第4話 秘密の花園

「君って、友達がいないんだね。放課後はずっとこの部屋にこもってる。私と一緒だ」

 その夜も、少女の幽霊は私を眠りから引きずり下ろした。手の甲で目をこすりながら、ベッドの下をのぞく。少女は窓枠に座り、透き通った星空を背負っていた。薄っすらとした光が、彼女の顔に陰影を作っている。

「先生に、病気で亡くなったって聞きました」

 微笑を浮かべていた少女は、きょとんとした。

「え、誰が?」

「……あなたです」

「なるほど」

 少女は胸の前で腕を組み、うつむいた。何かを考えているように、一点を見つめている。ずいぶん経ってからふうと息を吐き、私を見上げた。

「公には、そういうことになってるのか。いや、それとも私が殺されたことにみんなは気付かなかったのかな?」

「え、今なんて言いましたか?」

「殺されたんだ、私。毒殺されたんだよ」

 少女はにかっと笑い、そして消えた。私は思わずまばたきをした。普通の生活では、そこにあったものが突然消えるなんてことはめったにない。だから、脳が追いつかなかった。

 布団をかぶり直す。あの少女はただの幻だったのだと思いたいが、保味先生にも見えるらしい。急に寒気がして来た。初めて現れた日、「私は見えないときもずっとここにいるよ」と言っていた気がする。今も、私のことを見ているのだろうか。

 二人部屋を独占できると思ったときは嬉しかったけれど、とんでもない、幽霊と相部屋だなんて。寮を管理している厳しいシスターに「部屋を変えてほしい」と頼む勇気はなかった。人に理解できる理由があるわけでもないので、なおさらだ。

 次の夜も、少女の幽霊は現れた。

「ねえねえ、知ってる? この学園の敷地内には、秘密の花園があるんだよ」

 少女は手の甲を口に当て、くっくっと怪しく笑った。

「入学してすぐに校内を全部案内してもらいましたが、そんなスペースありませんでしたよ」

「外じゃなくて、室内にあるんだよ。444番教室の中では、色々な植物が育てられてる。中に入れるのは、秘密サークル『園芸部』のメンバーだけなんだ」

「はあ、そうなんですか」

「面白くなさそうだね。悔しいから、秘密をもう一つだけ教えてあげる。私の本棚にある谷山浩子のアルバムの中に、鍵が入ってる。その部屋の鍵だよ」

 少女が本棚に向かって手をひらひらさせるので、仕方なくベッドから降りた。CDケースを手に取り開けると、すとんと何かが床に滑り落ちた。おとぎ話に出てくる魔法の鍵のような見た目のそれは、手に取るとサビが指先に刺さってざらざらした。ぽろり、と破片がこぼれ落ちる。鍵として機能するのか怪しい。凝った彫刻は、どうやら薔薇をモチーフにしているようだ。

「これ、だいじょ……って、もういない」

 いつの間にか、少女の姿は消えていた。


 放課後、私は講義棟の四階でさまよっていた。教室には東側から順番に番号がふられており、443番と445番は見つかったのだが、その間の444番がどこにもなかった。

 4のぞろ目なんて不吉だから、欠番にしているのかもしれない。

 幽霊の言うことなんて、現実ではない気がした。肉体や脳を失った魂が、物質世界を正しく認識できているとは思えない。

 諦めて寮に帰ろうとしたとき、たまたま通りがかった保味先生に話しかけられた。

「何をしてるんですか、湖波さん」

 先生は、いつも違う色の棒ネクタイを付けている。今日は紫色だなあ、と思いながら胸元をぼんやりと見ていると、先生は恥ずかしそうに目線を泳がせ、私の耳元に口を寄せて来た。

「実は、ブラジャーのホックが壊れてしまいまして、今付けてないんです」

 一瞬、頭が真っ白になった。

「せ、先生。いくら女同士だからって、そんな話しないでください」

「あんまり見るもんだから……」

 先生はため息をつくと、すっといつもの穏やかな笑顔に戻る。

「何かを探してたんですか」

「444番教室を探してるんです」

「ああ、それならこっちですよ。443番教室の中にある倉庫のことです。鍵が壊れてて入れないみたいなんですが」

 黒板と、席が百ほどある階段教室の奥に、精密な彫刻がなされた木製の扉があった。幾輪もの薔薇のモチーフが、鍵穴を取り巻いている。私はポケットから鍵を出した。同じ意匠だった。

「それ、もしかして」

 先生が目を丸くする。

 なんとなく、開けてはいけない気がした。何か恐ろしいことが起こるような、予感があった。けれど、好奇心がわき上がってくる。そもそも、この学園に来た時から既に現実感を失っていたのだ。夢の中なら、何をやっても良い。

 思い切って、鍵を差した。ゆっくりと回すと、何か重いものを持ち上げるような感覚があり、がちゃりと音がした。開いたようだ。

 先生が、ためらいもせずにドアノブを引く。その瞬間、むっと甘い香りが溢れ出した。

「おかしいな。よく手入れされてる。誰かが定期的に通ってるんだ」

 先生の背中の向こうをのぞき込む。そこは、ちいさな植物園だった。ガラス張りの天井からは鮮やかな花々が吊るされ、壁には一面にツルが這い、床にもプランターがびっしりと置かれている。その間に、一人がやっと通れるほどの小道があるのだった。先生がその小道を進もうとするので、慌てて腕にすがった。

「誰か来る前に、戻りましょう」

「どうしてですか、湖波さん。別に、何も恐れる必要はないでしょう」

「お願いだから」

 先生は不思議そうな顔をしたけれど、引き返してくれた。ドアを閉め、鍵をかける。

 私たちは並んで、寮に向かって歩き出す。生徒たちで騒がしい渡り廊下を歩いていると、ようやく心が落ち着いてきて、今なら言えると思った。

「先生、気付きましたか。あそこにあった植物、全部、毒があるやつです」

「そう言えば君は、植物学の教室を受けてましたね」

 先生は、それ以上は何も言わなかった。

 私は、幽霊の言葉を思い出していた。

 ――毒殺、

【つづく】

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