半月の歌
弾き語りがしたい。ヘッドホンで消音で弾くしかないことがもどかしい。それでも演奏したい衝動が勝るから、歌のないバージョンで順番に私の八曲を弾いていく。
四曲目を弾いている最中に、急にさっき見た半月のイメージが浮かんだ。受け皿のようになった半月に涙を溜めていく。その涙は英太の涙だが、雪子の涙かも知れない。今はまだ分からない。今日の戦いが根になっているのは間違いない。
残りの曲を弾いて行く。半月のイメージは曲達の脇にずっと佇んでいた。
八曲目を弾き終えて手を下ろした。半月がその拍子に胸の中心に飛び込んで来る。私は半月のことでいっぱいになる。
この半月は「涙の月」だ。
胸に宿ったイメージを表現するコードを音階を探し始める。いつものことだが、音が先なら歌詞は後でいい。逆のこともあるが、今回はこの順番に既になっているのだから、そのまま進むのが自然だ。メロディーの種が生まれ始める。繋いでみたり、ずらしてみたり、分断してみたりする内に連鎖反応をするようにポコポコとメロディーが増えて行く。まるでポップコーンを作るときみたいだ。
私は多分天才じゃないから一気に答えを知ることは出来ない。泥臭く、ブロックを積んでは壊すように組み立てるしかない。実際に弾いてみて判断してゆく。
強烈なイメージが褪せる前に、それに私が漬かっている間に原型を作らなくてはならない。それさえ出来ればイメージがそこに保存されるから、後で編曲はいくらでも出来る。逆に途中で間を開けるとイメージがブレてしまい、それはそれで面白いのだけど、別の曲になる。半月の曲を今は書きたい。だから、今ここで決めなくてはならない。一度逃したら二度と出会うことは出来ない。
後回しにする予定だったが、弾きながら歌詞の種も生まれる。「涙」「半月」は当然として、イメージの根拠になっている英太と雪子のことが「感情で愛して」「理性で別れる」「ゲーム」「嘘のつけない嘘つき」とフレーズの種になる。譜面立てに置いた紙にメモを残す。だが今注力したいのはメロディーとコードだから、メモよりは深めない。
曲の芯が固まった感触を得て、その上にアレンジを、アイデアを、乗せていく。いくつものバージョンを作り、不採用なら流して行く。消える多くのバージョンを弾くことで、さらに曲の芯が固くなる。私に刻まれて忘れなくなる。それを延々と繰り返す。
……これが「涙の月」だ。
あくまでも今日の段階でのだが、到達すべきところまで来た。きっと忘れることはないし、明日になっても弾くことが出来る。同時に、燃え尽きた、創造的エネルギーがもう残っていない感覚がある。
手を下ろす。
体が汗でベトベトになっている。「涙の月」を作り始めたときには青く燃えていたが、今は真っ赤に燃えている。胸の中で「涙の月」を流してみて、曲に命が宿っていることを確信した。
満ち足りた気持ちで風呂に入る。バスタブで鼻歌で新曲を歌う。きっとこの子は私の九曲目になる。
風呂から上がったら、おさらいをする。明日もあるので三回だけと決めて「涙の月」を弾く。まだ毎回違うアレンジになる。テンポと基本的なコード進行はほぼ固まっている。
「今日はここまで」
布団に入る。新曲が頭の中をくるくる流れながら、英太と雪子とのやり取りが反芻される。「こんな女がくっついている男なんて気持ち悪い」って、やっと別れるつもりになったから反論しなかったが、こんな女って何だ。そもそもくっついてなんかいないし。あれは負け惜しみじゃなかった。私と関わりを絶ちたいと心底思ったのだと思う。そう言う顔をしていた。勝敗じゃない形にすることで敗北せずに私の言うことを通した。したたかな女だ。やっぱり、英太は雪子と別れて正解だ。
――その子犬は暖かかった。
小学校への通学路に子犬が捨ててあった。朝はなくて、帰り道に見付けた。
「うちでは飼えないから無理」
「うちも」
一緒に通学していた
「夏夜ちゃん、僕達先に行くね」
「うん。バイバイ」
「バイバイ」
残された子犬と私、うちだって犬を飼えないことは分かっている。だが、私は子犬を置いて行くことが出来なかった。絶対にダメだと言われると思いながら、それでも懇願すればママもパパも考えを変えてくれるかも知れない。そう願いながら子犬を抱いて家まで帰った。
「夏夜、うちでは動物は飼えないのよ」
「分かってる。だけど、飼いたいの。この子が私をじっと見ていたの」
「ダメなものはダメ」
「でも」
私は子犬を抱き締める。
「じゃあ、本当にその子が夏夜のことをずっと見ているが、試してみよう。それが違ったら、諦めなさい」
「分かった」
私達は子犬が元いた場所まで連れ立って行き、箱の中に子犬を戻した。
「じゃあね。でも、ずっとじゃないよ」
「さあ、行くわよ」
私達は五歩歩いて振り返った。子犬は私を見ていた。
「ほらね」
さらに五歩歩いて振り返った。子犬は私を見ていた。
「ママ、ほら、ね」
ママは頷いて、さらに五歩歩いた。
せーので振り返ると、子犬は反対側から近付いて来ている別の女の子の方を見ていた。
寝返りを打つ。
月と子犬。歌詞次第だけど、こっちの方が合っているかも知れない。
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