない。三人の強力な戦士を一人で迎えうつ彼の、もうあとにひけない覚悟を胸に秘めてのことなのだ。負ければ主君の顔に泥を塗ったということで公爵に仕えるという役目を解き放たれ、騎士としての絶えられぬ屈辱を味わう。かといって申し出てきた仲間の言葉に甘えて助太刀を頼めば、彼らも共に免職の危機にさらされかねない。それで彼はひとりで戦う決意をしたのであった。

 そこから聞いてみるだけでも、相手がどれだけの強敵か推して知るべきだろう。

「……」

 アスティはしばらく黙っていたが、いつまでも頭を下げようとしないディリエにとうとう根負けして、

「私の身分を、明かさないという約束でなら……」

「引き受けてくださるか!」

 さっと顔を上げて叫んだディリエの顔には、アスティが怯むほどの明るいものが浮かんでいた。そんなにも嬉しいのだろうかと、アスティが思ったほどに。

「ですが私は用事があってこの国に参ったゆえ……」

「それは重々承知しております。試合は明後日となっておりますが、大丈夫でしょうか」「それなら大丈夫です。もともとあまり急ぎませんから」

 ディリエの家の場所を聞いて、とりあえずアスティは彼と別れた。なんともおかしなことになってしまったが、こうなった以上は引き下がれまい。大図書館に到着したアスティは、さっそく古代の意志たちにきいた本を探し回ったが、その間も騎士ディリエに聞いた話が頭からはなれなかった。自分の名を聞いてマイルフィックを倒伐した方と、顔色をかえた彼。

 マイルフィック……。

 思えば自分の名を大陸に知らしめたのは、かの砂漠戦争と魔神倒伐のこの二つ。

 前者はその美しさ、後者はその武勇の腕で。

(……)

 どちらも思い出したくはないのに、時とは非情なもの、人々は自分に会うたびこれを口にする、マイルフィックを倒伐した方ですねと。

 古代のことに関する本が置いてあるのは図書館の奥も奥、めったに人が近寄らない薄暗い場所だった。アスティは赤い革の本を探した。かなり探し回った気もするが、やがて一番奥の、一番上の棚にめざす本を見つけた。閲覧室へ行き誰もいないのをみはからってさっと口にする、

「ヌ・エ・ド」

 と。すると、どんなに開こうとしても貝のように口を閉じていた本はサラララと拍子抜けするほどに簡単に開く。アスティは注意して二百七十六頁を探した。

『石版―――――それは古代の秘密、究極にして最高の。その究極がどのようなものかは

記されることすら許されぬ、ただ許されるは、石版にてのみ。

 石版をただ集めるだけでは究極はその手に落ちぬ、揃えるべきは、三つの神器』

(三種の神器……?)

『神器は石版に記される。その力は一にして三、三にして一。

 三つ揃って初めて究極への鍵が開かれる、神器のちから』

「三種の神器……」

 アスティは呟いて本を閉じようとした。それ以上、石版についてはなにひとつ書いていなかった。ところが閉じようとした途端、アスティの体が何者かの術にでもかかったように、突然金縛りにあった。

(!?)

 誰かいるのだろうかと思って瞳だけを動かしてみたが、まわりには影すら見えぬ。

(―――――)

(しまった!)

 アスティの体を金縛りにかけているのはこの本、まさしく古代の意志たちが言った、この本は人を喰うと。アスティはギリ、と奥歯を噛んだ。瞳を閉じ雑念を払い、焦燥に駆られたわが心を落ち着ける。

 突風が駆け抜けるような衝撃を感じ、アスティは目を開ける、金縛りはいつしか解け、本は閉じている。

(つけこまれた……)

 その後どうやっても、本は開くことができなかった。アスティは本を元の場所へ戻し、大図書館を後にした。

(魔神を倒した、その匂いを私からかぎとったのだろうか……)

 本のことをぼんやりと考えながら、アスティはいつのまにか騎士ディリエの元へ向かっていた。既に日は落ち、薄闇が街を支配する時間。

 ディリエの家は郊外にある、小さいが清潔な家だった。ディリエは既に家にいた。アスティが訪ねると、それは喜んで彼女を迎えた。食事をもてなされ、アスティはしばらくそこにいた。騎士は独身で、一人暮らしだと言っていた。食事のあと二人は、当日の綿密な打ち合せに入った。

「……それでは最初の二人は、私が引き受けましょう。当のお相手とは、あなたがおやりなさるのがよろしいでしょう」

「わかりました。本当にお心には、感謝しています」

「いえ……」

 アスティは微笑した。その微笑の、光のはじけるようなまぶしさに、ディリエは知らず胸の鼓動を感じていた。

 これが、二つの国に戦をさせたまでの微笑か……。

 ディリエは慌てて目をそらした。

「ただ騎士殿の、清いお心に気持ちを惹かれたまでです」

 そういってからアスティは、そろそろ帰る時間だといって立ち上がろうとした。そこへディリエが、

「どこに泊まっておいででしょう? 明日お訪ね致しますが」

 と言ったところで、アスティの顔が青くなった。

「……」

(やっちゃった……)

 宿をとるのを忘れていたのである。

 突然出会った騎士、その申し出、そして図書館の本のことで頭がいっぱいで、アスティは自分の宿のことなんて、さっぱり忘れていたのだ。

(さて困った……)

(どうしよう)

「アスティ殿?」

「いえ……宿をとるのをすっかり忘れていました。どこかで適当に……」

「ですが今はちょうど時期なので、どの宿も夜には満員ですよ」

「…………」

 アスティは黙りこくった。どこかで野宿するしかあるまい。

 しかしつくづく思ったのは、自分の馬鹿さかげんの一言につきる。

「えーと……」

 アスティは振り向きながら呟き、

「また明日、私から参りますので。お時間を教えていただければ」

「……野宿するおつもりなので?」

 見抜かれている。ええまあ、と、あいまいに答えたアスティに、騎士はしかし、立ち上

がって言った。

「なれば、不躾ですが、我が家をお使いください」

「―――――は?」

「このような狭い家で申し訳ないが、客間をお使いください。考えれば恩人の女性になにもお礼をしないのも無礼なこと」

「ですが……」

「いえ、していただかないと困ります。これくらいのこと、しないと私の気が済みません」

「……ではお言葉に甘えて……」

 野宿などなんでもなかったアスティだが、こうして言ってもらった以上は、野宿などしないですむほうを取るのが人情というもの。素直に彼の言葉に従った。

 湯をもらい、その日は早々に休んだ二人であったが、それまでほんの少し語り合った。「当国には、いったいどのようなご用件で……?」

「―――――」

 アスティは一瞬黙った。少し考えたが、セスラスのことだけ言わなければいいだろうと思って、こう言った。

「実は、石版を探しているのです」

「石版を……」

 ディリエの顔色がちょっと変わった。それはどちらかというと、石版に対する常人が見せる恐怖や未知の表情と違って、なにかハッとしたような顔だ。

「何か?」

「あ、いえ……」

 そこでしばらく二人は別段とりとめもないことを語り合い、そしてそれぞれの部屋で眠った。

 朝起きると、いい天気だった。

 食堂へ出るとディリエはいなかったが、奥の間から人が気合いを入れる声が薄く飛んできた。アスティが行くとそこは、小さな正方形の部屋で、ディリエはそこでひとり剣の練習をしていた。アスティはしばらくその鋭い太刀筋に見とれていたが、やがてディリエの方が気が付いて、照れたように挨拶をしてきた。

「さすがに公爵様が見極めただけあって、いい腕をなさっているのね」

「いえ、まだまだです」

 軽く汗のにじんだ顔を傾けて、ディリエは恥ずかしそうに言った。相手の腕がどうかはよく知らないが、太刀筋を見たかぎりでは、アスティは彼が勝つのではないかと思った。 剣の練習をしていたのは、今日に限ったことではないのだろうが、念が入っていたのは、試合が明日なので不安なのだろう。

 剣をスラリと抜き、

「一本、稽古をつけましょうか」

 言うと、騎士の顔が冷水でもかぶったようにハッとして、

「お願いいたします」

 と緊迫した声で言った。二時間ほど汗を流して、これから公爵のもとへ行くというディリエの話を聞き、アスティは、

「では私はもう一度図書館に行きます。日暮れまでには、帰ってきますので」

 と言って、家の前で二人は、右と左に別れた。

 アスティが大図書館に向かったのは他意あってのことではない。どうせ退屈な身体、有名な大図書館でゆっくり本でも読もうと思ったのだ。

 そこで本を読み耽るアスティは、だがしかし、目で文を追ってはいても、まったく別のことを考えていた。昨日の本のあった場所へ行ったのだが、そこにはもう、あの本はなかった。


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