第5話 百合文学同好会へ

 寮の食堂の壁には大きなコルクボード製の掲示板がある。それは生徒用のもので、様々なサークルの入会案内や芸術専攻の子の個展や演奏会のポスター、新聞部によるペーパーなどが貼られている。毎日のように新しい掲示物が増えるので、私は楽しみにしていた。今日も、最後の授業が終わってから夕食が始まるまでの間、手を腰の後ろで組んで鼻歌を歌いながら眺めていた。

 ぴ、っと何かが目から脳を貫いた気がした。服の袖で目をごしごしとぬぐい、自分をひきつけたそのポスターに顔を近づける。詰襟の学ランを着た男の子が描かれていた。彼は胸の前に分厚い本を抱え、上目遣いでこちらを見ていた。アナログのペン画だろうと思った。繊細な筆遣いで、潤んだ目の光や髪の跳ねが表現されている。絵の下には、「百合文学同好会 5/20読書会を開催します」と手で書かれていた。

 百合って何だろう。読書会というくらいだから本好きの集まる会なのだろうが、【百合】の二文字の意味が分からない。首をひねっていると、とつぜん耳元にふっと何かが触れた。ぎょっとして飛び上がる私のそばで、女の子がクスクス笑っている。名札に、高等部三年生であることを示す緑色のラインが引かれている。淡いミルクティー色の髪をツインテールにした彼女は、ナイフですっとなぞったような目をさらに細めた。

「あなた、一年生ね。興味あるの?」

「な、なんですか」

「見てたでしょ、読書会のポスター」

「は、はい」

 初対面の上級生の前で緊張してしまって、「百合って何ですか」という言葉が喉の奥で詰まった。

「サークル室の場所、分かんないでしょ。時間になったら、あたしが寮の部屋まで迎えに行ってあげる。二階? 三階?」

「三階の角部屋です」

 上級生の顔が、口角を上げたまま凍り付いた。けれどすぐに元の笑顔に戻る。

「あたしは、日菜野(ひなの)。あなたは……湖波ちゃんね。じゃ、そういうことで」

 ひなの先輩は私の肩をぽんと叩くと、夕食の受け取り口の方へと歩いて行った。いつの間にか、お盆を持つ寮生の長い列ができていた。


 夕食の後、私は事務室に向かった。当直の保味先生がいるはずだった。ドアを叩くと、思った通り先生の硬質な声がした。内側から、ドアが開かれる。濃いコーヒーの香りに包まれて、ほっとする。

 私がさっき起こったことを話すと、先生は備え付けのデスクトップパソコンに何やら打ち込んだ。

「学園のデータベースによると、百合文学同好会は学園公認の部活動みたいだね。顧問は井口先生だ」

「そうなんですか。私はてっきりアングラ系の何かかと」

「百合って所?」

「【百合】の意味は分からないんですが、なんとなく」

 先生が苦笑いをする。

「百合って言うのは女性同士の関係に焦点を当てた作品のことだね。僕は好きだけど、まあ、色々な文脈があるにはあるから……」

 そう言ってから、先生は寂しそうに笑った。


 ひなの先輩が迎えに来る前に、保味先生と私は校舎別棟にある百合文学同好会のサークル室に向かった。所々がへこんだ鉄製の扉に、先日見た読書会のポスターと同じものが貼られている。

「失礼します」

 先生がドアを開ける。私は思わず、ひゃっと声を上げてしまった。

 十畳くらいある部屋の真ん中に敷かれたカーペットの上に、三人の女の子たちがもみくちゃになって寝転がっていた。スカートのすそがめくれあがり、下に履いている黒パンがあらわになってしまっている。ベリーショートの子のお腹の上に頭をのせて本を読んでいるのは、ひなの先輩だった。先生の顔と私の顔を交互に見て、

「迎えに行くの忘れてた」

とぺろりと舌を出す。

 部屋の奥にあるソファーには、さらさらの黒髪を肩甲骨の下まで伸ばした先輩が座っている。彼女が私たちに手招きした。

「新入生さん、こちらに座って。私が部長の佐々木です。保味先生も、ご足労ありがとうございます。一度、先生と話してみたかったんです」

 ひなの先輩にぴったりくっついていた小柄な子が、ふふっと笑い声を漏らした。

「保味先生、部長の好みどんぴしゃだもんね。ボーイッシュ僕っ娘お姉さん。ねえねえ、湖波ちゃん気付いた?」

「何がですか?」

「ポスターの詰襟の子、女の子だってこと。部長が描いたんだよ。骨格とかにこだわってるんだよね。あ、私はマリモ。二年生」

「は、はい」

 きょとんとする私に、マリモ先輩は意地悪そうに笑いかける。

「なーんか、不思議な子だね、君。オタトークとかあんまりしなさそう」

「本はけっこう読みますが……」

「そういうことじゃないんだけど、まあいっか」

 佐々木部長、ひなの先輩、マリモ先輩。ベリーショートの子は一年生の山田さん。その四人が、百合文学同好会のメンバーだった。彼女たちの奇妙な親密さに、私はどぎまぎしてしまう。そんな私の頭に、部長はぽんと手を置いた。

「入部ありがとう、湖波さん」

 そう言って、怪しく笑った。

【つづく】

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