第3話
翌朝、俺はいつも通り8時頃に起床した。それから、昨日のことを思い出して、
「未来……起きたか……?」
と、目を擦りながらベッドの上を見る。しかし、そこに未来の姿はなかった。
その瞬間、俺は完全に目が覚めた。ガバッと飛び起きて、まず部屋を見渡す。だが、当然ながら未来の姿はなかった。俺はその場で膝をついて、床を叩きつける。
「クソ……なんで……」
俺がのうのうと寝ている間に、未来は攫われてしまったのだと、そう確信した瞬間だった。
「朝からうるさいよ。下の階の人に迷惑でしょう!」
そこには、パジャマを着てトーストを咥えた未来の姿があった。
「あ……未来……」
言葉にならない声を発し続ける俺に構わず、未来は喋り続ける。
「だいたい、もう8時なんだけど!こんな生活してちゃダメだよ!ほらさっさと朝ごはん食べて!」
「はあ?お前何時に起きてんだよ?」
「6時!そのくらい普通でしょ!?」
「いや早いだろ!」
そんな会話をしながら未来に手を掴まれ、俺はリビングまで連れて行かれた。
「あ、いや……朝飯なんて……」
俺の言葉を遮って未来は叫ぶ。
「朝ごはんも食べてないの!?」
「あ……いや、その……」
「その調子だと、お昼ごはんも食べてないんじゃないの?」
「……」
俺は言葉に詰まってしまう。図星だった。
「まあ、今日からは私が作るから安心して!」
ドン、と自分の胸を叩く未来に頼もしさを感じながら、俺は渡されたトーストを頬張るのだった。
俺は、一応大学生だ。東京都内の、かなりレベルの高い大学に通っている。仕事と大学を両立させるのは、最初こそ苦労したものの慣れてしまえば簡単だった。事前にスケジュールを決めておいて、その通りに毎日を過ごす。それだけで、自分の生活を規則正しいものにできる。
俺はカレンダーを見る。今日の日付には、青色で丸が書かれていた。大学に行く日は青、仕事に行く日は赤で丸がついている。俺がクローゼットから制服を取り出して着替えている間、未来はキッチンで何かしていた。昼に何か作って食うのだろうか。そんな事を考えながら俺がリビングへ行くと、
「はい、これ」
未来から、巾着で包まれた何かを渡された。袋の口は、紐で結ばれている。
「なんだこれ……?」
「見たらわかるでしょ!お弁当だよ!」
「はぁ?弁当?」
そんな素っ頓狂な言葉を上げる俺に、未来はこちらを指さして言う。
「お昼ごはん!食べてないんでしょ!」
「いや、学食とかコンビニとかあるから……」
呆れながら言う俺に、未来は指をさす対象を俺の持っている弁当に変えながら、
「そうでもしないと食べないでしょ!お兄ちゃんが自分で買って食べるなんて!」
「ッ……」
図星……でしかなかった。まるで俺の心がわかっているかのように
「『こいつは俺の思考をズバズバ言い当ててくる。』」
「えっ、怖っ」
言い当てられて、俺は本気でドン引きしてしまう。もう……なんというか、気味悪さを感じるレベルである。
未来は一度咳払いしてから、
「とにかく、これ持ってって!」
と、その弁当を俺にぐいぐい押し付けてくる。
「わかったよ、わかったからそんなに押すなって!」
俺は震え声で叫び、
「んじゃ、またな!」
と、逃げるようにその部屋から出ていき、そして……。
「やっべ、荷物全部忘れた……」
と、手元に残ったただ一つの弁当を見つめながら、呆然と呟くのだった。
大学にいる間も俺は未来のことばかり考えていた。別にいやらしい理由とか、そんなものでは断じてない。単純に、疑問なのだ。彼女の存在そのものが。そうなると、大学の講義など全く耳に入らない。講義に出ることが少ない俺からすると、こういう考え事をしてしまうのはいいことではない。もっとも、こんなもの聞かなくても成績トップでいられる俺からしたらどうでもいいことではあるのだが。
そんな状態のまま時間が経過し、昼頃になっていた。
「随分と、考え込んでるようだね」
「んあっ!?」
葉介から急に話しかけられて大声を出してしまう。そしてすぐに落ち着いて、一度咳払いをしてから
「……何の用だ」
「いや、何考えてるのかなって」
「ん……いや……」
俺は、言葉に詰まった。能力のことを話していないために、未来をどう説明したらいいかわからなかったからだ。
しかし、葉介はそんなことを一切気にせず、身を乗り出して
「まあいいや。そんなことよりさ!」
と話し始めた。
「一旦落ち着け、な?」
「あ、ごめん。いやね、昨日友達と飲みに行ったんだけど」
「おん」
参考書をカバンに入れながら返事をする。
「そこの料理がすごく美味しかったから、今日行かない?」
「ああ、いいよ。暇だし」
「んじゃ、今日七時で」
そんな会話をしながら、俺たちは講堂を出て帰路についた。
「はあ?飲み会?」
家に帰って、未来に飲み会に行く旨を伝えると怪訝そうな顔でそう返された。
「ああ。今日七時に待ち合わせ」
「三日前行ったばっかじゃん!ダメだよそんなの!」
「いいんだよ!三日くらい連続で行った日だってあるし」
俺が大きな声で叫んでも未来は引き下がらない。
「不健康不健康!今すぐ取り消して!」
「んなっ……何様だよお前は!」
「何様って……それは……」
最強の言葉、「何様だよ」である。これを使えば、大体の奴は引き下がる。それは、未来も同じだった。未来は俯いて黙り込んでしまった。その姿に罪悪感を感じた俺は、
「……悪かった。言い過ぎたよ。だけどお前も俺の生活に干渉し過ぎないようにしてくれよ?」
そう言い残して自室に向かおうとしたのだが、そんな俺に未来はまだ話しかけてきた。
「私は、お兄ちゃんに長生きしてほしいから言ってるのに……」
その言葉に、俺はしばらく沈黙したのち、
「……それも、お前が気にすることじゃない」
と答え、未来に背を向けたまま自室へ入り、扉を勢いよく閉めた。
「あ、葉介?今日の飲みの事なんだけどさあ」
部屋に戻った俺は葉介に電話をかけていた。
「うん。いや、急用が入っちまって、行けなそうなんだよ」
と、葉介に伝える。だが葉介以上に、隣の部屋にいる未来に向かって言っている言葉であった。
俺の声が聞こえたのか、部屋の扉が少しだけ開いている。見ると、未来がこちらを見つめている。俺は気付いていないふりをしながら電話を続ける。
「ああ、予約とっちゃった?悪い悪い。キャンセル料は俺が出すよ」
『君が約束を取りやめるなんて珍しいね。どうしたの?』
「まあ、ちょっと事情がな」
『そっか……。まあ、君のことだしいろいろ事情があるんだろうね』
寂しそうに言う葉介に罪悪感を感じた俺は、
「それじゃあ、そういうことで」
俺がそう言って電話を切ろうとした瞬間だった。部屋の扉が勢いよく開いて、未来が駆け込んできた。そしてそのまま俺が手に持っていたスマホを奪い取って、
「もしもーし!」
そう、電話に向かって叫んだ。
「バ、バカ!やめろ!」
スマホを奪い返そうと手を伸ばすも、その手は簡単に避けられてしまう。
「薩人?の妹です!よろしくー」
絶望感に包まれた俺はやっとの思いで起き上がり、
「スマホ……カエセ……」
と呻きながら未来の手を掴んでスマホを奪い返す。
俺は手に握られたスマホを見て安堵しながら、それを耳に当てる。
「もしもし」
俺が言うと、
『えっ……と、さっきのは……』
という気まずそうな声が聞こえる。
「気にするな……ってのも無理な話だよな。しょうがない。1から説明しよう」
俺は一度大きくため息をついた後、話し始めた。
『へえ、面白いね。』
説明が終わって、葉介が発した第一声はそれだった。未来のことは説明したが、もちろん能力のことは話していない。だから、俺が未来を家に置いてるのは彼女に頼まれたから、ということにしておいたのだ。
『というか、君が頼まれて家においてあげるなんて、どんな事情があるんだろうねえ。相当かわいいとか、かなあ。』
「まあ、かわいいはかわいいぞ。可能ならおまえにも見せてやりたいところだ」
『じゃあ、晩ご飯食べに行く?酒飲まなければ大丈夫でしょ。』
「ああ、いいかもな」
『じゃあ、それでいこう。店は駅前の焼肉屋かな?』
「結局飲み屋みてえなとこじゃねえか」
ついツッコミを入れてしまったものの、焼肉は悪くない。みんなで肉をつつくだけで、なんだか親しくなったような気分になるからだ。だから俺は結局同調することにした。
「……まあ、いいや。じゃあ七時にそこで」
『オッケー。じゃあまた後でね。』
「うい。また後で」
そう言い残して俺は電話を切った。
電話を切った瞬間、未来が話しかけてきた。
「七時にどこへ行くのさ」
「……駅前の焼肉屋だ。酒は飲まねえから安心しろ」
「……信用できない。私も行っていい?」
怪訝そうな顔をする未来を指さしながら、俺は告げる。
「いや、お前も来るんだよ。顔合わせみてえなもんだ」
「へっ!?私も!?」
「そう。六時半には出るから準備しとけ」
「その、葉介……さんに会うの?」
少し顔を赤らめている未来。葉介の事なんだと思ってるんだこいつ。俺はため息を吐きながら、
「そうだよ」
と返す。すると、未来は自分の服の裾を掴んで
「ちょっ、綺麗な服とかまだ持ってないんだけど!?」
「いらねえだろ!焼肉屋だぞ!」
そんな問答を繰り返していると、あっという間に家を出る時間になっていた。
「ほら、もう行くぞ」
「……もー、今回だからね。明日は服買いに行こ」
「わかったわかった」
未来を制止しながら、俺は靴を履いて外に出る。
「うわ、寒っ!」
外に出た途端、未来が叫んだ。
「そりゃ寒いに決まってんだろ。上着着てこなかったのか」
「上着なんて持ってないよ」
「……そう、か」
思えば、出会った時も上着は着ていなかった。
「しゃーねえな……」
俺は小さく息を吐いて、自分の着ていたコートを未来に手渡す。
「これでよければ着とけ。寒いよりかはマシだろ」
未来はしばらく黙ってこちらを見ていたが、やがてコートを受け取って
「お兄ちゃん、案外優しいとこあるんだね」
と言いながらそれを羽織る。
「まあ、今回はこっちが付き合わせてるようなもんだからな」
俺は一度身震いしてから、カバンの中から鍵を取り出して家の鍵を閉める。そして、ゆっくりと歩き始めた。すると、俺のスピードに合わせて俺に並んで歩くように未来がついてきた。暖かいコートを着て笑顔で俺の横を歩いている未来を見ながら、俺はコートを渡したことを少しだけ後悔することになった。
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