第3話 幽霊、月を背負って
「君の本棚、半分くらい私のと同じのが入ってるね」
硬質な声がして、私は目を開けた。二段ベッドの上の段に寝ている私を、誰かが見上げている。彼女は部屋に一つだけある窓の枠に座っていた。背中に、薄い月を背負って。切り揃えられたショートボブの髪は、ナイフのように鋭くつやめいている。ラピスラズリと同じ光をたたえた目が、私を斜めに貫いた。
私は上半身を起こし、彼女の方を向く。
「どこから入ったんですか」
「ここは私の部屋だもの」
少女は当たり前のように言った。
「卒業して鍵を返却したんじゃないんですか」
「私は卒業してないよ。その前に死んだから」
「……私、霊感はないんですが」
「不思議だね。きっと魂の波長が合うんだよ」
少女は微笑む。人差し指を立て、角の上がった唇をそっとなぞった。
「はっきりさせとかなくちゃね。私はどこかから入ってきたんじゃない。ずっとここにいるんだよ。君に見えないときも、ね」
少女の姿がぼやけたので、私はパジャマの袖で目をこすった。顔を上げたとき、既にそこには誰もいなかった。月だけが、頼りなげに浮かんでいる。
「事故物件じゃん……」
私は霊の存在を信じない。さっきの少女は、単なるまぼろしだったのかもしれない。あるいは、夢の続きか。――それにしては、あまりにも他者としての手触りが強かった。
この学園では、朝、クラスごとに集まってホームルームを行う。保味先生が点呼を取り、必修の授業の予定を確認する。生徒同士で当たり障りのない情報交換をし、それぞれ選択している授業が行われる教室へと散ってゆく。
生徒たちの姿を見送りながら微笑んでいる先生の前に、私はおずおずと進み出た。
「どうしたんですか、湖波さん」
「こんなこと、聞いて良いのか分からないんですが」
先生はへにゃりと笑った。
「遠慮しなくても良いんです。僕には何でも聞いてくださいと言ったよね」
あの、と言いかけて口をつぐむ。逡巡し、必死で考えて言葉を選ぶ。
「あの、ここ最近、寮で事故か何かがあったんですか?」
先生がきょとんとする。
「そりゃまたどうして」
「私の部屋、前の人が荷物も持たずに出て行ったみたいで。バタバタするようなことがあったのかな、と思ったんです」
先生の顔から、ふっと表情が抜け落ちた。顎に右手をやり、視線をそらせて考え込むような仕草をする。
「もしかして、誰か会うはずのない人と会いましたか」
「先生は何か……知ってるんですね?」
「僕には霊感がある、それだけです。事故ではありません。その子は急病で亡くなったんです。ああ、これは彼女に聞いたわけではなく、教員として知っているだけだけどね」
先生はちらりと、壁に掛けられた時計を見た。
「君の選択している教室が始まるまで、まだ時間があるね。ちょっと外の空気でも吸いに行こうか」
私たちは、浅い池を囲む回廊をゆっくりと歩いた。水の跳ねる音に重なって、聖歌を歌う声が聞こえてくる。音楽の授業が始まったのだろう。「谷川の水を求めて」という歌だった。キリスト教徒でない私には歌詞の意味は分からないが、聞いていると不思議な感覚に包まれる。どこか知らない、外国の村の美しい風景が浮かぶような気がする。
「君が会ったのは彼女の魂の残り香です。その子本人ではありません。だから、同情したり深入りしてはいけないよ」
「先生は、生きてる人にもそうでない人にも、深入りしたくないんですね」
「――その通りです」
先生の横顔は癖の強い髪に隠されて、表情が読み取れない。けれど、声は震えているように聞こえた。
良くないことを言ってしまったと気付く。
怯える私に、彼女は穏やかに微笑みかけた。
「大丈夫、大丈夫」
【つづく】
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