決戦を待っている

 英太はまた岩に戻った。悶々とした感じが伝わって来る。だが、それを言葉にはしない。私はミルクレープを食べながら、ときどき英太を見る。重しに潰されそうなのを堪えているようにも見えるし、内側で渦巻くものと戦っているようにも見える。

 英太を前に私はミルクレープを食べ上げる。空になった皿に、チン、とフォークを置く。英太はそれに反応せずに、自分のことに集中していた。

 ウエイターが英太のミルクレープを運んで来た。目の前に置かれたミルクレープを一瞥した英太は、そっぽを向く。私は皿を持って英太に近付ける。カシャンと音が鳴った。

「ほら」

 英太は顔をくしゃっとさせる。

「子犬じゃないよ」

「大犬でもいいから、食べな」

 渋々と顔に書いてあったが、英太はフォークを口に運んだ。

 口の内側から何かが広がり、顔中に満ちていくような表情になる。そのまま勢いよく食べ切った。

「美味い」

「必要なものは、ことさら美味しく感じるんだよ」

 英太はお腹をさする。

「ホットドッグも頼もうかな」

 私は英太の食欲の死太さに嬉しさと頼もしさを感じた。その感じが自分の表情に出ていることが分かった。

「いいじゃない。二つ頼もう」

 私は再びウエイターを呼んで、ホットドッグを二人前注文した。今度は共謀の顔ではなく、いつもの穏やかな笑みだけだった。

 英太の顔には血の気が少し戻って、青さは目立たない。ホットドッグを食べればもっとよくなるだろう。だが、私達が穏やかになれるはずもない。少しの隙間があればそこから緊張や不安は入り込んで来る。食べている最中とか話している最中と言うのは、そのことに熱中する分だけそう言う侵食を忘れられるが、永遠に続けることは出来ない。だから、今、私達の間には、いや周囲にも、緊張や不安が漂って隙あらば私達の胸を突いて来る。

 それを払拭するように私は声を出す。

「もうそろそろ来る頃かな?」

 英太はスマートフォンを出して時間を確認する。

「いや、三十分以上かかるから、あと十五分はある。ホットドッグを食べる時間は十分にあるよ」

「そっか」

 それ切り私達は黙って、落ち着かない視線を泳がせながら息を殺す。そんなことをしても漂っている緊張や不安から身を隠すことは出来ない。喋った方が楽なのは分かっていたが、近付いて来ている未来の迫力に言葉が出なくなっていた。時間と共に擦り減って行く。このままだとミルクレープは待つ間だけで消費され切ってしまう。

「お待たせしました。ホットドッグ二人前です」

 ウエイターの声に緊張不安空間から現実に還る。

「あ、ありがとうございます」

 私の咄嗟の声は糸を引っ張ったみたいな音だった。

 私と英太、それぞれの前にホットドッグが置かれる。メニューにあるのは知っていて、いつか食べてみたいと思っていたが食べるのは初めてだ。湯気とも香りともつかないふよふよしたものが私を呼んでいる。上にはザワークラウトも乗っていて、そのさっぱりとした匂いもいい。お腹が空く。

「いただきます」

 英太が手を合わせる。さっきミルクレープを食べた後だが、そう言いたくなる気持ちは私の中にも芽生えている。だから私も手を合わせる。

「いただきます」

 フランクフルトのジューシーさに、パンのほのかな甘味がよく効いて、食べるのが止まらなくなる。ザワークラウトのアクセントもそれに拍車をかける。食べることだけに集中して、話すことも感じることもしない。

 食べ終えて、初めてここがどこかを思い出す。目の前の英太に気付く。同じものを食べた同志を見る目でお互いを見る。「肉」を食べた余韻が強く響く。英太がふう、と息を漏らす。

「ごちそうさま」

 英太はまだ岩だが、その上に人間の皮を被ったような顔になった。これなら戦えるだろう。私は自分の頬に触れて、きっと私も大丈夫だと決める。

 さっき英太が時計を見てから十五分は経過している。そろそろ来るだろう。私が構えたのを見て、英太にも緊張が走る。

 だが来ない。私達は何の言葉も発さず、従って、緊張や不安の攻撃に晒されて消耗しながらもう十分は待った。このままではせっかく蓄えたエネルギーがなくなってしまう。もう五分待って、私は首を振る。

「来ないね」

 英太は間髪入れずに応える。

「迷子になっているのかも知れない」

「どうするの?」

「ちょっと電話してくる」

 英太は店の外に出る。

 別れ話をしようと言うのにその舞台まで辿り着けないなんて、この勝負、私達の勝ちになるんじゃないかな。英太は雪子と別れて、父親でもなくて、人生に何の枷も付けられずに今後を生きる。何だったらこのままここに来ないで話が終わればいいのに。……それだと決着がないままだから、英太が父親にされるリスクが残るか。

 ドアベルの音。英太が戻って来た。

「やっぱり迷子になっていた。でもそんなに遠くない場所だから、迎えに行って来る」

 それだけ言って、踵を返してまたドアベルを鳴らす。

 英太がさっきまで座っていたところに、大きな窪みが出来たかのようになって、温度も少し下がった。だからってびびっちゃいはしない。

 どんな女なのだろう、雪子は。……どっち側に座るのだろう。対決の構図的には私と英太が隣同士で雪子が向かいだけど、今私達は向き合って座っているから、英太の物はあっち側にある。英太の横に座るのは雪子かも知れない。妙な三角形だが、その可能性が高い。

 英太の望むような結果を得られるのだろうか。雪子が父親ゲームをするような奴だと言うこと以外、どんな人物なのか全然分からない。だから、出たとこ勝負なのは仕方がない。英太の胆力に期待してもいいのだろうか。それとも、私ががんばるしかないのだろうか。

「お下げしますか?」

 ウエイターの声。

「いいえ。このままでお願いします」

 ウエイターは出しかけていた手を引っ込める。その動きは私の応えへの疑問符が乗っていたが、何も言わずにテーブルから離れた。具体的な案がある訳ではないが、この皿具合も何かの戦術に使えるかも知れない。

 私は消耗しながら、音楽も聴かず、何も追加では食べずに二人を待つ。少しずつ視野が広がって行き、カウンターのマスターとウエイターの佇まいとコーヒーを淹れる仕事が見えた。他の客もいた。ノートに何かをひたすらに書き込んでいる若い男性。二人ともスマートフォンを弄って何も会話のないカップル。中年の男性二人が喋り続けているのの隣でおばあちゃんが三人で負けないくらいの声量と勢いで喋っている。窓の外はすっかり真っ暗になっていて、時折通る車のヘッドライトが光る。私はその中にいて、決戦を待っている。見える範囲が広がると、消耗の速度が遅くなった。深呼吸をする。

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