今日の分の涙

 ふぅー、と英太が大仕事を終えたみたいに脱力する。私はさっき噛み潰した分と合わせて二倍の苦笑いを浮かべる。

「がんばったの、私だよね?」

「うん。百ゼロで夏夜ががんばった。本当にありがとう。ミルクレープもう一個食べる?」

 私は扇ぐみたいに右手を振る。

「お腹は空いてない。……よかったね、望む結果が得られて」

「本当に別れちゃったんだよね?」

 英太が小さい。だが、もう岩ではない。青くもない。辛さと共にある人間になっている。

「そのための戦いだからね」

「やっぱ、気持ちが追い付かないよ」

 言って黙ったかと思ったら、英太はポロポロと涙をこぼす。

「ゆっくり追い付けばいいよ」

 英太はこくりと頷く。

 私は泣き続ける英太を置いておいて、ウエイターを呼ぶ。

「ご注文ですか?」

「ブレンドを二つお願いします。それと、お皿を片付けてもらっていいですか?」

「畏まりました」

 泣く男、片付けられて行く皿、それを見ている私。吸ったことはないが、タバコをここで一服したら完璧な絵面になるような気がする。タイトルは勝利の一服。だが、私ならそれよりも、この戦いを曲にしたらいい。

 水を飲む。戦いの興奮が喉を熱くしていて、それを鎮めるみたいで気持ちがいい。英太は声を出さずに泣き続けている。涙を拭きもせずに両手を膝に突いて、雫を落とし続ける。

「お待たせしました」

 きれいになったテーブルに、二杯のブレンドコーヒーが並ぶ。

「英太、ブレンド来たよ。飲みな」

 英太は首を振る。

 放っておいて私は飲んだ。自分の分が空になって、もう一度英太に飲むかを訊いたがまた首を振るので、冷えてしまうよりはと思って英太の分も私が飲んだ。さすがにお腹が水っぽい。英太は同じ格好で泣き続けている。もう十分泣いただろう。

「そろそろ今日の分の涙は終わりにしようよ」

「……うん」

「帰らなきゃ」

 英太が顔を上げる。本当にその必要性を考えてなかった顔をしている。

「そうだった。ごめん、ずっと泣くのを見学させた」

「特に学んでないから大丈夫だよ」

「なんだそれ」

 英太はちょっとだけ笑う。

「そのまんまだよ。さ、帰ろう」

 ナプキンで英太は顔を拭う。目が腫れている。

 席を立ち、マスターの前に並ぶ。私は頭を下げる。

「色々お見苦しいものを見せました。すいません」

 マスターは朗らかに笑う。

「いいですよ。喫茶店は劇場よりもドラマチックな場所ですから」

 約束通り英太がお金を払って、外に出る。真っ暗な空には半月が浮かんでいる。

「ねぇ、英太。あの月は半分隠れているのかな、それとも半分出ているのかな」

「満月になるための道半ば」

「……泣いた分だけ満月に近付くよ、きっと」

「がんばって、泣く」

 英太は泣きそうな声で言った。

 途中まで一緒に歩いて、家の近くで、じゃあねと別れた。すごく疲れている筈なのに、強烈にピアノが弾きたかった。夜中だって音を消す機能を付けてあるからもちろん弾ける。でも最初にママとパパに遅くなった説明をして、夕食を食べないといけない。洗いざらい話したくはないから釈明を組み立てつつ、玄関のドアを開ける。

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