雪子決戦、1

 ドアベルが鳴る。

 振り向いて見れば、英太。そして英太にぶら下がるように腕を組む女。女は背が低めで、ボブで、Tシャツで、ストッキングの上に短パンを穿いていた。目が合う。そんな色味のものは着ていないのにピンクを連想した。英太が半々で困ったと捨て切れないを顔に映していて、女は怒っているどころか上機嫌な様子だ。二人ひとセットでテーブルまで歩いて来る。位置取りのことを多分考えてない英太が、元々座っていた場所に座る。自然にその横の席に雪子が座る。座っても腕を組み続けようと雪子はするが上手くいかず、諦める。

 雪子はちょこんと座る。

「こんにちは」

 雪子が小さく頭を下げる。

「雪子です。英太君のお友達?」

 声の感じは可愛らしいのに、響きに怨念や妖怪を感じさせるおどろおどろしさがある。既に戦いは始まっている。私は気を入れる。

「英太の友人の夏夜です」

 雪子はぬっと顔を突き出して、私の顔を舐めるように見回す。

「本当にお友達? それ以上の関係じゃないですよね?」

 私はここで引いたらこの後も負けると考えて、私も顔を前に出す。

「ご心配なく」

 私は英太をじっと見る。前哨戦はもういいから、本戦の開戦をしなさい。それは当事者がしなくてはいけない。その意を汲み取ったように英太が頷く。

「電話で話した通り、雪子の妊娠の件で、俺の考えを伝えたい」

 雪子は私から視線を外さない。

「さっき聞いたよ。却下」

「却下って、何だよ」

「却下は却下だよ」

「意味が分からない。説明しろよ」

 そこまで言われて初めて雪子は英太の方を向く。向いてから、クフフ、と笑う。

「理由は簡単だよ」

 またクフフと笑う。

「知りたい?」

 英太は鼻息荒く、雪子につかみかかりそうな勢いだ。だが、それをしたら全てがおじゃんになってしまうことを英太も理解しているのだろう、耐えている。

「却下なんておかしい。だけど理由は聞く」

 雪子はもう一度クフフと笑って、腹をさする。

「この子のお父さんが、英太君だからだよ」

 英太は雷の直撃を受けたような顔になる。その瞬間に多くのことが脳内を駆け巡っているに違いない。父子、結婚、育児、仕事、これからの人生。私の中にも巡ったと言うことは、私も同じ顔をしているのだ。私と英太を順に眺めてから雪子は今度はアハハと笑う。

「はい、ユキの勝ち。ユキと別れるなんて、ちゃんちゃらおかしい。英太君はこれからもユキの恋人の一人としてユキに尽くしてね」

 雪子は胸を張る。私よりもずっと大きい胸に目が行くが、同時に雪子の弁に引っ掛かりを覚える。反撃の糸口になるかも知れない。固まっている場合ではない。私は声に力を込める。

「どうして夫じゃないんですか?」

 雪子の動きが止まる。クフフとは笑わない。チラと英太を見る。

「どうしようかな」

 雪子は薄笑いを浮かべる。もう一度英太を見る。

「ま、いっか」

 雪子は私に向かって言う。

「夫は一番経済力と将来性のある人がなります」

「じゃあ、他の五人にも全員に、あなたの子供だ、って言うつもりですね」

「……そんなことないですよ」

 雪子の頬が小さくピクついて、視線が斜め下に泳ぐ。この子は嘘つきだけど、嘘のつけない子だ。どうして男どもが騙されるのか疑問だけど、逆にこう言う塩梅が一番ツボにハマるのかも知れない。

「いや、言うつもりですね。……ねえ、雪子さん、あなたの本心も、男達を手玉に取る理由も、興味はないです。私は英太を守れればそれでいい。あなたは自分で作ったルールを守ると約束出来ますか?」

 雪子は眉を寄せて不快であることを全霊で表明する。

「当たり前じゃないですか。そうじゃなきゃ、恋人達と何も決められないです」

 英太は右往左往しながら私達の応酬を見ている。今はそれでいい。

「じゃあ、英太じゃない誰かが夫になること、これは間違いないですね?」

「うん。英太君はまだ幼過ぎます。かわいいけど、頼る相手じゃないです」

 雪子にとっても英太は子犬だった。

「その前提の上で、英太は夫に立候補しない。夫が他の誰かなら必然的に、夫には選ばれない。そうですよね」

「それは、そう、だけど。……だから何ですか?」

 雪子は食い殺しそうな目で私を見て来る。

「あなたの企てたゲームはこれだけです。夫に選ばれなかった人がどうなるか、どうしなければならないかは決められてないですよね。だから、英太は雪子さんの元を去ってもいい。……だから、子供が英太の子供だって嘘を言って引き止めようとしている。雪子さんが決めたゲームに則ることで、場外乱闘の『あなたの子供』が嘘だって炙り出されるんです」

 英太が、おお、と声を上げる。雪子が鋭く視線で英太を牽制する。そこから地鳴りのするような動きで視線を私に戻す。

「何言ってるんですか? この子は英太君の子供です。一番愛した人の子供を、一番経済力のある人と育てるんです」

 雪子は腹をさすって見せる。まだ全く膨らんでいない。そもそもそこに子供が入っているのかすら怪しい。

「どうやって英太の子供って証明するんですか」

「生まれたらDNA鑑定でも何でもすればいいでしょう?」

「父親は生まれる前に決まりますよね? その段階で、です」

「どのセックスで妊娠したかくらい、分かります。……ひょっとして妊娠したことないんですか?」

 ギラリと光る雪子の目の奥に底なしの意地悪さが透けて見えた。妊娠なんかしたことないが、だからってここで怯んでなるものか。奥歯を一瞬噛み締める。英太はうろうろと私を見たり雪子を見たりするばかりで何も言わない。戦いの役に立っていないが、邪魔をされるよりはいい。

「妊娠したことはないです。この年なら殆どの人がそうでしょう。どの行為で妊娠したかが分かるのが本当なら、その子は英太の遺伝子を受け継いでいる子でしょう。でも、あなたが父親を選ぶと言うなら、選ばれた父親こそがその子の父親です。遺伝情報が親子の全てではない、そうですよね?」

 雪子は顔を一瞬顰める。悪の滲む顔だった。しまったと言った風に、すぐに元の愛らしい顔に戻す。

「そうですね。父親を選ぶんですから、その子の父親はその選ばれた恋人ですよ」

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